河南スタイル…聴いたこともないが、
Youtubeで何億回も視聴されているなどと騒がれていたな。
で…やっぱり“やらせ”だったじゃないか。
朝鮮モノはすべからく日本モノや中国モノのパッチもんと、
太古の昔から相場が決まっているのだ。
なぜ21世紀になったとたんに、
ずっとパッチもんだった朝鮮モノが、
普遍的なオリジナリティを持たねばならんのか?
大体、世界で何億も視聴されている程の有名な楽曲を、
毎日ネットラジオやAM、FMを聞いて仕事をしている俺が、
知らんわけがないではないか。
いや、別に聴きたくもないし、無理して聴く必要もない。
敢えて聴く価値もない楽曲だろう。
20年ほど前、俺は統一教会員を奪回させたことがあるが、
韓国人の爺に洗脳されたそいつは、
俺に統一教会内部で読まれている新聞記事を見せてくれた。
その記事には“日韓トンネル着工”とあり、
新潟県側のトンネルの入口の写真が載っていた。
で、その写真の傍らに、
当時マスコミで活躍していた政治評論家の細川隆一郎が、
“日韓友好のためにトンネルは必要…”などと、
よく読めば当たり障りのない社交儀礼的内容だが
逆に言えばどのようにも受け取れる内容のコメントを寄せていた。
その新聞記事を見て俺は“よくでっち上げてあるなぁ…”と思ったよ。
同時に統一教会なる組織は、
小学生だって信じないようなファンタジーなねつ造すら、
客観的事実として洗脳してしまえるのか…と思って戦慄したぜ。
だが、その後経済発展を遂げた韓国のノリを知って、
統一教会の“やらせ”のノリは、
カルト宗教独特のノリと言うよりも、
むしろ朝鮮民族の古来から現代まで繫がる、
伝統的かつ宿命的ノリではないかと考えるようになった。
統一教会のノリこそが、まさに朝鮮半島のノリなのだと俺は思う。
外側の人間にとってはねつ造と欺瞞による“やらせ”であって、
内部の人間にとっては“価値のある真実”となるのだ。
そう、河南スタイルなる糞の如き楽曲が、
ねつ造と欺瞞という“やらせ”を経ることで、
韓国人にとってはポップスの歴史に刻まれる、
世界的大ヒット曲となるわけだ。
いや、別に朝鮮半島だけで騒ぐ分には、
The BeatlesとPSY(名前しか知らねえ…)が同列に扱われていても、
別に構わないのではないかと思う。
そりゃあ他国の人間からは“アホか”と嗤われるだろうが、
朝鮮半島の人間にとってみれば、
皆が“わがPSYはBeatlesを超えた”と信じているのだから、
別に他国の意見何ぞ関係ないのだ。
朝鮮半島は西洋的合理主義とは別次元の世界なのだと思う。
日本は欧米の合理主義が浸透しているから、
ああいう“マンセー”的自己中を忌み嫌うが、
好き嫌いは別にして、
ああいう価値観も世界もあるということだろう。
ではなぜああいうノリになってしまうのか…。
そこまで深く考えたことはないが、
隣に中国の如き文化先進国、
かつ横柄で偉そうな国がずっと存在する中で、
ともすれば朝鮮半島の文化や経済などが、
いつしか中国と同化してしまうことを恐れた朝鮮民族は、
民族としての存在意義を持つために独自性を求めたんだが、
そもそも朝鮮半島には中国と比較する価値のあるもんがないから、
“やらせ”もありだよね…ということになったのではないかと思う。
つまり“やらせ”なしでは他国と渡り合えないし、
維持もできないのが朝鮮半島なのだと思う。
“やらせ”でなければ韓流ではないのだ。
だが、所詮は“やらせ”であることを忘れてはならんだろう。
結局のところ、一番馬鹿を見るのが、
統一教会に洗脳されて世間から馬鹿にされる輩のように、
“やらせ”の韓流に踊っている輩ということになる。
すなわち韓流に踊っている輩とは、
統一教会の“やらせ”である、
日韓トンネル着工を真剣に信じて祝っているような輩ということだ。
個人の嗜好だから韓流好きでも構わんが、
あまり周囲に“韓流最高!”などと吹かん方がいいと思うぞ。
実は統一教会ってよそ者にとっては恐るべきカルトなんだけど、
信者にとっては凄く居心地が良いパラダイスなんだってな。
韓流好き同士が新大久保で盛り上がっているのと、
同じようなもんなんだろう。