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Long Goodbye 1981

日々思ったことをひっそりと


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http://coalitionagainstnukes.jp/?p=1275


今週日曜はこちらに行こうと思います。

(開始時間が変更になったみたいなので注意!)


僕はオプチミストじゃないので、デモだけで原発がなくなる社会になるとは思っていませんし、デモで新しい民主主義が萌芽するとかも思ってません。


ただ間違いなく抑止力にはなると信じてます。数万の人が官邸周辺に集まり、抗議の声をあげるという事実は確実に国の中枢の人間にも届くはずだし、また、その事実が、なし崩し的に全ての原発を再稼動させてしまうことを防いでいると信じています。

毎週金曜の官邸前抗議も、続いていなかったら状況はもっと酷かったはず。


僕もツイッターでも呟いていないし、ここのブログでもあんま書いてないけど色々考えてるんすよ(笑)


ツイッターで毎日、意見異なる人と罵り合いしているのが事態の改善に向かうとは決して思わないけど、自分なりの意見を自分の言葉で言うことは大事です。

やはりあらゆる角度から問題を見るべきで、自分が見ている角度と違うという理由で建設的になりうる意見を簡単に否定したり、まるで人でなしかのように罵しるべきではないと思います(差別発言する奴は論外ですよ、勿論。)


そういったことを踏まえて僕の意見をすこし言わせてもらうと、やっぱり僕は「福島」のことを考えてしまうんですよ。

僕自身、今年になって初めて2回ほど福島に行ったという身分でしかないんだけど、そこでカッコいい音を出すパンクスに出会って話をして仲良くなることが出来た。

僕にとっては、彼らのことを考えることが福島を考えることであり、今年の夏に福島に足を運んだときに南相馬の小高の海岸で見た、うず高く詰まれたままの瓦礫の山について考えることが福島について考えることであり、そして、そのことが原発について考えるだと思っています。

福島といっても、当然、浜通り、中通り、会津では全く状況も違うだろうし、もっと言えば当然住んでいる一人一人も違う人間である、そんな当たり前の事を実感として味わえたのは実際に足を運んで、福島に住んでいる人と仲良くなれたからなんですね。

だから、たまに見かける『「フクシマ」の人々』を一面的に捉えて語るような、まるで福島に住んでいる人を大文字の<他者>とでも捉えるような表現には与することができないんですよ。

毎週金曜に行く首相官邸前でよく耳にする「フクシマ返せ!」みたいなコールも個人的には正直違和感を覚えます。

前回のブログ記事でちらっと書いた、『無限の他者』にむかって『無限責任』を果すということは実は何の責任も取っていないというような文章はここらへんの個人的な思いからなんです。


僕の好きなある年上のパンクスの人が東京の反原発デモの一部に対する批判をしてて、「デモで「フクシマ」って連呼したいなら、一度でいいから福島に来てから言え」って言ってて、それは滅茶苦茶な暴論だとは思うけど、でもすこし気持ち分かるんですよ。

今週日曜日に国会周辺に来る人は、色々意見はあるだろうけどみんな共通しているのは原発の無い社会にしたいという思いだと思うんです。

そういう人は一度福島に足を運んでみるといい、運んでみるべきだとは僕も思います。


というわけで日曜、晴れると良いですね!