東京国際映画祭に出品を予定していた中国作品が、
尖閣問題を理由に出品を取りやめることになるかも…ということだ。
良い事だと俺は思うぞ。
本来文化交流とは政治とは無縁であるべきで、
単純に良いモノは良いと評価されるべき類のもんだろう。
政府のご意向で出品しないような某中国の文化や、
政府の思惑による“やらせ”で高く評価されようとする某韓国の文化なんぞ、
まさに糞の如きもんであって無視しても一向に構わんのだ。
もちろん政府の思惑で左右されるような文化に関わっている、
かの国々の制作者の才能なんぞ、
その志を考慮すればタカが知れているってもんだろうし、
もし政府のご意向や思惑で、
出品を断られるような文化イベントがあったとしたら、
逆に出品を断られたことこそ大いに誇るべきであると俺は思うがな。
昔の中国文化は大いに評価すべきものだと俺は思う。
陶磁器で言えば明代の青磁や景徳鎮など、
日本が率先して中国から学ぶべきものであったと思う。
だが、文化大革命で偉大な中国文化は軒並み滅びたんだよ。
今「景徳鎮」なるところで焼かれている陶磁器なんぞ、
瀬戸の陶工が日中友好などという訳の分からん大義名分で、
わざわざ中国に出向いて技術指導したんだろ?
今の景徳鎮は昔の偉大な景徳鎮ではなく、
瀬戸物のMade in Chinaに過ぎないんだよ。
ちなみに現代の景徳鎮の窯場を見学した伊万里焼の大家の先生が、
“こんなもんは伊万里では到底売り物にならん…”と呆れていたそうだぞ。
まぁダイソーで売ってる器に毛の生えたようなもんであるにも関わらず、
中国に観光に行く日本人はあざとい中国人に騙されて、
有難がって景徳鎮を買わされる悲しい現実があるわけだよ。
誰もが本物を見分ける目を持っていないんだから、
そりゃあ騙されても仕方がないと思うよ。
それより俺が由々しき問題だと思うのは、
瀬戸の陶工が“日中友好”名目で技術を伝えて地ならしした後、
東海地方の製陶会社が中国に進出するなどして、
かつ中国人も磁器が儲かることに味をしめた結果、
中国で安価なMade In Chinaの瀬戸物が大量に生産し始めたことだ。
その結果“なんちゃって景徳鎮”な磁器の洋食器が、
世界中に席巻したわけだが、
その結果として英国の至宝・ウエッジウッドは倒産してしまった。
まぁよその国のことは知らねえ…としてもだ、
日本の窯場だって相当被害を被っているぞ。
例えば京都の料亭も最近はコスト意識だか何だか知らねえが、
高価な清水焼を避けて、“なんちゃって景徳鎮”な瀬戸物を、
当たり前の如く使うようになってきている。
清水焼の相当名の知れた大家であっても、
工房を閉めて陶工を解雇し作家となったり学校で教えたりして、
生計を立てているケースが目立つぞ。
清水焼…これは間違いなく日本が守るべき伝統文化だ。
時代の流れやらグローバル化なんぞで滅ぼすべきもんではなく、
日本人自らが意識して守るべきではないのか?
ギターやドラムなら初心者が中国製の安物を使うことで、
次第に上達することで逆に本物の楽器が欲しくなるから構わん。
だが清水焼と“なんちゃって景徳鎮”のように、
単純に機能だけで比較したら大して変わらず、
逆に「安けりゃあいい」という結論になってしまうものもあるのだ。
食えないとなれば跡継ぎなんて期待できないのは百姓も陶工も同じさ。
そうやって伝統文化は衰退し滅びていくんだよ。
この流れをどう捉え、どう行動するかで、
俺は民度って奴が決まって来ると思うし、
逆に“日中友好”の大義名分の元、
この流れの尖兵になった瀬戸の陶工を呪うぞ。
だから、日中友好なんて戯言はやめちまえってことさ。
話がずれちまったが、
かつて欧州の王侯貴族を魅了した珠玉の景徳鎮でさえ、
文化大革命で根絶やしにされたのだから、
他の中国文化が無事でいるわけがないさ。
過去の中国文化と現代の中国文化は完全に分けて考えるべきであって、
現代の中国文化が果たして世界に誇るべき類のものかどうかは、
まさに東京国際映画祭での出品取りやめを見れば分かるってもんだよ。
そもそも世界と比べることすら憚れるレベルじゃないのかな?