私が入院してから、旦那さんから義両親へも入院した事実が伝えられました。

 

その後、義両親からナースステーションに連絡が連日あり、

「電話をするように」と伝言を受けたものの、とても電話できる状況ではなかったため、

主治医が旦那さんに私は電話できない状況であることを伝えてもらいました。

 

その後もナースステーションに義両親から電話があったようですが、

伝言も断ってもらっているため、その後どうなってるか不明です。

 

義両親が私や赤ちゃんについてどう思っているのか、怖くて聞けていません。

 

数日後の転院の日、旦那さんの車で移動する予定です。

その時に、義両親がやってきて、何か言われるのではないかと、

不安で仕方ありません。

 

赤ちゃんの障害について書いてほしいと、よくメッセージを頂いておりまして、

質問されるのでお答えしようと思うのですが、

病名についてカミングアウトは勘弁させてください。

 

そして実際に、赤ちゃんを見ていないので写真と、

出産前から説明されていた内容から分かる範囲で少しお話すると、

(医療者の方で推測できる方もいるのかもしれませんが、、、)

 

先天性の疾患です。

今は自分で呼吸はできていません。機械を外すと、

呼吸が止まったり、回数がとても少なくなるそうです。

ミルクを自分で飲むことは出来ないようです。今は、点滴と、

鼻と口にチューブが入っている写真を見たので、そこから入れてるのかな?

目は閉じていました。身体はタオルにくるんでいたので、見ていません。

 

赤ちゃんに関する情報は、これ以上、私は聞けていません。

 

 

 

精神科病棟に戻ってから、しばらくは、赤ちゃんのことは忘れて、

自分の体の回復のことだけを考えて過ごしていました。

 

しばらく経っても、どうしても赤ちゃんに会うことができず、

実は今現在も、赤ちゃんに会えていません。

私の希死念慮も消えていません。

退院の目途はたたないので、転院することになりました。

(33か月以上入院できない?!という理由もあるそうです。)

 

直接赤ちゃんに会えていませんが、一度だけ写真を見せてもらいました。

一瞬見ただけですが、特に何の感情も感じませんでした。

他人の赤ちゃんを見せられた感覚+可愛いという感情もない。

例えば、犬とか猫とか他人のペットを見て、犬猫好きではなくても、

少しは可愛いなぁ。と思ったりすると思うのですが、

そういう感情すら感じることができませんでした。

 

 

帝王切開は、胸から下だけの麻酔なので、意識はありました。

手術台に横になって30分もしないうちに、

「産まれましたよー。」と言われました。

私の横には主治医の精神科の先生が立ち会ってくれていたので

精神科の先生は私に「赤ちゃんに会ってみる??」と、

聞いてきたけれど、私は「会いたくない」と言いました。

 

手術の翌日も、その次の日も、私は、「会いたくない、死にたい。」と、

言い続けていました。。。そしてすぐに精神科病棟へ戻されました。

 

その日から地獄でした。

赤ちゃんに対する会いたい気持ちも嬉しい気持ちも全くなにも感じなかったからです。

無の感情でした。まるで他人事のような。

それなのに、精神科病棟に戻るとほかの患者さんから

「お帰りなさい。出産おめでとう!」と言われました。

 

私は、夜になると毎晩、なぜか溢れてくる涙に、

とにかく泣いて泣いて泣いて過ごしていました。

 

お腹の赤ちゃんに対して愛情を感じないまま時は過ぎ、

出産予定日が近づいてきました。

その頃になっても私はまだ、「産みたくない。。。」

「なかったことにできるなら、妊娠する前に戻りたい」と言っていたため、

帝王切開で出すことになりました。

それに伴って、産科病棟に移動する前日に夜、

私は、現実から逃れたい一心で、また首に巻き付けていました。

手持ちに紐は無かったので、タオルで頑張っていましたが、

全然力が入らないので疲れるだけでした。

 

私は帝王切開の日は、精神科病棟から直接手術室に行くことになりました。

手術の前の日は強めの安定剤を投与されてフラフラのまま、

翌朝を迎えたのを覚えています。

 

精神科病棟でゆっくりとした時間の一日を過ごすこと約2ヶ月、

すっかり入院生活にも慣れて、作業療法の作品で病室があふれかえるほどに

なっていました。

その頃の私の心理状態としては、自分でもなんと表現していいか複雑なのですが、

(当時、何故か、かなり自己中心的な考え方になっていました。)

