Longer26のブログ

Longer26のブログ

日常的な出来事について
出来れば笑いえるものも残したい

Amebaでブログを始めよう!

プロレスは最高のエンターテイメントであると思う。


その中でも最高のレスラーと言えば、武藤敬二の名があがる。


武藤敬二を初めてテレビで観た時、体に電撃が走った。

スピード・技のレパートリー・試合の運び方・オーラ

どれをとっても魅力的であった。


プロレスラーにとって、一流である要素として重要なのは、

空気を読むことがひとつ上げられると思う。

観客がどう観てるのか。

観客は何を望んでいるのか。

観客はボルテージはどのくらいなのか。


武藤敬二はまさにこの空気を読むことがずば抜けていると思う。

常に観客の心を掴み、リングの上で最高のエンターテイメントを繰り広げる。


プロレスは相手を尊重して戦わなければ観客を魅了し続けられないと感じる。

武藤敬二からは相手への畏敬の念がにじみ出ている。

それは、対戦相手の技を綺麗に華麗に受ける、そのスタイルに表われている。


武藤敬二は相手を輝かし、相手の潜在能力を最高に引き出し、

プロレスを仕上げていく。


だから、武藤敬二が試合に勝とうが負けようがそんなことは関係ないのだ。


プロレスは八百長か?

という議論が昔から存在するが、

私は武藤敬二のレスリングを観てどう思うか?

と聞くようにしている。


常に変わり続ける者だけが生き残れる

という、ダーウィンの言葉のとおり、


武藤敬二は変わり続け、

最高のエンターテイメントで人々を魅了し続ける。

小学生の頃、学校の全学年でなわとび大会があった。

全生徒が校庭に出てそれぞれなわとびをして、最後まで飛べるのは誰かというものであった。


1~6年生までいるから、その光景は活気があり、子どもたちの笑顔が絶えない良いものであった。


そんな中、年に1回行われる「なわとび大会」のために、毎日昼休みに校庭でなわとびの練習をする兄妹がいた。それが小池兄妹であった。

毎日校庭で練習しているから誰もが二人の存在を知っていた。

その頑張る姿に学校の先生も生徒も温かいまなざしを向けていた。


ある大会での出来ごと。

全生徒がなわとびを飛び始めた。

低学年の子は体力が続かず次々と脱落していった。

高学年の子も照れ隠しもあり、わざと引っかかったりして脱落していった。


徐々に飛んでいる人数が減り、全校生徒の中わずか数人となった。

その中にはもちろん小池兄妹もいた。


生徒の中から自然と、

「小池がんばれー!」の声がかけられていった。


普段から努力している兄妹を知っている生徒にとっては、兄妹に勝ってほしいという気持ちがあったのかもしれない。


開始から30分ほど経った頃、最後に残ったのはやはり小池兄妹であった。


兄と妹の一騎打ち。

全生徒が歓声を上げた。

教師もその光景をほほえましく観ていた。


小池兄妹の死闘は続き、開始から1時間が経過したころ、

生徒の一人がつぶやいた。


「いつまで飛んでいるんだ・・・・。」


誰もが口にしたくても出来ない、そんな空気の中、ある生徒がつぶやいてしまったのだ。


その言葉が端を発して生徒達は次々に声を上げていった。


「やめろ!小池」

「もう飛ばなくていいんだ小池」

「いいけげんにしろ小池」

「お前らが飛んでる限り俺達は帰れないんだ、小池」


「小池さん、お兄さんに譲ってあげて」

「小池さん、あなたのお兄さん止める気ないわよ」

「小池さん、やめて」


歓声はやがて怒声へと変わっていった。

教師もその騒然とした生徒達の姿を見て、動揺していた。


私自身、人間の心は怖ろしいと知ったのはその頃だったかもしれない。

人間の心には戦争と平和を兼ね揃えた生命があるのだ。


なわとび大会が終了した翌日、

全教室に貼り出された学校のモットーは


「過ぎたるに及ばざるがごとし」


であった。

小学生の頃、友達とよく野球をやっていた。

カラーボールにカラーバットでホームランを競ったり、変化球を試してみたりと。

野球が好きだった。


小学5年生の頃、学校の先生からサッカーチームに誘われて、サッカーをするようになった。

幼い頃は運動神経が比較的良かったのか、5年生で6年生のチームに入ったり、

5年生のチームでは副キャプテンとフォワードを勝ち取った。

中学・高校とサッカーを続けたが、悔いが残るような腰が入っていないものだった。

結局、遊ぶ方を取ってばかりだった。

足の怪我なども理由にしていたが、やはり本気ではなかったように思う。


大学の学生時代はテレビじたいほとんど観ていなかったが、

社会人になり、仕事が終わり帰宅して風呂上がりに楽しみにするのは、

プロ野球ニュースであったりする。


本当は野球が好きだったのか・・・

と自問自答してみる。


野球がやりたかったのか?


