かよ子の 人生は自分色

かよ子の 人生は自分色

思いもよらない自己強制終了で
心屋塾で学んだことがやっと腑に落ちました。

これからは自分色の人生を生きていこうと思います。

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昨日、人生の大きな転換点を迎えた。

 

この年齢になって「人生の」なんて大げさな気もするけれど、

長年の呪縛からようやく解放された気がする。

 

そしてつくづく思うこと。

心屋塾では繰り返し言われてきたことだけれど、

 

「それはない、それだけはない!」が人生の突破口。

 

ただ、「それ」を見つけるのはなかなか難しい。そこにあるのに気づかない。

だって、「それ」は一番はじめに選択肢からはずして生きてきたから。

 

そこにあるのに、足元に転がっているのに、

自分で透明化していた「それ」が突破口。

 

 

 

私の「それだけはない」は、「人にしてもらう」だった。
そんな私の最大の勘違いは、「誰かに養ってもらうなんてあり得ない、してはならない」。

 

誰かに働かせてのうのうと生きるなんて人間のクズがすること。

そんなふうに思っていた。

 

そして「あり得ない」を選ぶことにしたら、人生が動き始めた。
これまでとは違う景色が見えてきた。

心屋塾でいろいろなことを学んだ。
お勉強として学んだのではなく、
抽象的な表現の中に自分の真実を見出す形で。

どうもありがとう、心屋塾。
あなたと出会えてよかった。

そしてそんな人生を選び取ってきた私、すばらしい!!
長い間どうもありがとう。
これにてブログ更新終了です。

みんな、幸せになろうね。
幸せの青い鳥はあなたの中にいるよ。

先日、夫の誕生日に母が逝った。

誰かの誕生日に誰かが逝くというのは、割とあることらしい。

 

怒濤の一週間を過ごして自宅に戻ってきた。

そしてやっと自分を取り戻せた。

 

あの家、あの家族の中で、感情を抑えて生きていたのだなぁと思った。

自分がどう感じるか から目を背け、

嫌なことも楽しいことも感じないようにして、表現しないようにして

生きていたし、今もあの場ではそれを自動的に選ぶ自分がいるのだなぁとわかった。

 

感情を感じるのは、面倒くさいこと。大変なこと。

自分に責任が持てなくなること。

 

感情を表せば、攻撃されていた。あるいは嘲笑を浴びていた。

そして付いてくるのが「お姉ちゃんのくせに」。

 

嫌な思いをしないように感情を封印していたし、今もそうなんだなぁと。

 

対して妹は自分の感情に忠実。

人をあしざまにののしることにも、楽しかったことを楽しかったと表現することにも、

まったく躊躇がない。

 

そして、そういう意味で自分とは違う人間を許容しない。

 

人は鏡という。ということは、あの妹の姿は、

私が見ないようにしている自分の姿なのだろう。

 

母の死を悼むことができなかった。

悼んだら負け という感覚がある。

 

母を懐かしんだり、涙を流したりしたら、また笑われる。

あんたにも人の心があったのか とあざ笑われる。そんな気がする。

 

そして傷つくのが怖い。

どうせ誰も守ってくれないし、と思っている。

 

そうなんだ。いつもひとりで頑張ってきた。

誰にも助けを求めないのがいいことなのだと思い込んで、

「ひとりでできるもん!」でほめてもらえると思って、

何もかも一人で背負い込んできた。

 

少しは変わったと思っていたけれど、

まだまだ根っこの部分は変わっていないんだなぁ。

根っこの大きな大きなかたまりは何一つ溶けていないんだなぁ。

 

残りの人生、このかたまりと向き合っていくしかないなぁ。

しんどいけど、、、あるものはあるんだから、無いことにしたって仕方ない。

 

で、もうずいぶんとお休みをしていたけれど、

カウンセラーとして活動していくことも、やめることにしました。

「私がどうにかしなくちゃ」を卒業したいと思います。

 

心屋カウンセラーを名乗っていた頃に出会ってくださった皆さん、

応援してくださった皆さん、ありがとうございました。


あと1回だけ更新してこのブログも終了しようと想います。
ありがとうございました。

【自分で強制終了しちゃった(おまけ)】

 

  

 

おまけです。

 

入院中はネットから遠ざかっていたのも良かったかも。
スマホは持参してたけど、WiFi環境ではなかったので好きなだけ使うのは難しかったし。
で、普段は見ないテレビをたくさん見ました。

 

といってもほとんどがEテレ(昔の教育テレビ)で、

語学系の旅するイタリア語、スペイン語、ドイツ語はほぼ毎回見ていました。

 

