クラシック111チャレンジ3枚目。
ショパン:24の前奏曲、ピアノソナタ2番。

演奏はマルタ・アルゲリッチ。
セットで書かれた「24の前奏曲」のあと、
単独でリリースされた「前奏曲25」「前奏曲26」を収録。
さらにその後ろに、ピアノソナタ第2番「葬送」4曲を収録しました。
というCD。

録音は、「24の前奏曲」が1975年10月22日〜25日。場所ミュンヘン。
25と26が1977年2月1日。ワトフォード。
「葬送」が1974年7月8日〜11日。ミュンヘン。

本日は「24の前奏曲」。

一度聴いて気付くのは、「あ、太田胃酸だ」ですよね。

7曲目がこの、超お馴染みの曲です。

クラシックって、「長くて」とか、「全部同じ曲に聴こえて」みたいなのがよくあると思うんですが、この「24の前奏曲」は真逆を行く。
演奏時間は一曲あたり、1分未満。
しかも、一曲ごとの曲調が全く違う。
短くて濃い楽曲がメドレー形式に繰り出され、飽きません。
びっくりするほどキャッチーです。

それで気になるのは、「前奏曲って何?」ですよね。

前奏曲Wikipedia

…乱暴に要約すると、「本編の前のアドリブ演奏をちゃんと譜面にした物、もしくはそれ風の曲」ということですね。
「いや、ちょっとしたアドリブ的アイディアっすよ」という、比較的敷居低めに、自由に作れる雰囲気があります。
ああ、だから一曲ずつがこんなに短いのか。

じゃあ、ショパンの「24の前奏曲」がどういう曲かというと…

…ポイントは三つ。

①15番は有名な「雨だれ」だよ。

②ハ長調→平行短調のイ短調→ハの5度上のト長調→平行短調のホ短調→ロの5度上のニ長調…と規則正しく全ての調を網羅する構成美。

③1839年1月にマジョルカ島で完成した。

ショパンは、1810年から1849年まで生きていた人です。


1789年にフランス革命が起こって。
1804年にナポレオンが皇帝になって。
1827年にベートーヴェンが死んで。
1830年にフランスで七月革命が起こって。
1848年にフランスで二月革命が起こって。
同じ1848年に、マルクスの「共産党宣言」が出版された。

まあ、激動の時代です。

こんな大変な時代にショパンが付き合っていた彼女が、ジョルジュ・サンドです。


「24の前奏曲」は、この2人の「マジョルカ島への愛の逃避行」の真っ最中に書かれた曲です。
ショパン28歳、ジョルジュ・サンド34歳。

天気は大荒れ。
ショパンの体調は最悪。
まともな医者もいない。
いいホテルも取れなかった。
しかも、本国から輸送していた愛用のマイ・ピアノがなかなか来ない。
来たと思ったら、600フランも関税をせびられる始末。

彼女がお金を払ってくれたので(しかも引き下げ交渉までしてくれて、関税は半額になった)、ようやくピアノを受け取れた。
ショパン大喜び。
「24の前奏曲」はじめ、多くの主要曲を、5週間で書きまくりました。
めでたい。

…という、結構大変なバック・グラウンドを持つ楽曲なようです。
マジョルカ島の滞在は間違いなくショパンの寿命を縮めたと思われ、ショパンは命と引き換えにこの曲を書いたということでしょう。

…それにしても、このトラックもない時代に、どうやって離島までグランドピアノを運んだんでしょう。
ショパンとしてはどうしても、マイ・ピアノじゃなきゃだめだったんだろうなあ。
YOSHIKIもマイ・ピアノをどこにでも運ばせる人で、「芸能人格付けチェック」の控室に運んだりしてましたが、時代・場所的に、ショパンがかけた労力はその比ではありません。

いずれにしても、命をかけ、コストもかけて作った「24の前奏曲」。
私としても、心して聴きたいと思います。