この土日に開催された備前焼まつり…。

“まつり”だから賑わうのはめでたいことだと思うが、

そもそも、何となく気分が高揚している“ハレ”の雰囲気が、

備前焼の作品を売る、もしくは買うに相応しいのか…という部分で、

俺はちょっと疑問を感じてしまうんだよな。


備前焼は相対的に“高級品”として位置付けられていて、

実際に他の陶器より割高ではある。

だからといって備前焼は高級な百貨店や美術商が扱うべきだとは思わんし、

売り手と買い手との間で値引やサービスなど下世話な交渉があっても、

それを以って備前焼の品位を堕としめるとも全く思わない。

俺はそういう視点で疑問を感じるのではなく、

備前焼は客が作品そのものと静かに向き合って、

ゆっくりと対話しながら買って欲しいと思うのだよ。


備前焼って別に綺麗に彩色した陶器でもないし、

綺麗な釉薬が掛っているわけでもない。

つまり備前焼とは“土”と“形”そして“焼き具合”の3点で、

判断するしかないわけなんだが、

それらを判断する際に必要なのは“客の眼”ってやつだが、

だからといって別に目利きである必要はないんだよ。


“良い仕事してますね~”などと、

通ぶって評価する必要はないんであって、

つまり、その作品を手に取りながら、

“この土肌はどうしてこんな質感なんだろう?”とか、

“この壺はなんかユーモラスだよな”とか、

“焦げた部分が何とも荒々しいな”などと、

どう思ってくれても良いから、直接的に感じてほしいわけさ。


そんなふうに作品と向き合うには。

作品の訴えていることを聴き取れる静かな場所と、

作品と対話するだけのゆっくりとした時間が必要だと俺は思うんだよ。

まつりの賑わいの中で浮かれつつ、

雑踏の中で棚や籠に入っている作品を適当に選んで、

“これ下さい”っていう買い方は、

商売としては有難くても、備前焼には相応しくないと思う。


いや、確かに“この人は買いそうだ”と判断するポイントは、

実際に作品を手にとってじっくり眺め始めた人なんだが、

逆に、こんなごたごたしたまつりの雰囲気の中で、

作品と対話させてしまっていることが申し訳ないような気がして、

居たたまれなくなってくるわけさ。


…で、その3に続く。