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special for me

読んだ本から思ったことや聴いたCD・音楽についてなどの雑記。

今まで読み終えた本について。


妊娠カレンダー
小川洋子
文春文庫

妊娠カレンダー (文春文庫)/小川 洋子

¥440
Amazon.co.jp


内容に触れますので未読の方はご注意を。



表紙とタイトルをみたときは、あたたかい気持ちになるような物語なのかしらと思っていましたが裏表紙の内容読んで凍りつきました。
だって、あらすじに「出産を控えた姉に毒薬の染まったジャムを食べさせる妹・・・」って書いてあったんだもの。それじゃ殺人事件!?きゃー怖い怖いなんて思いつつも買っちまったぜい。


これは私の想像ですが、主人公はおそらく大学生くらいでしょうかね。
そして主人公のお姉さんは20代後半かなぁ?
お姉さんが妊娠したことにより少しずつ生じる、主人公の心理なども交え生活描写が続きます。

「毒薬の染まったジャム」のくだりに関しては、主人公のバイト先で売れ残ったグレープフルーツをジャムにしただけのことです。なんだけれども、以前に主人公が友達に連れられて聞いた講演だかで、「輸入されたグレープフルーツは出荷までに毒薬に漬けられている」だとか、「防かび剤には強力な発がん性があり、人間の染色体そのものを破壊する」といったことをきいたなぁと思い出してるんですね。
つまり、積極的に毒を入れてるわけじゃなんだけど、その後店で「アメリカ産ですか?」ときいてまでグレープフルーツを買ってくるぐらいですから、ある意味実験してるとはいえるでしょう。


妊娠によって身体が変化していく姉、精神的にも不安定になってわがままになる姉。
そんな姉を客観的に冷静に見つめている妹。
なんというか、心がないわけではないけれど、「妊娠」ということに対してそれを「おめでたい」というよりも、単なる「事実」として受け止めている部分が無機質で怖い印象です。



「でももっと怖いのは、自分の赤ん坊に会わなきゃならないってこと」
彼女は突き出たお腹に視線を落とした。
「ここで、一人勝手にどんどん膨らんでいる生物が、自分の赤ん坊だってことが、どうしてもうまく理解できないの。抽象的で漠然としてて、だけど絶対的で逃げられない。・・・(略)」


主人公のお姉さんのセリフなのですが、彼女もまた妹のように、自分の妊娠を単なる「事実」として受け止めているようです。自分のことにもかかわらず、「抽象的で漠然としてる」と表現することからそういう感情が窺えます。
「母性本能」という言葉がありますが、女性はどの段階でこの「母性」を発揮するのでしょうか。
私はまだ未婚ですし妊娠の経験もないので、そのへんのことはよくわからないのですが、妊娠をするからといって女性はかならずしも「母性」が生まれるわけではないのかもしれないなと、ふと思います。
たとえば、こども嫌いな女性だとしても、自分のこどもを産めば、可愛いと思うもんだとよく聞きます。
でも、だったら幼児虐待なんていう事件は起こらないはずです。

じゃあなぜ虐待は起こるのか?
おそらくですが、「自分のこどもは可愛い」からこそこどもを産む人が大半だと思います。こども嫌いで出産したのだとしても、結果としてこどもを育てている人というのは、まわりの人間に恵まれているか、自分を「母親」という役にはめることに成功した人だと思います。
だって、虐待でニュースになると言われます。「母親としての自覚がない」って。

よく夫婦などでは、こどもが産まれると「パパ」「ママ」などとお互いを呼び、そうすることによって父親母親という関係性を作っていくのだといわれますけれども、そういうことは意外と大事な役割を果たしているといえるでしょう。やっぱり、「そうなるような環境」を作るというのは、たとえ作為的であっても多少必要でしょう。それに、そういう人たちは比較的、精神的にもわりと安定していると思います。
別に妊娠して、それを「抽象的で漠然としてる」と思うことは構わないでしょう。だって、今まで経験なかったらなおさらだと思います。そこでいかに、自分の役割を意識していけるかだと思いますね。まわりの方の接し方は大事だろうな。こういう時期に、「こどもを産むとはなんぞや」とか考えちゃいかんでしょうな。

