いじめについての考察 | Yoccioのブログ
 いじめが悪いことだってのは、誰だって知っている。

 でもどうして、いじめは無くならないのだろう。

 それは、心を読むことができない、見えないものだから。
 自分の心も、他人の心も両方。


 自分の心の中の「仲良くしたい。平和でいたい」という気持ちに気付かず、また他人の心の中の同じ気持ちも分からない。

 分からないものは、いつ自分を攻撃してくるか分からない。
 分からないという気持ち悪さが、心の中で恐怖に変わる。

 恐怖を取り除くにはどうしたらいいか。
 その恐怖対象を排除すること。

 自分の心は排除できないから、他人を排除しよう。


 分からない、気持ち悪いものがいなくなれば、スッキリする。

 自分より弱いものは、自分を攻撃してこない。
 自分より弱くしておこう。


 ずっと攻撃しよう。


 攻撃するのは、正しいことだ。


 だから、これは「いじめ」じゃない。

 攻撃されている奴が、悪い人間なんだ。

 私は、正しい側の人間だ…。



…こんな論理が、いじめる側の人間には、まかり通っているのさ。


 10代の間で、「るろうに剣心」の相楽左之助みたいに“悪”の一文字を背負う覚悟でいじめるやつなんかいない。

 ただ、己の心の未熟さを認めたくないだけだ。

 自分を弱者だと認めたくない心が、他人に迷惑をかけているんだと気付くことが、真に大人になったと言える。