現代の日本においては、
「勝ち組」と「負け組」…なる分類がある。
使う側の事情でいろいろな理屈がつけられているが、
つまりは「勝ち組」とは金持であり、「負け組」とは貧乏人だろう。
で、俺はどちらに分類されるかというと、
間違いなく「負け組」ということになるわけだが…。
最近本当に俺は「負け組」なのかと思うことがある。
「負け組」である俺の周りには「勝ち組」が多い。
で、彼ら「勝ち組」は、
俺の事情を察していろいろ気遣いしてくれたり、
金は呉れんが、モノを恵んでくれたりする。
で、俺は有難くそれらを頂戴しているのさ。
これって「負け組」ではないだろう。
だって「負け組」って言うからには、
当然「勝ち組」に対する嫉妬や羨望という、
欲得の裏返しである歪んだ感情を持っているわけだから、
恵んでもらうということ自体に抵抗を感じるだろうし、
人によっては「馬鹿にされた」と思って怒りだすかもしれんだろ?
俺はそういう「負け組」として持つべき感情が欠落しておるのだ。
いやプライドはあるよ。陶芸で食うんだっていうプライドはね。
でもそれは銭のあるなしとは全く関係のないことで、
成功して「勝ち組」となった友人を俺は大したもんだと尊敬するし、
そんな彼らからモノをもらっても、奢ってもらっても、
単純に「有難いことだ」としか思わんのだよ。
むしろ、彼らがどれほど神経をすり減らして生きているか知っているから、
毎日幼稚園児の如く嬉々として粘土を捏ねている俺としては、
彼らに申し訳ないなぁ…と思うわけだよ。
つまり俺は「勝ち組」と「負け組」以外に、
「制外の者」が存在するんじゃないかと思う。
俺らイチ抜けた…という存在だな。
きっと俺は「制外の者」なのだと思う。
「乞食」と言っちまうのは言い過ぎだが、
例えば高田渡みたいに自由自在、
好き勝手に生きている存在だと思う。
かつて俺は確かに土俵の上で相撲を取っていた。
勝ちたかったし、勝とうとしたし、負けたくないと思っていた。
だが難病を患って障害を負い、
相撲が取れなくなった俺は土俵を下りざるを得なくなった結果、
それまで持っていたもの、信じていたものを全て失った。
以来、俺は勝ち負けとは無縁の世界で生きているわけだ。
勝ちたいと思ったとて、そもそも昔のように相撲が取れん。
いや…結局人生なんてもんは死ぬまでの暇潰しに過ぎん。
人間として、もし可能ならば果たすべきことはただひとつだけ…、
子孫に自分のDNAを残すことだけだ。
すなわち既に子どもがいる俺は、
もはやこの世において「無用の存在」なのであって、
あとはどこかで野たれ死んだっていいのだよ。
それでは身も蓋もない…と捉えているうちは、
信ずるままに再起を目指すのもいいが、
現実は人生、無為なものに終わるはずだ。
そうした認識を踏まえた上で、
欲得に拘らない「制外の」生き方を続けることは決して悪くないと思うし、
他人からどうこう言われる話でもないだろうと思う。
欲得抜きで他人と付き合うと、相手の本性が見えてくる。
というよりも…、
欲得で人間を判断する奴は俺のような人間を一切顧みないわけで、
こちらから無理に付き合う必要がないから楽である。
逆に、「制外の者」である俺にモノを恵んでくれる奴や助けてくれる奴は、
「勝ち組」だろうが「負け組」だろうが、
間違いなく信用するに足る人間だと思う。
だから俺は何の躊躇もなく彼らの志を喜んで受けるのだと思うし、
いざとなればたとえ役立たずであっても、
加勢せねばならんと覚悟しているのだよ。