哲学的な、生死の話。 | Yoccioのブログ
 いざという時に、自分の命を狙う無慈悲な敵と、どう対処すべきか。

 昔から哲学的な問題として聞いたことのある話を、現実的に突き付けられたら、どうすればベストなのか。



 自分が、友達といる。
 毒ガスが迫ってきている。
 あと5分も立ち止まっていれば、窒息死する。

 友達はケガをして動けない。
 治療、動かすための対処には1時間かかる。


 上記の状況下での、選択肢は、

1:友達を見捨てて逃げる→自分は助かる。友人は動けないから毒ガスで死亡。

→周囲からは「友達を捨てた卑怯者」と、言われ続ける。
→自らも、「なぜ助けなかったのか、本当に助けられなかったのか」と、後悔の、自責の念にかられることになる。


2:友人を助ける努力をする。

→時間切れで間に合わず、二人とも死亡。

→周囲からは「友達を見捨てなかった」と美談にされる。

→「友人がケガをしていなければ助かったのに」と、自分の家族が、友人の家族に恨みを言うかもしれない。



 どちらにしろ分のない状況。
 友人の死は決定済みで、自分自身も究極の選択。


 “死の覚悟”なんて言葉では片付けられない状況。

 自分や友人に、待っている家族や恋人がいる場合は、さらに話が複雑になる。


 交通事故の状況によっては、コンマ数秒で判断を求められるかもしれない。


 
 もしもの場合に備えての問題提議は、平和な間に少しでも考えておくべきかもしれないね。