焼き立ての焼締花器。
単純に焼いちまえば傷にならんが、
俺の焼き方は作品に無理が掛る焼き方になるので、
特に30センチ以上の器は傷になる可能性が大きい。
しかも備前土は歪むから、
使える器を取るにはいくつも作って焼かねばならない。
窯のスペースから見ると大作は効率が悪く、
貧乏な俺にとっては辛い。
窯変が出た。
焼締陶といえば窯変だが、
様々な色が出る窯変は薪窯でなければ…とか、
窯変は神のみぞ知る…などという常識を乗り越えて、
俺なりの窯変焼締を目指すことが、
死ぬまでの課題なんだよ。
窯変は物質に物質が影響した結果、
様々な色模様が土の表面に作り出されるわけだから、
要は化学の領域であって、神の奇跡ではない。
だけど、作家としては心のどこかで、
「窯変は神の業」みたいな神秘性を残したいわけだ。
大多数の作家さんは、
何度も何度も焼く作業を「経験」することで、
どのような窯変が出るか把握するもんだと認識している。
だからこそ若い頃から修業して、
師匠の技を盗みつつ何晩も徹夜して窯焚を経験するのだ。
すなわち、この「経験」による窯変会得の常識が、
陶芸界において焼締の化学的解明を遅らせてきた理由でもある。
作務衣をまとった仙人の如き大家でなければ、
窯変を制御できない…そう決めつけてきたのである。
いや、俺はそうした伝統を否定するつもりはなく、
経験による技術の会得というスタイルに憧れすら抱いている。
だが、特定疾患患者であり、障害者であり、
ついでに40代後半のオッサンである俺は、
若くて精力ビンビンの若造の如く、
何晩も徹夜して灼熱の炎と格闘することなんぞ、
どうしたって出来んのだ。
だからといって俺も作家のはしくれだから、
俺なりの器をどうしたって焼きたいわけで
そうなると経験のハンディを化学的分析でフォローせねばならん。
正真正銘、本物の備前焼を、
灯油窯や電気窯で焼くことは不可能であることは、
本物を手にとってじっくり観察すれば理解できる。
あのしっとりとした土肌の深みは、
灯油で1昼夜程度焼いたところで出るわけもなく
薪で2週間以上焼かねば出ないものだろう。
音楽に例えれば、
本物の備前焼は若いうちから優れた師匠について、
しっかり修業すべき「クラシック」であり、
俺のはふと耳にして「おぉ、渋いぜ~」と感動し、
オープンGでしか弾けないギターで、
勝手に始めちまった「リズム&ブルーズ」みたいなもんだ。
これは皮肉でもなんでもなく、
本物の備前焼と俺の焼締を比較するのは相手に失礼だ。
だが…だからといって「リズム&ブルーズ」が、
音楽として駄目ということではない。
クラシックの人間が「あんなもん簡単だ」と嘯いて、
実際にブルーノートを即興で弾いて見せても、
キース・リチャーズにはなれんだろう…ということである。
そう…俺はキースのような窯変を目指しているのである。
The Roolong Stonesを知らん者にはちんぷんかんぷんだろうが…。