だからこの本、妊娠してる人におススメはできないなぁ。(苦笑)


結婚や妊娠の報告をうけると、「おめでとう」と言うと思うんですが
なんで「おめでとう」なのかってところに疑問を持つと、いや・・・あのそれ言っちゃお終いですよねという感じがします。
主人公は、「おめでとう」という言葉を辞書で調べてこの言葉自体に何の意味もないと結論付けてます。
まぁそうですね。他人のことだったらなおさらそうかと思います。
かくいう私自身も、友達から結婚するとか妊娠したという報告を受けたとき、まっさきに「おめでとう」という言葉は出てきたけれども、それ以外にどう言えばいいのかわからなくて、ひたすらおめでとうと繰り返してた覚えがあります。
「良かったね」「おめでとう」、これ以外に何を言えばいいんでしょうか。私にはわかりません。
大事なのは、その人がその後こどもを産んだときであって。
他人はどうこう言えませんから・・・おめでとうという言葉もあまり意味はないですね。
こども産んだ後は金もかかるだろうし自分の思い通りに動けなかったりするだろうし、むしろがんばれっていう感じですかね。でもその分、こどものいる楽しみも味わえるんだろうなと。

おめでたいかは知りません。
が、当人にとって良いことであればいいですね。



とうとう3月。
だいぶ放置してたわけですけれども、まぁ。
ということでちょっくら今回は最近聴いてたCDについて。

倉木麻衣さんの
OVER THE RAINBOW(アルバム)
です。
2012年1月11日
レーベル:ノーザンミュージック

OVER THE RAINBOW/倉木麻衣

¥3,059
Amazon.co.jp

1、Strong Heart
2、another day *another world
3、さよならはまだ言わないで
4、Stay the same
5、Your Best Friend
6、もう一度
7、Brave your heart
8、Sun will shine on u
9、Love one another
10、step by step
11、1000万回のキス
12、ラララ*ラ

シングルは、「Strong Heart」「Your Best Friend」「もう一度」「1000万回のキス」でカップリング曲も「さよならはまだ言わないで」「step by step」が入れてありますね。
てことは、新曲は6曲。

倉木さんのアルバムといいますと、今までは表題曲というのがかならずあった気がします。
あ、FUSE OF LOVEは歌詞の一部でしたが。
しかし今回はそれがない!

あくまでも私の意見ですが、今回のは、まぁ平均はいくんだけれども、ぐっとくるようなパンチがないかなぁという感じがしました。やさしい感じはありますけれども。
あと気になるのが歌詞の幅があまりないということです。
この人はもともと、自分の感覚に頼って書いているところがありますけど、それがあんまり変わってないですね。
よく言えば安心感があるんだけれども、それは成長してないってことでもあるわけです。
もう20代後半・・・ていうか、アラサ―なんですね。
もうちょっと勉強していかないと、これ以上作詞面で伸びることはできないのではないでしょうか。
ジョルジョさんとの共作といっても、結局世間は、「倉木麻衣の曲」として捉えるわけですから、それなりに倉木さん自身の言葉が埋め込まれてると思いますし、そこであまりにも今までと同じような言葉やフレーズがでてくると、「うーん・・・変わり映えしないなぁ・・・」となります。

作詞に関して厳しいコメントをしましたが、歌唱面は非常に伸びてると思われます。
とにかく高い!音が高い!きれいな声ですし、ビブラートとか細かいことは知らないけど、とても癒される歌唱をお持ちですね。良いですねーとくに、「Stay the same」。可愛らしくて、素直に良いなと思いました。

意外だったのが、「Strong Heart」。
シングルでだしてたときは、「へーこういうの出したのね」とあまり感動はしなかったのですが、アルバムで聴いてみると、とてもオープニングにあっているなと思いました。
強い気持ちを歌った曲であり、それが次曲の「another~」の雰囲気とマッチしています。


昔から聴いてる人なので、ちょっと思うことがあり強めなコメントをしてしまいましたが、わりと長く聴けるアルバムだと思います。


なんとなく手に取って買ってみた最近の本、

夜の光
坂木司
新潮社文庫
平成23年9月1日発行

内容に触れてます。
未読の方はご注意を。



夜の光 (新潮文庫)/坂木 司

¥620
Amazon.co.jp


この人、初めて読みました。
しかしちょっと気になってはいたんですよね。
覆面作家なんだそうです。
舞城王太郎かよ!


