先日、ちょっと前に話題だった映画『凶悪』というのを観たんですね。日本○○賞を幾つも受賞みたいなこと書いてあったんで、へぇ~、これってそんなに良いのかな、なんてね。
しかし結論からいうと、どうもアレでしたね。
まるっきりダメとは思わないにせよ、内容の恐ろしさとは別に、これって映画だろ?映画ってこんなもんか?という感じで。 テレビドラマでもなく、Vシネでもなく、映画なんだろ?と…。
僕はどんなジャンルの映画も観るけれど、中でも犯罪もの、殊に実際の事件を扱ったものは好きで、『愛のコリーダ』や『水のないプール』『TATOOあり』、それに何と言っても『復讐するは我にあり』とか『死んでもいい』なんかは今でも忘れることのできない作品ですね。
『凶悪』がアカンのは、そもそも、映画の体裁として、あまりに芸が無さ過ぎる(僕に言わせればね)。
あんな安易な寄りの画ばかり撮ってちゃダメだ!画がシナリオを説明するだけの絵解きにしかなってないじゃないか、というのが感想です。
要するに僕は、映画ってのは、筋立てでもない、〝映像″というだけでもない、「映画」というほか言いようのない瞬間、いわば映画ならではの視点でそのテーマをぶった切ってしまうような強烈なビジョン(もしくはキラーカット)が無ければ駄目だと思うのですが、どうもこの作品にはそれが無い。いや、弱い、というか拙い。
やっていることは、単に事のあらましを説明するのが精一杯で、もういっちょう咀嚼されていない。ドラマではあっても、「映画」というところまでには至っていない気がします(まあ、僕の見解ではね。怒らないで下さいね)。
脚本にしても演出にしても、それは結局、この事件(テーマ)に対する作家の、独自の視点、バイアスが無いからですよ。 ほとんど紋切り型です。
主人公の家庭も介護問題で悩んでますから、ほら、何がテーマか馬鹿でもわかりますよね、なんて程度の着想でベタな映画作りして、これは評価できる、なんて言ってると、海外のこの手の秀作に太刀打ちできなくなりますよ(もうなってるのか知らないけどね)。
あと、リリー・フランキーは良いと思うけど、プロモーション的事情を抜きにすれば、純粋に映画として、やっぱりピエール瀧はちょっと甘かったなぁ。
そういえばリリー・フランキー出演作としては、前に観た『ぐるりのこと。』の方が断然、良かったな。なんせ映画的ですね。
まあ、それはそれとして、しかしこの映画『凶悪』が取り扱ってるテーマも、実に嫌な事件ではありましたね。
あー、いやだ、いやだ。
話は変わりますが、僕は人間の「良心」というのは、元から人間に備わっているものではないと考えてきたところがあります。
「良心」や「善意」というのは、人が社会や文明を形成する過程で便宜上編み出した高等な概念に過ぎないと…。
従ってそれは自然界に存在するわけがないと感じてきました。
ところが最近、YOUTUBEで何となくゴリラを映した動画を観ているうちに、これはもしかするとそうではなくて、むしろ純粋な「悪意」こそが文明が生み出した発明なのかも、と思うようになりました。
だとするならば、悪意を行動原理にしがちな人が、群(社会)の中で歪(いびつ)に見えることも説明がつくしね。
その辺、どう思われます?







