日本では、ハト派、タカ派と表現する時、
ハトは友愛や平和、
タカは武闘や戦争のイメージで使われる場合が多い。
そもそも、鳩も鷹もかつては動物兵器として使われてきた。
伝書鳩は情報を伝える“空の伝令兵”として、
そして鷹はその“伝令”を捕まえる“空の歩哨”として…。
どちらも“兵士”であり戦争に加担したという意味において全く差はないのに、
なぜハト=平和なのか、俺には理解できないぞ。
基督教の世界では鳩が平和の象徴だというならば、
そもそも日本は基督教国家ではないし、
基督教信者は戦争をしないなどと言ったら子どもにさえ笑われよう。
全ての宗教がすべからく鳩を平和の象徴としているなら俺も納得するが、
日本の神道では烏ではなかったか?
神道を日本の宗教ではなく、
初詣などの催事に代表される日本の普遍的な習俗として捉えるならば、
日本で平和的なイメージを表現するときは、
ハト派ではなくカラス派と表現するのが正しいだろうが。
実際の鳩は虚ろな眼であちこち歩き回り、
人のこぼした食いものを突いて、
人や烏に驚かされればひたすら逃げまどっているくせに、
群れの中では仲間を陰湿に突き追い回すなどして、
弱く、小賢しく、卑怯な鳥である。
鳩はこれっぽっちも平和や友愛ではない。
で、鷹はといえば、
その強力な嘴と爪を持ち、
己の縄張を己の意思と力で守り抜きつつ、
少ない雛を大切に育てる猛禽類だが、
その力と威厳は他の動物から一目置かれ、
己と雛のための糧を得る以外は、
生活を脅かされない限り鷹から襲い掛かることはない。
強い力に裏打ちされている己の縄張の中で、
平和に暮らしている鳥である。
鳩も鷹も、人間界では鳥獣保護法で守られているが、
鳩は悪質な病原菌を含んだ糞を、
マンションのベランダや公園に撒き散らす害鳥として、
都会ではノラ鳩の増加が問題となっている。
片や鷹は田畑を荒らすネズミやモグラなどの害獣を狩る益鳥だが、
人間の都合で森の奥深くに追いやられ、
人間の都合で山の中に建てられた、
風力発電の巨大風車の羽根に打ち落とされるなどして、
絶滅さえ危惧されている。
ちなみに鳩は海外では“旨い鳥”として普通に食用にされている。
日本の鳩が好き勝手にノウノウと暮らせるのは、
ひとえに鳥獣保護法があるからに過ぎない。
海外では何の抵抗もなく撃ち落されて人間に食われている鳥である。
鷹を撃ち落として食った話は知らんが、
そもそも猟師にとって、
鳩を撃つのと鷹を撃つのとでは心理的抵抗感が違うだろう。
鷹の黄色く輝く鋭い眼だけでも、
猟師の照準を狂わせるだけの威圧感がある。
今、日本の国の在り方が問われているけれど、
平和憲法があろうがなかろうが攻めてくる国は攻めてくる。
ひとたび戦争になれば、
日本国内の鳩を守ってくれている鳥獣保護法は実効性を失い、
日本の鳩たちは親鳥も雛鳥も、
手当たり次第撃ち落され食われるだろう。
鳥類同様、人間サマも縄張の中で暮らしている。
少なくとも、ハト派と呼ばれている政治家は、
いざという時に日本も日本人も守るつもりがないことは間違いない。
で、タカ派と呼ばれている政治家は、
いざという時に日本と日本人を守ろうとしてくれるのだろうか?
勇ましいことを言っているが…。
実はトラやクマの威を借る剥製のタカではなかろうな?