昨日、読了。

SNSで紹介されているのを読み、興味を持った。

五島美術館美の友会月例美術講座では、しばしば茶会記からの引用があったことを思い出す。

 

茶会記を読み解く  (著)神津朝夫

 

※太字部分は本書からの引用。

 

天王寺屋会記』の茶事の形式についての統計があり、「自会記でも他会記でも圧倒的に多くが朝の茶会、すなわち朝会だった」とのことである。

 

その理由として、電灯のない当時の人の生活スタイルのほか、「茶会で使う水を汲むのは、寅の刻(午前三時)の水がよいとされていた。一日のはじまりの、生気あふれる水と考えられていたからだ」とあった。

ほう・・・。

 

むかしの茶人は一段と早起きだったらしい。夜明けの一時間も二時間も前からもう茶会をはじめていた」そうだ。

 

茶会の菓子についても書かれていて、

 

千宗旦の周辺では菓子のでない茶会がよく行われていた。それでも構わなかったということは、その頃は菓子と茶が結びついていなかったことを示している

 

ちょっとこれにはビックリである。

 

明治以後になって料理を出さない、菓子だけの大寄せ茶会が盛んになった。その場合、本来なら料理の食材から自然に伝わってきた季節感や、視覚と味覚を通した食の楽しみを、小さな菓子一つが引き受けることになった

 

この部分には、大いに納得。

現代の和菓子、特に生菓子類の芸術的な美しさ。

これは、「季節感や、視覚と味覚を通した食の楽しみを、小さな菓子一つが引き受けることになった」ので発展したわけなのか。ふむ。

 

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ちょうど立秋のすぐ後に、こんな可愛い「金魚」という和菓子を食べた。

 

 

暦の上では秋であるが、まだまだ暑い。

 

 

同封されていた説明の紙に「瑞々しいマスカットの味わいが広がる和風ぜりぃに、愛らしい金魚を浮かべた心浮き立つ夏模様の和菓子です」とあった。

 

 

江波冨士子氏の玻璃茶碗「夜空」と。