天文部に入った4人の高校生たち。
ジョー、ギィ、ゲージ、ブッチ。
約束は交わさない、別れは引きずらない、しかし確かに繋がっている4人の関係性。
それぞれが自分をスパイだと自覚し、そして自分たちなりの悩みや想いを抱えながらも、仲間と過ごす学校生活。
うーん、ビバ青春!と言いたいですね。
若さっていい。いいなぁ。

ちょこちょこ謎が出てきて、それを4人で推理しているところなんかでそれぞれのキャラの個性が出て面白いですね。
ゆるーい部活で顧問もゆるゆるではあるんだけれども、倦怠感やめんどくささというものではなくて、若さからくるかっこつけのような感じが良い意味で出ていて、なかなかに青臭いものを感じます。



印象に残った部分抜粋。

ゲージが私の背後で、つと口を開いた。
「むしろイメージとリアルが一致する方が奇跡なんだ。でもその素晴らしさをすぐ忘れてしまうから、人はいつまでたっても幸せになれない」


理想と現実は違うとよく言われますけども、そりゃそうなんですよね。だって全部が一致してたら、たぶんその区別がつかなくなってしまう。
ああしたい、こうしたいと思うのは普通によくある欲求なわけです。
しかし、夢や理想を叶えたところで本当に満足するかというと、実はそうじゃないんですよね。
叶えたことはもうその時点で、「現実」になってしまう。当たり前になってしまうんですね。
そうすると次はどうなるか?
叶えた「現実」以上のものをさらに願うようになるんですねきっと。

たとえばある女の子が幼いころから「歌手になりたい!」と思ってたとします。
女の子はどうしてもその夢を叶えたくて、あるレコード会社のオーディションを受けにいきます。
そして後日、合格ですという連絡がきます。そして女の子はとても喜びます。
歌手になれたという現実に喜んで、沢山練習をして歌い、有名になっていきます。
しかし、有名になりすぎてしまい、外へ出るとすぐに人だかりが出来てしまったり、ストーカー被害にあうようになったりします。またお金が入ってくるようになり、レコード会社から女の子に対してイメージを大切にしろ・恋愛するなという要求をつきつけられてしまいます。
そして女の子は思う、「たしかに歌手にはなれたけれど、こんな自由じゃない活動は辛すぎる!」

客観的に見れば、歌手になるという夢を手に入れたのだからそれ以上を望むなんて傲慢だという考えが湧きあがると思います。「なにかを手にすれば、なにかを失うんだ」と。
悩んでいる本人にとってみればかなり辛い状況ではありますが、それは他の人から見ればもしかしたらワガママにしか見えないかもしれないということですね。
上の女の子の例以外にも、たとえば恋愛などでも同じようなことがいえそうです。
好きで付き合ったのに、自分の思い通りの人じゃなかったとか思い通りに相手が動いてくれないとか。

でも私たちは客観的視点と主観的視点の切り替えによって、この「現実」と「理想」の違いを受け止めているのではないかと思います。
自分がえんえんと悩んでいるだけでは、それは「理想」を追い求めるだけですね。
しかし他者の出来事としてその話をきいたとき、もっと分かりやすいのは、実際に相手が自分に対して理想を押し付けてきたときだと思いますが、このときにその「理想」の追い求めが単なるワガママだと認識するのではないでしょうか。
考え方の違いというよりも、これは視点の違いだと思うんです。
視点による考え方の違いを理解することで、改めてそれを受け止めているのかなと。

だから、やっぱりある程度人間関係を築いてる人っていうのは客観的視点を経験出来ると思うんですよね。だからといって別に沢山友達がいればいい、ってことではないとは思いますけれども。
ひとりよがりな視点からはあまり沢山の視点は生まれないのではないかと思うのであります。



次!

