1960年代の松山商業陸上部の長距離班は入部して間もない新入生に25kmを走らせる洗礼を施した。
松山商業から12.5kmの所にある横河原橋まで往復する。
先輩方は誰も「ガンバレ」などと言わない。
新入生のわたしは残り5kmで走れなくなった(笑) まあ当然だ。
走れなくなった(疲労困憊した)者の足を引きずる5kmはなかなかのものだった。
陸上選手が歩いている姿は惨めで情けなかった。
少年は二度と歩かない事を胸に誓う。
死ぬまで走るのだ、それが名門の陸上部員の誇りだろう。
私は首から提げたお守りに1000円札をしのばせた。
走るだけ走り、まったく動けなくなったら、タクシーで帰る。それが保険だ。
(但し一度も使うことはなかった)
人間は気力である!
註 それが遠因で私は高校の時代2度死にかけた。いずれもトラックでのスピード訓練での出来事だ。 そりゃあ、400mの全力疾走を25本
1000mは3分きっかりで10本などという目標はしんどいに決まっている。
そのときの考えは今となっても生きている、物事に向かうときあとのことなど考えない。
いまやるべき事を死ぬつもりでヤル!
そういう考えに迷いはない。