皇紀弐阡六百八拾弐年起日 師弟七度邂逅す | 卍老人残日録

卍老人残日録

-真剣道継承未完- 

大阪から年賀が届いた

 

中身がいいじゃないか、

 

 

祝寅です。

 

私も七拾弐歳の寅年生まれ、歳男というものなんですじゃ。

 

師弟は七度生まれ変わっても出会う。

縁あって今生で出会った弟子たちからの年賀をありがたく受け取った。

 

前世では先生であったかもしれない方、また兄弟であったかもしれない方、次に生まれたら私の師匠になってくれるかもしれない方

 

「循環しめぐりあい、磨きあう 同門の縁」なんて素晴らしいのだろう。

私はここにいて、大阪の貴殿らとは離れているが、形というものに導かれて、先師の教えを墨守する限り、無双直伝英信流の道統に連なり、先も後もなく、ひとしなみに「基道館員」である。そこには段の高下も入門の時期もない。

ただ役割としての先生(先に生まれたもの)という呼び方が有るだけだ。

 

息をしている限り、真剣道修行者であろうとし、絶対に諦めない誓いをたて、壱寸の光陰を惜しみ研鑽するならば、悔いがあろうはずもない。

 

年頭に当たりその覚悟を更に深める。

 

 

年末に拝領した 漢詩一篇 引用ス

  圓明寺住持宇佐美文英和尚作

 

寺田一清先生逝去(其五)

道念清堅明眼師  道念清堅 明眼の師

逍遥移界那辺之  逍遥として界を移し 那辺にゆく

閑雲散去不留跡  閑雲散じ去って 跡をとどめず

只有天心月一規  只あり 天心 月一規

 

※道念 真理を求めること

※天心 空の真ん中

※月一規 丸い月一つ

 

 

宇佐美和尚は 寺田先生の逝去に際し 慟哭の詩を献じた

私はこれを拝領し落涙禁じ得ず感得すること甚だしいものがあった。