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special for me

読んだ本から思ったことや聴いたCD・音楽についてなどの雑記。

初の記事ということで何を題材にしようか迷ったけれど、前に一度読んだ本を。

13時間前の未来
リチャード・ドイッチ 著
佐藤耕士 訳
新潮文庫

13時間前の未来〈上〉 (新潮文庫)/リチャード ドイッチ

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13時間前の未来〈下〉 (新潮文庫)/リチャード ドイッチ

¥620
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内容に触れているため未読の方はご注意を!!


内容のあらすじをまとめるといったことはしないが、一応どういったものであるかについて言及しておこう。
これはタイムトラベルものです。
上巻を手にとってさっそく内容に入っていこうとすると、第12章という文字がまず飛び込んできます。
しかし読む順番を間違えているわけではないのでご安心を。
ちょっと変わった趣向ではあるが、読み進めていくとからくりがわかってくる。

内容としてはわりと面白く読んだ気がする。
まずタイムトラベルものを読んだのが初めてだった・・・いや違うな。乾くるみ氏の「リピート」があったっけ。
まあ細かいことは置いておいて。
私が真っ先に考えたのは、最終的には起こる事件はすでに起こってしまったことであり、それを覆すことなど出来るわけではなく、主人公がハメられたまま終わるのではないかと思っていた。貰った懐中時計なんてものも本当は存在しないのではないか、と。
しかしこの物語はきちんと最後までその設定を破綻させてしまうような終わり方はしない。
きちんと正当的に物語を創りあげているところに好感を持ちました。
ただねぇ・・・登場人物が多いんだなぁ。弁護士とか刑事とか美術品コレクターとか警備会社の創設者とかその弟とか犯罪組織のボスとかだれだれの友人とかだれだれの秘書だとか。
主人公とその妻とその友人以外の人間も名前だけで書かれてるし、全部名前カタカナだし。覚えきれなくて正直しんどかったなー。






さて、印象に残った・気になった部分を以下抜粋。

「・・・自分の行動が未来を変えてしまうことになると思ったことはないか?
なにかやったりなにかに反応したりするたびに、それが未来に波紋を起こすことになるわけだろ?」
「釘一本足らずして国は滅びるー」ニックは古いことわざを口にした。
「些細なことがめぐりめぐって重大な結果になるかもしれないってことか」


あぁあそうだそうだと思わせる会話ですね。
そして想像をふくらませる。
たとえば片想いをしているAさんがいたとしよう。Aさんは誰かに相談する。
「あの人のことが好きなんだけど、なかなか告白する勇気がないの」
そしてその相談相手は言う。
「想いを伝えなきゃきっと後悔するわ。頑張って想いを伝えておいでよ。結果はどうあろうとも」
後悔しないように行動あるのみ、まぁよくある考えだ。
しかしもしもAさんが告白をして振られてしまったらどうだろう?後悔はしないと本当に言い切れるか?
私にも経験があるが、告白をして振られてしかもその後も同じ場所に属しているために友達として関わりたいと思っていても相手が気まずいなーと思っていたら友達みたいにはなれない。しかし相手は自分の行動範囲の中にいるから嫌でも顔はあわせなきゃいけないんですよ。生き地獄だ。時間が解決するっていったって、そんな簡単にもいかなかったりもするから、「あぁ言わなきゃ良かったなー」って思うこともあるわけですね。
これは立派な〈後悔)じゃないか?

じゃあ逆に、もしも告白が上手くいったとしましょう。
おそらくしばらくはラブラブな期間はあるかもしれない。しかしそういう時期だけが恋愛ではない。
たとえば、「私は毎日メールもしたい、電話もしたいのにあの人は週に1度しかメールしたくないみたい。私のこと好きじゃないのかな・・・」とか「付き合ってもう○か月も経つのにキスもセックスも・・・ハグすらしてくれないなんて」みたいな悩みが出てくることもあるでしょうね。(っていうか、恋愛って悩みの塊みたいなものですね)
そんなときにふと思う。
「なんで私、あの人と付き合ってこんなに悩まなくちゃいけないのよもうっ!そもそもなんで私、あの人に告白しちゃったんだろう。ずっと見てるだけでいた方が良かったんだろうか」
これもおそらくは、過去の自分の告白したという行動について多少の悔い滲ませてますよね。