誰かを特別にするのは、その人を特別だと思う人の存在。ならば私たちは、きっとものすごく特別な存在だ。

自分のことを特別だと言ってくれる、思ってくれる人がいるなら自分は特別な存在なのだと思えるんですね。
やはり上で言ったことと繋がってくるけれど、「自分の存在を知っている人がいる」ことは自分の存在を客観的に判断することが出来るこということです。
だからやはり人と繋がっているという感覚は大事だと思うんですよね。

そして、「君はひとりじゃないよ」といわれるよりも、実際に自分を知っている友達を作ったり会っているほうが現実的に自分が特別なのだと感じることが出来るのではないかなとも思います。




ジョー、ギィ、ゲージ、ブッチの4人はクールな関係のようにあらすじには書かれていますが、根底にある関係性は決して薄いものではないと感じました。
高校生という中途半端な若さの中で、精一杯に悩み考えつつも仲間と素敵な青春を過ごします。

それはある意味、夜の闇の中でも輝く光みたいなものだったのではないでしょうか。

Light of life
ゴスペラーズ11枚目のオリジナルアルバム。
(ハモリズムのひとつ前のアルバム)

Hurray!
ゴスペラーズ
2009年3月11日
レーベル:キューンレコード


Hurray!/ゴスペラーズ

¥3,059
Amazon.co.jp

1、1,2,3 for 5
2、ローレライ
3、セプテノ―ヴァ
4、愛は探し出すのさ
5、Armonia
6、言葉にすれば
7、Sky High
8、青い鳥
9、Love Vertigo
10、Blue Planet
11、シマダチ
12、My Gift To You


1,2,3 for 5」「ローレライ」「セプテノ―ヴァ」「言葉にすれば」「Sky High」「青い鳥」がシングル曲。
わりかし、ファーストアルバムの路線に近いかもしれませんね。
一般的なイメージでは、ゴスペラーズはバラードっていうのがあるかもしれませんが、そうでもないんですよね。
結構雑食な人たちといいますか。
クラシックな感じの人もいれば、王道もいれば、ロックな人もいるし。
邦楽もよく知っているし。
アイドルマニアが約1めi・・・・・・・・いやなんでもないです。
まぁとにかく、ゴスペラーズの本質を知りたい人はファーストアルバムを聴くのが手っ取り早いのですが、若さで突っ走るものじゃなくて、それ以上に進化しているバージョンを聴きたかったらこのアルバムを聴け!と言いたいですね。

ソウルなものはほとんどないですが、ポップスを歌うゴスペラーズが聴けます。


◎1,2,3 for 5
作詞作曲、酒井さん。
彼の天才ぶりがいかんなく発揮されたメロディと歌詞だと思いますね。
きっちりと韻を踏んでいるところや、酒井さんと黒沢さんの1番2番のそれぞれの音程がぴっちりと合っているところなど、細かいところまで気を抜いていない仕事ぶりが窺えます。
これ聴いてると、「愛のシュ―ティング・スター」がフィリ―ソウル風に仕上がったのに対して、この曲はポップに弾けていて、なんだけれども、どこか共通点があるような気もしますね。
なんとなくだけど、酒井さんの作曲スタイルが、「一筋の軌跡」作ったあたりから変化してるのかなと思いました。
聴き手を意識して意図的な作り方になってきたのかな?とふと感じます。
まぁほんとのところはわかりませんが。


◎ローレライ
作詞は松本隆さん、作曲は井上大輔さん。
なんかこれ、山下達郎さんっぽいね。と思っていたら、黒沢さんもそう言ってたそうです。
言葉に色を感じられるように気を付けたそうですが、やはりサビの、「ローレライ」の発音がかなり明確に聴きとれます。
きっちり発音してるから聞き取りやすいですね。
ちなみに、ローレライとはドイツ語でloreleiと書いて、「ドイツ西部のライン川中流の峡谷の東岸にそびえる岩であり、さらにその岩上にいる伝説の魔女のことも示す」そうです。この魔女は、美しい歌で舟人を誘惑して破滅させてしまうんだとか。
うーん、なんとも怖い女性みたいなのですけどれども。(^_^;)
そう考えると、この曲の歌詞怖いです。
ローレライ お前の甘い声 水の底へ甘く誘うのさ」・・・ひょえー( ̄□ ̄;)!!
しかしまぁそれほど相手に夢中になってしまう感情が描かれております。
しかしついでに、女は怖い・・・というような解釈もしてしまいました。
あまりにもハマったら破滅の道が待ってるんでしょうか・・・・・・うひゃー(゜д゜;)