入院当初は、生まれてくる児への将来の悲観っていう心理状態だったと思います。

その後、赤ちゃんの病気のせいでこんなに悩んでるんだ。

赤ちゃんのせいで、私は入院することになったんだ。

赤ちゃんなんかいなくなればいいんだ。

 

と、とんでもない自己中心的な考えになってしまっていました。

あんなに望んで妊娠したのにですよ、、、とにかく、お腹の中で

動く物体が憎たらしく、怒りの感情で、いつも胎動があると、

うつ伏せになって、お腹を叩いて、動きがおさまるのを待ちました。

 

本当にひどいことをしていたと思います。その時は、そういう感情しか

思いつかなかったです。

 

毎日午前中と午後の2回、作業療法がありました。

午前中は合唱などの全員で行うタイプのもので、

私は午前中はほぼベッドに横たわっていたので参加していませんでした。

 

午後は個々自由にできるもので、私のお気に入りは塗り絵、パズルでした。

他にも、編み物やボードゲーム、ピアノやヨガやバドミントンなど、

色んな事をして過ごすことが出来ました。

あとは、

プランターに花や野菜を植えていたり(冬だったので何にもない)、

亀を飼っていたので餌やりをしたりしていました。

 

こんな大したことない日常の行事が私にとってはとても重要で、

例えば作業療法中に面会などで、中断されることが、すごく嫌でした。

 

デイルームデビューをしてから、私は昼間にデイルームで過ごすことが多くなりました。

だいたい毎晩よく眠れないので朝食の後は昼頃まで寝て過ごし、

昼食の後は作業療法で過ごして、

夕方はベッドで横になって過ごし、

夕食後から消灯までの間をデイルームで過ごしました。

 

その頃、同じ年の女性とデイルームで話をしたり、

オセロをして過ごすことが多かったです。

周りには週刊誌を読んでいる男性や、囲碁をしている高齢者。

いつも同じメンバーでした。

 

あとは、TVを見て過ごす人が多かったです。

見るというか眺めるだけかな、延々とTVショッピングを見て過ごしたり、

そんなのでも平気でした。TVは見てても内容は頭に入ってない感じ。

 

調子がいまいちで、続きを書きたいのに書けません。。。

 

先生に、閉鎖病棟に戻る可能性もあると言われて、、、

ショック。。。。。

退院したいのになぁ。。。

 

すみません。。。少しづつ書いていきます。。。

個室に戻ってから数日、以前のように衝動的に行動を起こすことはなくなりました。

死にたい気持ちは一日に何回もなるし、手段を考えている自分も居るけれど、

実際には行動は起こしていない。そんな日々でした。

ドクターは入院後毎日、一時間近く、いろんな話をしてくれましたし、

看護師さんは私の身の回りのお世話をたくさんしてくれました。

お風呂に入りたくない私の身体を拭いてくれたり足湯をしてくれたりしました。

 

ある日、今日の夜から、ほかの患者さんたちと一緒に、

デイルームで食事を取るように言われました。

私はその日初めて、ほかの患者さんと接しました。

 

デイルームには大きなテーブルがいくつもあり、座る席は自由だといわれましたが、

なんとなくグループが出来ているようでした。

「あー、グループ出来てるのかな、その輪に入るのは勇気要るなぁ、」と、

立ちすくんでいると看護師さんに、今日はここ座って、と席を指定されました。

私の斜め向かいには50代くらいのおっちゃん。そして私の横には20代前半男性でした。

おっちゃんと20代男性は、病棟内で師弟関係?のような感じで、話をしていました。

 

食事の後、席を立つタイミングをうかがっていたら、斜め向かいのおっちゃんに、

「最近入ったんか??」と声をかけられました。おっちゃんと、20代男性は、

数か月前から入院しているとのことでした。

その日から毎食、食事はそのテーブルですることになり、毎回、ひと言二言ですが、

会話をするまでになりました。20代男性は大学生でした。

この大学生がイケメンだったこともあり、それまで何も食べたくないと言っていた私は、

食事の時間に大学生と話をする目的でデイルームに行っていたのかもしれません。

今となっては食べれるきっかけを作ってくれた大学生に感謝です。(大学生はその後、

開放病棟に移り、退院していきました。)