今のEテレは下手なバラエティ番組より面白いかも。

 

旅する○○語のシリーズは従来の語学番組とは大きく違って、

1人のゲストが現地のガイドさんと一緒に

その国の言葉(簡単なフレーズ)を使いながらあちこちを巡る内容。

 

さすがNHKと思ったのが、

そこらの旅番組ではあまり取り上げない(られない)ような場所も取り上げていたところかな。

ブラタモリの独特さにも通じるような感じ。

 

イタリア語は東儀秀樹さん
スペイン語は平岳大(ひら たけひろ)さん
ドイツ語は別所哲也さん

それぞれが自分の興味のある場所を巡っていたので見ていて楽しかったです。

 

東儀さんって和の人かと思っていたけれど、

昔からイタリア大好きで、仕事も兼ねてイタリアには何度も行っていたとか。

で、知っている単語をつなぐことはしていたけれど、きちんと勉強したことはなかったと。

 

しかも、いわゆるお勉強スタイルが大っ嫌いなうえにせっかちなんだそうで(どちらも意外でした)、

今回の仕事もチャチャッと片付けてとっとと帰ろうと思っていたとのこと。


だけどいざ行ってみると言葉が自然に身に付いていく感じで

毎日楽しくて仕方がなかったみたい。

その感覚、わかるなぁ~。

 

スペイン語の平さんはある程度話せる人だったらしいけれど、

東儀さんは本当にその場で覚えてどんどん使って身に付けていく感じでした。

 

で、、、私も影響されて、このところイタリア語三昧です。

 

YouTubeにアップされているイタリアの料理ビデオ、

イタリア人のルパン三世ファンが作ったという実写ビデオ、

 

 

↑は英語字幕版。

アップされた当初は日本のファンの間でも神ってると話題になったようです。

 

他にもGoogle翻訳を駆使しながらイタリア語のキーワードで検索しています。

 

イタリアの料理ビデオを見ていると、日本の神っぷりがよくわかる。。。
イタリア人シェフが紹介しているイタリア料理の動画、、、めちゃいい加減 (;^_^A

 

というか、イタリアではあれが普通なんだろうけれど、

日本人の感覚からすると、ちゃんと洗えよ!とか、

その切れっ端どうすんだよとか、

盛りつけが超テキトーとか。

 

いくつか見た中で最高に吹き出したのが、チーズをパンで挟んで揚げる料理で、

揚げているうちにパンがはがれてチーズがはみ出してしまうもの。

 

油から引き揚げようとした時点で「オララ~@@;」となってチーズがはみ出して、

皿に載っけて何とか中に押し込むという、

日本の料理番組では考えられない大失態Σ(゚д゚;) (←あくまでも日本的感覚だけど)。

 

でも多分ライブ番組ではないはずなのに、

取り直しもせず編集もせず、そのまんまオンエアというのがいかにもイタリアらしいというか。。。


こちらの8分40秒あたりからをご覧ください ^^;

言葉がわからなくても楽しめます。私もほとんどわかってないし。

 

 

ちなみにこの動画はGambero Rosso社( イタリアのグルメ専門出版社 )の公式版のようです。

ということはテレビで放映されたものではないのかも。

でも、、、本番でアレだったら日本では撮り直すか編集するよね。。。

 

何でもイタリアではテレビ番組の時間もテキトーらしく、

番組表では○○時からニュースとなっていても数分前後するのは当たり前とか。
しかも夕方から夜になると15分くらいのズレは普通に生じるらしく、、、
日本では考えられないなー。

 

でもね、どちらがいいとか悪いとかではなくて、

日本では当たり前のことが全然そうじゃない「先進国」も世界にはあるんだなぁということです。

 

とはいえ、もしイタリアに住むことになったら、、、

いろいろな違いに最初はショックを受けて嫌になったりするかもしれないなぁ。。。

食べ物はおいしいという話しだけど。

 

以上、おまけでした。

 

※ 「旅する」シリーズは4月から再放送するそうですよ。

【自分で強制終了しちゃった ③】

 

 

 

今回は病気ではなく怪我だったので、骨折したところ以外は元気そのもの。
同室の人たちもまったく同じで、4人部屋の人たちといろいろなことを話せました。

 

積極的に人と関わっていく。。。
これ、私的には「あり得ない」ことでした。

 

でも、何だろうなぁ、やはり「同志」って感じがあったのかなぁ、

ちょっとした挨拶に始まって他愛もない話し、ちょっと深い話し、

いろんなことが自然に話せたなぁ。

 

それがとても心地よかったし、とても自然に振る舞えました。

 

その中で「ああ、やはりそうなんだなぁ」と思ったのが、

人は自分の色で世界を塗っているし、

塗った色にぴったりの現実を引き寄せているんだなぁということ。

 

誰もが問わず語りに自分の人生を語っていたけれど、

 

「頑張らなくちゃダメだ」という世界観の人は

「頑張らなければならない現実」を引き寄せているし、

 

「人と関わるのは楽しいことだ」という世界観の人は

人と楽しく過ごせる現実を引き寄せているし。

 

で、私はどうなんだろう?

