今日アパートのレセプションの女の子と話した中で思ったこと。彼女はハノイにある大学の日本語学科卒業して、日本語もなかなかうまい。アパートに住んでいる日本人と接する中で感じた、日本人の人との接し方について、いまいち理解できない部分があるという。
たとえばレセプションの前を日本人が通ったとすると、その日本人は自分がちょっと急いでいる時であろうが、話したくない気分であろうが、それを隠してとりあえず笑顔を作って、あいさつと会話を交わそうとする。でもベトナム人は、自分が話す気分でない時、または忙しい時は、その人に、言ってみれば”目もくれないで”もいいのであり、それをされた相手もそれを気にしない。そういう違いがあるというのだ。
私は日々の生活で、なんとなくその違いを感じていたが、改めてベトナム人から言われると、日本人はその場を取り繕おうとしすぎなのかな、と思う同時に、今まで親しい友達に上記の行為をされたときの不安な感じは取り越し苦労だったんだ、と思った。
ベトナムでは、気分によって態度を変えたり、例えば仕事をしていて近くに友達がいても、その人に気を使ったりする必要はないのだ。相手もそれに他意が無いことは分かっているのであり、考えてみればかなり合理的だ。
なぜ今日これを書いたかというと、私もかなり気にしすぎぃな所があって、そのへんのさじ加減は、ベトナムに半年以上いても、まだ身に付けていられていない機微な感覚だったんだ、という事に気がついたからである。そしてもう1つ言えることは、今までベトナム人の友達との関係の中で、その場の雰囲気を取り繕うとする場面があった(私が無意識でやっていたこと)、ということは、私の心の奥底で、気の許せる本当の友達関係にはなれていなかったということなのかもしれない。
たとえばレセプションの前を日本人が通ったとすると、その日本人は自分がちょっと急いでいる時であろうが、話したくない気分であろうが、それを隠してとりあえず笑顔を作って、あいさつと会話を交わそうとする。でもベトナム人は、自分が話す気分でない時、または忙しい時は、その人に、言ってみれば”目もくれないで”もいいのであり、それをされた相手もそれを気にしない。そういう違いがあるというのだ。
私は日々の生活で、なんとなくその違いを感じていたが、改めてベトナム人から言われると、日本人はその場を取り繕おうとしすぎなのかな、と思う同時に、今まで親しい友達に上記の行為をされたときの不安な感じは取り越し苦労だったんだ、と思った。
ベトナムでは、気分によって態度を変えたり、例えば仕事をしていて近くに友達がいても、その人に気を使ったりする必要はないのだ。相手もそれに他意が無いことは分かっているのであり、考えてみればかなり合理的だ。
なぜ今日これを書いたかというと、私もかなり気にしすぎぃな所があって、そのへんのさじ加減は、ベトナムに半年以上いても、まだ身に付けていられていない機微な感覚だったんだ、という事に気がついたからである。そしてもう1つ言えることは、今までベトナム人の友達との関係の中で、その場の雰囲気を取り繕うとする場面があった(私が無意識でやっていたこと)、ということは、私の心の奥底で、気の許せる本当の友達関係にはなれていなかったということなのかもしれない。