「よくそんな、凝ったもの作るよね。」

昨晩飲みすぎて帰ってからリビングで寝ていた私に、食欲をそそる香りが鼻を狙ってとんできた。
まず第一印象で『美味しそう!』という強い香り。次にくんくん鼻を動かしていると、それぞれのスパイスが、僕も!私も!と少しずつ主張しながら粘膜に優しく張り付いてくる。

「昨日、飲んでくるって聞いてたからさ。」

「スパイスープカレーだ!」


冷蔵庫の残りの野菜と、鶏モモ肉、あとは彼のこだわりのスパイスを適当にいれて炊飯器で炊くだけ。

ゴロゴロしたジャガイモや、鶏肉もホロホロになって出汁が濃厚なのにあっさりしていてとても美味しい、そう、飲んだあとに欲しくなる味なのだ。

この料理の欠点は、炊飯器を使用するあいだお米が炊けないということ。
鍋で炊くことももちろんできるけど、その分、早起きしたり、仕事を早退したりと無理をすることはして欲しくないので、カレーを取り出してから20分、ご飯を待たなければいけない。

見てなくてもいいからその間にお風呂を済ませる。(メークも落とさずに寝落ちてた)

「カレーってたくさんルウ売ってるじゃん。どうして自分で作ろうと思ったの?」

「昔、手料理を振る舞うのが好きなツレがいて」
(元カノかな)
「俺もおんなじ質問したんだ。そしたら『お前は楽器弾けるだろ、歌も作れる。何もないところからあれだけ良いもの作れるのってかっこいいなって思ったんだよ』って。」


彼は元々バンドマンだった。
バイクの事故で楽器と共に腕を複雑に骨折し、普通の生活はできるように回復したものの、楽器の演奏はできなくなった。

「何も無いなって思ったら、急にあいつのこと思い出して…久しぶりに連絡したら店を開いてたよ。基本のスパイスを教えてもらって自分でやってみたら、まあまあ美味くできた。だろ?」

「え?アレ初めて作ったの?お店みたいな味だったよ…っていうかお店開いた人から教わったのか…」


「そこから いろいろ考えてた。俺はギター弾くの好きで、好きなことしかやってなかった。何も無いところからものを作り出すってことを、勘違いしてたのかもしれない。」


「勘違い?」


「バンドの曲は全部、俺が作ってた。演奏の仕方やアレンジ、フレーズ、メロディー、全て俺が仕切って当然だと思ってたんだ。俺がこの世界の創始者、俺が音楽の神様だ!みたいな、ね。」
(大袈裟に手を広げてみる)
「そしたらメンバーとはどんどん噛み合わなくなった。演りたかったこと、出したかった音からどんどん遠のいていくんだ。」

私は当時の彼のことを知らない。

「ある日、プツンとキレちゃってスタジオを飛び出した。もうやってらんねえって怒りのままに…」

そして彼は、何もかもを失った。


「リハビリやりながら考えてた。元に戻らなかったら俺には何もない。何もないところからものを作り出すには俺自身が欠けちゃいけなかった。そしてメンバーも。」

事故をきっかけに完全に連絡を絶った。
同情されたくなかったし、追い討ちをかけられることに恐怖したからだ。

「そして、手料理のツレさんのことを思い出したのね。」

「ギターが触れなくなってやっと他の世界に目を向けれたんだ。自分に何もないって認めた瞬間からいろんなものが手に入るようになった。」


スパイスの種類や、組み合わせ、食材との相性。
人間も一緒だ。

家族を作ることも、音楽を作ることも、ご飯を作ることも、全部おんなじことだった。

「私も何か始めてみようかな。」

「カレーなら教えてあげられるよ。あと…ギターも。」


趣味でやっていたギター。
Fが押さえられなくてやめてたけど、またやってみようかな。

ご飯が炊けた。

「『何もない』は『全部ある』…か。」



目を背けている世界に、
彼のスパイスが私を誘導する。