◎セプテノ―ヴァ
ゴスペラーズvs常田真太郎(fromスキマスイッチ)。
ということで、作詩は常田さん&安岡さん。作曲が黒沢さん。
常田さん参加ということですが、譜割っていうか言葉数多いですね。
言葉選びにも、スキマっぽい感じがモロに出てると思います。
(大橋)卓弥くんもどっかでカバーして歌ってみてほしいですね。
第一印象は、「ローレライと似てる・・・ポップだし、曲順これでいいの?」だったのですが、躍動感ある「ローレライ」に対してこちらは、わりと地に足をつけたポップスかなと思います。
You have a shining star,「君は輝く星を手に入れて、」
you've got a way.「ひとつの道を手にしたんだ」

ちなみにセプテノーヴァの意味は知りませんが、セプテットで「七重奏」の意味があります。


◎愛は探し出すのさ
作詞が村上さん、作曲は村上さん&妹尾さん。
「Prisoner of love」を思い出します。あれもリーダー作だったし。
ストレートなようでありながらも、言葉選びやフレーズが印象的ですね。
リーダーの書く詞ってわりかし告白系が多い気がいたしますね。
君を 好きなんだよ」と。
へこみソングも好きですが、強そうに見えてこういうストレートなロマンチックな歌詞を書いているところが可愛らしくて微笑ましいです。


◎Armonia
作詩、安岡さん。作曲編曲を北山さんと妹尾さんで担当。
Armoniaとは、ギリシア神話で「戦の神」アレスと「愛の女神」アフロディテのあいだに生まれた娘で、「調和」を司る女神のことなんだそう。
調和・・・英語にすると、「harmony」。Armoniaは「ハルモニア」とも読めるみたいなので、なんだか納得。
ハーモニーを意味しているんですね。
確かに、メロディが優しげで「調和」をあらわしているようです。

このアルバム前半は意識的に聴いていくと、なんだかどの曲もカラフルなイメージがあります。


◎言葉にすれば
作詩は安岡さん、作曲は安岡さん&松下耕さん。
これは「It Still Matters~愛は眠らない~」というシングルに両A面として収録されてます。
そして第74回NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部の課題曲として作られた合唱曲です。
混声4部版、女声4部版、男性4部版とあるそうです。
合唱経験者としては、楽譜見つけたら買ってしまいそうです。
4声ってことは、アルトとかけっこう取りにくい音になるのかな?
でも、曲自体はわりかし覚えやすいので、そうでもなさそうな気もするけど。
ポイントはおそらく最後の盛り上がるところですかね。
それからイントロを弱弱しくしすぎず、しかし強弱をつけるってところなのかな。


◎Sky High
これも、覚えやすくて合唱っぽいなーと思ってます。
ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」第3楽章をモチーフにして作られてますが。
「言葉にすれば」「Sky High」「青い鳥」と、なんだか合唱的なものをまとめてるんでしょうか。
これもどんどん曲後半に進むにしたがって盛り上がっていきます。
のだめカンタービレの主題歌だったそうですが、やはりだからラフマニノフなんですね。
ラジオで以前ライムスターの歌丸さんが言ってましたが、クラシックをポップスに昇華させて、しかもこういう風に仕上げるってのは凄いですね。カラオケじゃ歌えねーよと思いつつも、なかなか楽しい試みだと思います。


◎青い鳥
作詩作曲が安岡さん、北山さんと黄金コンビです。
映画、「うた魂♪」で使われていた曲ですね。
とうとう映画界進出したゴスペラーズをスクリーンで観たときの衝撃は忘れません。
しかも約1名はセリフ付き。
壮大で広がりのあるサビですが、これもまたメロディアス。


