山陽電気軌道2 | いつでも夢を日記

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 前回紹介したホームページは「撮ってまわった日本と欧米-2」
という、写真集のホームページです。その中にある「今は無き山陽電気軌道の軌道風景(1959~1963年)」というページには、山陽電軌の各停留所の写真が載っています。

 山陽電軌の大半は複線の路面軌道ですが、幡生(はたぶ)線だけは鉄道由来なので単線の専用軌道です。そこで、この幡生線のルートを想定してみることにしました。資料は上記ホームページとヤフー地図(1/1,500)のみです。現地踏査すればもっとはっきりするとは思いますが。。。なお使用したベースはヤフー地図1/8,000です。

 上記ホームページのうち、幡生線は以下に掲載されています。
http://onokoho.web.infoseek.co.jp/R-Sanden-G.htm

 幡生線(東下関-幡生 2.2km)は1914年に東下関~小串間に開通した長州鉄道がその始まりである。1925(大正14)年に幡生~小串間が国鉄に買収された。1926年3月から電車運転が開始され、1928(昭和3)年に山陽電軌へ譲渡された。1929年に唐戸線が、1932年には唐壇線(長府線のうち、唐戸~長府間)が全通し、幡生線、唐戸線、唐壇線が一本につながったのである。これが前々回「山口県の廃止鉄道」に掲載したメモ書きの路線図なのである。

 幡生線を走行中の電車については、次のブログをご覧下さい。

「連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々」
http://blogs.yahoo.co.jp/hideki_kobayakawa/30520508.html

 さて、幡生線と唐戸線の結節点の駅である東下関駅について述べたいと思います。東下関駅は通称「東駅」。山陽電軌はサンデン交通となり、東駅はその本社所在地である。

「ガゾーン-関門北九州編 東駅」というホームページには以下のような記述があります。

 * * * * *

 東駅は「東下関駅」の略称が地名化したものだが、住所にはなっていない。東駅バス停から歩いてゆける範囲の羽山町、向洋町、後田町あたりを漠然と「東駅」と呼ぶ。

「ガゾーン-関門北九州編 東駅」
http://gazone.morrie.biz/tosi/hookan/higasieki.html

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 これはさしずめ仙台における「北仙台」と似ている。仙台市に北仙台という住所は存在しない。これはJR仙山線北仙台駅周辺の地域を指す通称である。住所で言えば、昭和町、青葉町、通町、葉山町、堤町あたりを指している。北仙台といえばマンションが集中して立地しているエリアである。飲食街の「仙台浅草」は北仙台(昭和町)にある。北仙台小学校とか北仙台中学校もあるが、これは通称・北仙台からは少し離れている。今は旧くなった新興住宅地に立地している。そして、これらの学校が立地している場所は通称・北仙台とは言わない。(2段目の写真は北仙台駅)

 北仙台が東駅と似ている所は、鉄道の結節点である(あった)ことだろうか。東駅はかつて山陽電軌・幡生(はたぶ)線(元長州鉄道)と、のちに開通した市内線の一部である唐戸線の結節点であった。すなわち、当時の鉄道線と路面電車の結節点であった。北仙台は、かつて国鉄と路面電車(仙台市交通局)の結節点であった。

 東駅は現在はサンデン交通のターミナルと商業施設の複合施設となっている。周辺には高校や短大、大学などの文教施設がかなり多い。

 北仙台は現在、JR仙山線と地下鉄南北線の結節点である。かつて北仙台駅前には宮城交通のターミナルがあったが、郊外に移転してしまい、ここもまた高層マンションとなっている。このターミナルはかつての仙台鉄道「社北仙台駅」であった。

 ただし、北仙台のほうは、JR、地下鉄、バスが通っている交通の要衝ではあるが、その割には商業施設の進出は少ない。恐らく大型商業施設が進出するには地価が高いことや地元住民のこの地に対する愛着の深さも理由のひとつであろうかと思う。そのかわり地元地権者がここを離れずにすむマンションがどんどん増えているのである。

 かつて私も北仙台のマンションに住んでいたが、会社をリストラされたのを機に手放した。赤字は出なかった。地下鉄駅から歩いて3分である。しかも地下鉄開通の前年に購入したのである。またチャンスがあれば、という思いは捨ててはいない。この世に不変のものなんてありはしない。あるのはチャンスだけだと思っている。ピンチもチャンスもいっときであるが……。