いじめが悪いことだってのは、誰だって知っている。
でもどうして、いじめは無くならないのだろう。
それは、心を読むことができない、見えないものだから。
自分の心も、他人の心も両方。
自分の心の中の「仲良くしたい。平和でいたい」という気持ちに気付かず、また他人の心の中の同じ気持ちも分からない。
分からないものは、いつ自分を攻撃してくるか分からない。
分からないという気持ち悪さが、心の中で恐怖に変わる。
恐怖を取り除くにはどうしたらいいか。
その恐怖対象を排除すること。
自分の心は排除できないから、他人を排除しよう。
分からない、気持ち悪いものがいなくなれば、スッキリする。
自分より弱いものは、自分を攻撃してこない。
自分より弱くしておこう。
ずっと攻撃しよう。
攻撃するのは、正しいことだ。
だから、これは「いじめ」じゃない。
攻撃されている奴が、悪い人間なんだ。
私は、正しい側の人間だ…。
…こんな論理が、いじめる側の人間には、まかり通っているのさ。
10代の間で、「るろうに剣心」の相楽左之助みたいに“悪”の一文字を背負う覚悟でいじめるやつなんかいない。
ただ、己の心の未熟さを認めたくないだけだ。
自分を弱者だと認めたくない心が、他人に迷惑をかけているんだと気付くことが、真に大人になったと言える。