自分のことはわからないものです。

 

でも、わからない自分=ダメな自分 という公式が消えたので、

自分のことがわからない自分もOKになりました。

そして、1つ1つ見つけていけばいいやと素直に思えるようになりました。

 

思い込みって思っていた以上にいっぱいありそうだし、
以前はそういう思い込みを1つずつ見つけては

つぶしていかねばならないんだ って思っていたけれど、
今は、残っててもいいって思えます。

 

人生短いんだし、どーせ全部つぶせるわけないし。
変な思い込みが残っていてもいい。

それも自分、それが彩り豊かな私の人生を作ってくれるんだって思える。

 

思い込みのせいで苦しむのなら解消した方がいいけれど、
残っていたらダメとか、苦しむのがダメだってことじゃない。

 

ただ、苦しいよりは楽な方がいいけどね。
だから思い込みを見つけたら楽になるよってだけの話しで。

 

こんなふうに以前よりもふわっとなったのも入院生活のおかげかも。

 

やっぱねぇ、それまで「普通に」できていたことができなくなって(だから強制終了なんだけど)、

どんだけ自分に無理したり嘘をついたりしてきたかってことを感じざるを得なくなったら、

人生、変わるよ。

 

まぁ、なかなかいい体験でございました。

といっても人に勧めてるわけじゃなくて、強制終了も悪くないよーって話しでありました。

 

ああ、そうそう、自分の思い込みの有無を見つけるには、

自分が廻りにどんな人を近づけているかを見るのが一番かも。

 

今回の入院で同室になった人たちは気のいい方ばかりだった気がするし、

どの方とも気持ちよく過ごせたなぁ。

ということは、、、人は鏡だから、もしかして今の私はそうなのかな?

 

どの方も嫌な感じがなくて、たまに見えるこだわりもそーなんだーと思えるだけで、、、

ということは、私も自分にOKを出せていたってことかな?

 

そうそう、リハビリが始まってつくづく思ったのは、

人には回復力があるってことでした。

 

もちろん自分一人の力じゃないし、

手術してくださった先生、

それを支えてくださったスタッフの方々、

日々の看護をしてくださった方々、

三度の食事を作ってくださった方々、

薬を手配して届けてくださった方々、

病院の清掃をしてくださった方々、

病院がシステムとして機能するようにそれぞれの持ち場で役割を果たしてくださった方々、、、

多くの多くの方々のおかげではあるけれど、

最後の支えは人間が持つ回復力何だなぁと。

 

で、回復力ということで一番感動したのは90歳のおばあさんの一言。

 

もう90だし、死ぬまで動けないだろうなって思ってたけど、

リハビリで昨日までできなかったことができるようになるんだよねぇ。

人間には回復する力があるんだねぇ。

 

人間って本当にスゴイ!

【自分で強制終了しちゃった ②】

 

 

最初のうちは自分の状態を受け入れることができませんでした。

 

頭ではわかるんです。

ああなってこうなったからこうなってるんだってこと。

 

でも、頭と心(気持ち)が結びつかないっていうか、、、何か夢を見ているようでした。

この状態は世を忍ぶ仮の姿、本当の私はどこか別のところで暮らしてるんだ、っていう感じ。

 

そしてね、、、実は昨年の夏からいろいろなことがあって、

様々な人の怨念に突き落とされたんじゃないのかって気もしてたんです。

(これについては詳しくは書きませんが、あくまでもプライベートでの話しです)

 

でもね。伊達に心屋塾マスターコースに行ったんじゃないんだなぁって思ったのが、
それも含めて「自分の中に答えがある」んだって思えたこと。

怨霊・・・?と思おうとしているのも自分なんだって思ったのです。

 

いや、もしかしたら本当にそういうこと(怨霊)ってあるのかもしれないけれど、

怨霊説と強制終了説のどちらがいい?と自分に聞いたら

強制終了説の方がいいやと思ったのです。

 

怨霊に怯えるのは気持ちよくないしね。

それに実際、強制終了が必要なタイミングだったんだろうなって思えたし。

 

