焼き立ての焼締花器。


まるの庵のブログ-花器その2

単純に焼いちまえば傷にならんが、

俺の焼き方は作品に無理が掛る焼き方になるので、

特に30センチ以上の器は傷になる可能性が大きい。

しかも備前土は歪むから、

使える器を取るにはいくつも作って焼かねばならない。

窯のスペースから見ると大作は効率が悪く、

貧乏な俺にとっては辛い。


まるの庵のブログ-窯変その1

窯変が出た。

焼締陶といえば窯変だが、

様々な色が出る窯変は薪窯でなければ…とか、

窯変は神のみぞ知る…などという常識を乗り越えて、

俺なりの窯変焼締を目指すことが、

死ぬまでの課題なんだよ。


窯変は物質に物質が影響した結果、

様々な色模様が土の表面に作り出されるわけだから、

要は化学の領域であって、神の奇跡ではない。

だけど、作家としては心のどこかで、

「窯変は神の業」みたいな神秘性を残したいわけだ。


大多数の作家さんは、

何度も何度も焼く作業を「経験」することで、

どのような窯変が出るか把握するもんだと認識している。

だからこそ若い頃から修業して、

師匠の技を盗みつつ何晩も徹夜して窯焚を経験するのだ。


すなわち、この「経験」による窯変会得の常識が、

陶芸界において焼締の化学的解明を遅らせてきた理由でもある。

作務衣をまとった仙人の如き大家でなければ、

窯変を制御できない…そう決めつけてきたのである。


いや、俺はそうした伝統を否定するつもりはなく、

経験による技術の会得というスタイルに憧れすら抱いている。

だが、特定疾患患者であり、障害者であり、

ついでに40代後半のオッサンである俺は、

若くて精力ビンビンの若造の如く、

何晩も徹夜して灼熱の炎と格闘することなんぞ、

どうしたって出来んのだ。

だからといって俺も作家のはしくれだから、

俺なりの器をどうしたって焼きたいわけで

そうなると経験のハンディを化学的分析でフォローせねばならん。


正真正銘、本物の備前焼を、

灯油窯や電気窯で焼くことは不可能であることは、

本物を手にとってじっくり観察すれば理解できる。

あのしっとりとした土肌の深みは、

灯油で1昼夜程度焼いたところで出るわけもなく

薪で2週間以上焼かねば出ないものだろう。


音楽に例えれば、

本物の備前焼は若いうちから優れた師匠について、

しっかり修業すべき「クラシック」であり、

俺のはふと耳にして「おぉ、渋いぜ~」と感動し、

オープンGでしか弾けないギターで、

勝手に始めちまった「リズム&ブルーズ」みたいなもんだ。

これは皮肉でもなんでもなく、

本物の備前焼と俺の焼締を比較するのは相手に失礼だ。


だが…だからといって「リズム&ブルーズ」が、

音楽として駄目ということではない。

クラシックの人間が「あんなもん簡単だ」と嘯いて、

実際にブルーノートを即興で弾いて見せても、

キース・リチャーズにはなれんだろう…ということである。


そう…俺はキースのような窯変を目指しているのである。

The Roolong Stonesを知らん者にはちんぷんかんぷんだろうが…。