過去の自分の行動を思い返してみれば後悔なんて沢山してると思います。
つまりですね、〈後悔する)というのはどんな行動をとってもたぶんずっとついてまわって来ると思うんです。
だから、恋愛相談受けた側としての「後悔しないように伝えなきゃ」っていうのはあんまり考えた結果の言葉ではないかもしれないのかななんて最近の私は思うのであります。
どんな相談受けても、「あー自分の好きにしたらいいんじゃない。あとで後悔してもそれが良い経験になるかどうかは自分次第だと思うからさ、結果とか良くない方向にいっても私のせいにしないでちょんまげ(`∀´)」って言うとかどうなんだろう。実際に言ったことはないですけども。

ここでいうところの相手に想いを伝えるか否かが、その後にどういう風に影響を与えるかは色々考えられるけれど、こういう些細に見える人間の行動ひとつがめぐりめぐって人の人生が出来あがっていくんですね。
はてしないなー。



他の部分も抜粋してみましょう。

どんなに利己的な行動でも、戦争の引き金になることだってあるのだ。


この文で、正義は必ずしも『善』というわけではないのだと私は解釈しました。
ある人にとっての正義でも、それは他の人にとっては正義ではないかもしれない。

人はみんな違う、だからそれぞれが異なる想いや考えを抱えている。
当然のことではあるけれども、こういったことを見失ってしまうことが多々あると思います。
たとえば家族とか。
私は家の洗濯物干したりたたんだり皿洗ったりするっていうのの担当者みたいになってるんだけど(笑)、家族は洗った洗濯物をかごに入れて持ってきて言うんですよね。
「これ干しといてくれる?」って。
それで「あーわかったやっとくわ」って言う。
なんだけどたまーに、ほんとごくたまーに、洗ったと思われるものがかごに入ったまま放置されてることがあるんですよね。それに気付かないで夕方になったころに、洗濯物入りっぱなしのかごを見た家族が「なんで干しといてくれないのー!!ばかぼけたこなす野郎。こんちくしょー」とかって言い出して、「あたし気付かなかったんだよ。そんな辺鄙なとこに置いておくのが悪いんじゃないか。先に言っておくとか紙に書いて見えやすいとこに置くなりしといてくれよ。こっちだけのせいにすんじゃねーあほんだらがこのブタ野郎」みたいなケンカに発展するわけです。
(あぁなんて下品なケンカだろうか・・・なんて意味の無いケンカだろうか・・・あほらし)
このとき私の言い分としては、「言わなくても気付けるっていうのは甘えだ。めんどくさくても、やってほしいならそれなりの態度で望んで然るべきである」です。まぁねーこうやって思ってる私子どもっぽいと思うんですけどねぇ。でもなんか言われっぱなしに腹立ってつい言い返してしまうんだよなぁ。
言ってくれなきゃ洗濯物気付けなかったんだよ!と。

正義といえば、今年起こった東北大地震が浮かびます。
テレビでよく流れていたメッセージ。
「がんばろう、にっぽん」
そしてACのCМ。
何度も何度も繰り返して流されるCМに苛々した人たちが、テレビ局へ抗議をしたそうですね。
大変な人達がいるなかで、そんな小さいことでよく騒げるよなと反論する人もいたと思います。
義捐金のニュースが多く流され、それに対しても「良いことだ」と思う人もいれば、「何良い人ぶってんの。正義面しやがって」と思う人もいたでしょう。
私のところではあまり被害がなかったため、パソコンもテレビも使えましたし、近所のスーパーはかなり品薄になりはしたけれどご飯が食べられないという状況にはなりませんでした。
そんな中で私は、ほんとに多くの人がいろんな状況やいろんな思いを抱えて暮らしているんだなと改めて感じました。だから、どの〈正義)にも良いとか悪いとか言えないのかもしれないとぼんやり思ってました。
ときに犯罪を犯してしまうほどの(正義)もあるのだから。
日々生きているだけで、それは素晴らしいことでもあるし残酷なことでもあるのでしょうか。


生きるということは、時間と密接に結びついています。
タイトルにした言葉は、とても重い響きだなぁとふと思いました。
日本のことわざで言うところの、「光陰矢のごとし」です。

時は逃げていく(時は過ぎ去る)
temps fugit