で、まぁ、怨霊だったにせよ自分で選んだ強制終了だったにせよ、

長めの入院生活でいろいろな感覚が変わったのは事実です。

 

以前よりは気持ちが楽になりました。


で、頭と心が一致し始めたのはリハビリが始まってからでした。
それまではベッドで寝ていることしかできなかったし、それはそれで楽しかったけれど、

(上げ膳、据え膳、掃除洗濯しなくていい! 天国と極楽が一度に来た感じ 笑)

リハビリでは別の楽しさが加わりました。

 

日々物理的に変わっていく自分を感じる楽しさ。
昨日までできなかったことができるようになる嬉しさ。

 

自分より先を行っている人を見ながら、

自分もああやって回復していけるのかと希望が持てる楽しさ。

 

明るく広いリハビリ室で、同じように回復に向けて頑張っている人たちを見ていると、

それだけで笑顔になっていく。

 

心屋では「頑張らなくてもいい」というけれど、

その意味は「頑張りたくないことは頑張らなくていい」っていうこと。

 

本当は嫌なのに、本当はしたくないのに、って思っていることを

「いやいや、それじゃダメでしょ!」って頑張るのなら、それは頑張らなくてもいいこと。

 

でも、頑張ることが楽しくて、嬉しくて、もっと頑張りたいと思えるなら「頑張ってもいい」。

 

とはいえ、リハビリで端的に現れるのが「頑張りすぎ」。

痛みが出たり腫れがひどくなったりするまで頑張らなくてもいい。

むしろ、そこまで頑張らないのが大切。

 

そんな、「頑張り」に関するオンとオフも学んだ気がします。

 

あと、誰のために頑張るのか? というところもポイントかな。

リハビリで頑張っていたとき、誰の笑顔も思い浮かばなかったもの。

 

頑張らなくてもいいことを頑張っていたときは、

今から思えば、誰かを笑顔にしたくて頑張ってたもんね。

 

それは母であったり、夫であったり、周りの人であったり、お客様であったり、自分自身であったり。。。

 

でもリハビリでは誰の笑顔も思い浮かばない代わりに、すでに笑顔になっていたもんな。

 

自分も含めて「誰かを笑顔にする」ために頑張ると無理が出るのかもしれないなぁ。
放っておいても笑顔になっているときが、頑張りたいことを頑張っているときなのかも。

 

これも学びの1つだったんだなと、今気づきました。
(続く)

お久しぶりのかよ子です。

 

1つ前の記事にも書きましたが、自分で強制終了してしまいました。

で、そうなってみて気づくことがいろいろあったので

久しぶりに記事をアップしてみようと思いました。

 

更新しなくなって長いので

どれだけの方の目に触れるのかわかりませんが、、、

書いてみたいと思います。

 

で、相変わらず長くなりそうなので、何回かに分けますね。

 

 

【自分で強制終了しちゃった ①】


1月下旬から3月下旬まで、8週間ほど病院暮らしをしていました。

 

以前も入院したことはあったけれど、ここまで長いのは初めてでした。

で、いろいろ学ぶところ、感じるところがありました。

 

まず、どういう強制終了だったのかというと、骨折です。

慣れない場所で(物理的に)道を踏み外してしまい、1m近く落下してしまいました。

 

それは母が入居している介護施設に面会に行ったときのことです。

 

日も暮れお腹がすいたので、近くのコンビニでお弁当でも買ってこようと外出したのですが、

そのときなぜかふと「こっちを行けば近道になる」と思ってしまったのです。

 

気の迷い・・・というのがピッタリな感じ。あるいは魔が差したというか。
誰かに耳元で囁かれたような、こっちだよ~と背中を押してもらったような、そんな感じもありました。

 

慣れない場所で街灯もなく、まだ暗さに目が慣れていないタイミング。

 

いつもならまっすぐ行くところを、一歩踏み出した「別の道」。

それは道ではなく、1m下にある空の用水路だったのです。

 

1歩、2歩、3・・・あれっ? 道がない!!
落ちてる!わたし落ちてるよーーーーーーっ!!

ドサッ!!!

あっという間の出来事でした。

 

くるぶしに少々痛みはあるもの、立ち上がれる! 大丈夫だ!!