そうなのかもしれない。


今年もジャイアンツのオーダーを予想してみたりする。


1番 ショート   坂本

2番 セカンド    藤村

3番 センター   長野

4番 キャッチャー阿部

5番 サード    村田

6番 ライト     高橋

7番 ファースト  小笠原

8番 レフト    ボウガー


ピッチャーのローテーションは、


1:内海

2:杉内

3:澤村

4:東野

5:マシソン


の5枚


あー時間がなくなった・・・・。

「氷室京介が被災地に2億円を寄付」とのニュース。

昨年の寄付と合わせると9億にもなる。

氷室京介がそういった人物であったとはファンでありながら知らなかった。


氷室京介(BOOWY)に出会ったのは中学生の頃。

友人が聞いてた影響で氷室に惹かれていった。


「NO NEWYORK」 「ONLY LOVE」 「DREAMIN」 「MARIONETTE」といった名曲から入り、

最終的にはアルバムの「BOOWY」や「MORAL」にはまっていく自分があった。


氷室京介、布袋寅泰、松井恒松、高橋まことの四人で結成されたBOOWYは

わずか6年という短いバンド生命でアーティストの頂点に上り詰めた。

その栄光は輝かしく、今もって多くの人たちを魅了する。


中学から高校と毎日のように聞き続けたBOOWYは私の青春だったかもしれない。

中学の仲間とバンドを組み、私はベースを購入して猛練習にあけくれた。


たった一回だけ友人たちを呼んで、ライブを行ったがあまりのヘタさに自分たちが驚いた。


ボーカルはワンオクターブ上で歌いつづけ、ドラムとベースは呼吸が合わず、

ギターは心ここにあらずといった表情で弾き続けた。

当時、音源をカセットテープに焼き持っていたが、聞き返すと、観客の笑い声が入っていた。

それは落語の笑いのように、かぶせる形でのドカン、ドカン、ドカンといった風に・・・。


それからベースを持つ事が少なくなった。


氷室がシャウトする魂を頭のてっぺんで妄想し、あんなかっこいい男になりたいと

ただそれを思う日々が多くなった。


その頃はある種、氷室信奉者であり、めったにメディアに露出しない氷室をカリスマと仰ぎ、

時折、雑誌に掲載される氷室の言葉を価値観としていった。


あれから20年近くが経ち、もっと大きい価値観が今は私の中心にあるが、

時折、氷室の価値観が顔をのぞかせる。


「大した事もできねくせに わかった顔で 腰を下ろすのは まだまだ先でも間に会うはずさ」



世知辛い世の中で揉まれていくとどこかすれ切れて、何かに関わっていくことが億劫になり、

分かった顔で物事を静観してしまう自分があったりする。


しかし、あの頃、絶対的影響者であった氷室京介という人間は良い意味で変わっていないのかもしれない。

ニュースZEROなどで観た、氷室の被災地へのアプローチは、私が20年前に観た、彼の魂そのものだった。


KSRのおかげでやっとブログを書く気になったが、

何から手をつけよいか迷うのも事実。


昔話も良いし。

最近のネタでもよい。


そんな事を考えているうちに時間は過ぎゆく。


ああ、この貴重な時間。


といえば、最近観た映画は「TIME]


話題作で面白かった。


お金と時間が置き換えられたことで、

重要なテーマがわかりやすく頭に入ってきた。

人間というものは善も悪も兼ね揃えた怖ろしい生き物であると再確認した。

現実は、確かに一部の人間に支配されているような気もする。

しかし、心の世界はどうか、心ひとつで誰人も個人を支配することはできない。


人間と心の世界を繋げる何かが一番大事なんだと思う。


それを追い求める人たちが様々なジャンルで無数にいる。


道は同じである。

山本周五郎の世界もそのことを書き表している。


どんな世界でも突き詰めることによる幸福感はきっとあるのだろうな。