良かったー、まぁ捻挫くらいはしたかもね、とその時は思ったものの、

あとでわかったのですが、実際は右足を骨折していました。

 

何とか用水路から脱出し、ひどい出血をしているにもかかわらず

「お弁当、、、お弁当。。。」と当初の目的を果たし、

施設に戻って応急手当をしてもらいましたが、踏み出すたびに痛い。

 

けれど意地と根性で翌日埼玉の自宅に帰ってきました。

(飛行機の予約もしてあったしね)

 

で、2~3日寝ていたのですが、痛みは少しも良くならない。
念のために・・・と受診した整形外科で骨折が判明、

紹介状を書いてもらって入院することに。

と、ここまで事故から1週間。

 

その後ちょっとした紆余曲折があり、

「こういうケースも珍しいですね(苦笑)」と言われながら予定が延びて

手術にこぎ着けたのが事故から3週間目。

 

手術の翌日からリハビリが始まり、事故から9週間目でやっと退院してきました。

ふーーー、長かったなぁ。

 

いつの間にか2月が終わり、

いつの間にか3月も終わろうとしていました。。。
(続く)

お久しぶりのかよ子です。

 

実は、、、自分で強制終了ボタンを押してしまって、2ヶ月近く入院生活を送っていました。

今日、久しぶりにアメブロにアクセスしたら友人からメッセージをもらっていました。

遅くなったけど、さっきお返事を書きました。

 

その中で自分で気づくこともあったので、一部をこちらにもアップします。

メッセージは一定期間しか保存されないので備忘録をかねて。

 

その後で、久しぶりの記事もアップしようと思います。

強制終了になって気づいたことがいろいろあったので。。。

 

ではまず友人へのお返事からです。

 

*****

 

お返事がとても遅くなったけれど、メッセージありがとう。

 

実はこれからブログにアップするのだけど、
ワタシ、自分で強制終了ボタンを押してしまって、
1月末から3月末まで入院していました。

 

足の骨を折ったの。
手術してリハビリして、1週間前に退院してきました。

 

(中略)

 

まだすばやく動いたり、走ったり、車の運転したりはできないし、
家事も十分にできないし、重いものを持って動いたりできないし、
買い物にも一人で行けないけど、
のんびりした日常生活は送れています。

 

私も年金生活者になったし、入院したことで仕事に対する考え方というか
感覚も大きく変わりました。

 

仁さんがいっていた「何もしなくても、存在しているだけで価値がある」というのが
感覚としてわかったし、自分が本当はどうありたかったのかもわかってきました。

 

やっぱこういうことがあると人は変わるねぇ。

「それはない」と思っていたことにすら気づいていなかった生活を
これからはしていこうと思います。

 

「頑張らなくていい」の意味もやっとわかったしね。
なので、(私にとっての)頑張らない生活をこれからはしていこうと思います。

 

みんな頑張ってるんだろうね。
したいことで頑張れるのは幸せなことだもんね。
私の頑張るはそこにないんだってわかったのが強制終了での一番の収穫だった気がします。

 

お返事を書きながらまた気づくことがありました。
重ね重ねメッセージありがとう。

 

ではまたいつかね。
かよ子

逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ・・・
というセリフが一世を風靡した時代があった。

 

逃げちゃダメ?

 

いやいや。
逃げろ。
ちゃんと逃げろ。
一番「ありえない」方向で逃げろ。

 

そしたら、逃げていなかった自分も見つかるから。

 

***

 

長くブログをお休みしていました。
と書くと再開宣言みたいだけど、そうじゃない。

 

まだまだお休みが続きそうです。
が、年の瀬に気づいたことをアップしたいと思って久しぶりに書きました。

 

諸事情から自分の世界に引きこもっていますが、
アウトプットをやめてみたら
これまで見損ねていたものが見えるようになってきました。

 

「頑張って」アウトプットしている人には、発信しないこともおすすめです。
自分とちゃんと向き合ってから出しても遅くないよ。

 

ではまた。
かよ子でした。

 

Have a happy new year!

10日ほど留守をして、昨夜帰宅しました。

 

私のことなど忘れ去っているかと思ったら、さにあらず。

淋しかったらしく、今日は早朝からついて回ります。

 

カメラ目線ができなくなっている。。。

 

夫はエサやりに厳しくて、出したのを食べきらない限り次を出さないから・・・

抱えてみたらかなり軽くなっていました。

 

わが家は「おやつ」と「ごはん」が用意してあって、私はごはん担当。

「ごはん」というのは動物病院で購入しているダイエット用カリカリです。

 

「おやつ」は市販のカリカリ。

おいしいけど、そればかりだとメタボ街道まっしぐらになってしまう。

 

で、夫はおやつ担当。

そちらのおねだりには弱くて、じーっと見つめられるとつい心が折れて

2食目、3食目を出してしまうというていたらく。

 

内猫で外で遊ばせないこともあって、ダイエットは難しいです。