◎Love Vertigo
作詞作曲に酒井さんが関わっておられます。
vertigoは、「めまい」という意味です。「愛のめまい」ですね。歌詞にも出てきますが。
ほとんどが楽しいポップスの中で、これは大人ちっくな曲。
まぁ幾分さわやかではあると思いますが。
何度も繰り返されるフレーズの、「何もかもを与えてはいけない 何もかもを奪ってはいけない」が印象的です。
ちょっと教育的な感じと言いますか、面白いですよね。
相手へ何もかもを与えてはいけない、相手から何もかもを奪ってはいけない、つまり、これはお互いにのめり込み過ぎない方が良いっていう気持ちのあらわれなのかなと思いました。でも、相手への想いは募っていくんですね。
切ない曲です。


◎Blue Planet
タイトルは、青い地球。
作詩作曲は安岡さんです。
そういえばこんな感じの曲今までなかったか、というような意外性を突いてきたと思います。
「世界はまだひとつ」というフレーズにあるように、地球全体をつなげるイメージがあります。
まさに、今歌われるべき曲のような気がします。
Border less、「国境はない」
My dear friend、「友へ」
Just call my name、「僕の名を呼んで」
I'll be there、「そこへ行く」
Time goes on forever、「時は永遠に流れる」
Brand new day、「真新しい日」
I got Love&Peace、「僕は愛と平和を手に入れた」
You lost the way、「君が道に迷って」
I'll stand the rain、「僕はその雨に耐えるだろう」


◎シマダチ
タイトルは、島の友達という意味なのだそうです。
夏川りみさんに提供したのだとか。
作詞作曲にリーダーが関わってますが、やはり泣きどころを押さえてますね。
ささやくようなコーラスとか、リーダーの声で歌われる別れはぐっとくるものがあります。


◎My Gift To You
フィーチャリング、木原健太郎さん。
木原さんのピアノでおくる、しっとりしたアルバムの締めでございます。
木原さんは1972年生まれで2011年の今現在39歳の、ピアニストで作曲家・編曲家でもあります。
95年にピアニストデビュー、99年に作曲家デビューしてらっしゃるそうでございます。
ピアノソロアルバムだとか、にほんのうたのカバーアルバムだとか色々出しておられるみたいです。
難しそうな曲ですが、そこはさすがゴスペラーズ!
歌いこなしてくれちゃってますね。
I trust you,「僕は君を信じてるよ」
just watching you、「君だけを見つめてる」
It's the only gift from me to you、「それが僕から君へのただひとつの贈り物」




孤独というマイナスイメージの言葉がちらほら見えつつも、「ひとりじゃない」という鼓舞へ向かっています。
前向きな言葉やフレーズを使ってまとめているものが多くて、そういったことで人を励ましている曲が多いので「Hurray!」なのでしょうか。
幻影の書
ポールオースター
柴田元幸訳
新潮社


内容にがっつり触れますので
未読の方はご注意を!!


幻影の書 (新潮文庫)/ポール オースター

¥740
Amazon.co.jp


オースターの新刊ということで手に取りました。
平成23年11月1日発行ですので、ほんとに最近文庫化されたものですね。


映画監督であり俳優だったへクタ―・マンは死んだものと思われていたというところから物語は始まる。
へクタ―はかつて失踪したのだ。
なぜいなくなったのか?生きているのか?死んでいるのか?

飛行機事故で家族を亡くした主人公。
彼はそんな状況の中でへクター・マンが作った映画を観て魅了される。
主人公はへクターの古い映画を観に行き、やがてはへクターの映画史のようなものを書くようになる。
その映画史が出版されて後に、へクターの妻のデイヴィッドから「へクタ―に会いに来ませんか?」と手紙がくる。


こっから感想。
アルマの語るへクタ―の過去が、非常に興味深く特に面白く感じました。
それから、へクタ―の口ひげやアルマのあざ、そういった具体的な例で自己の存在について描こうとしている気がしました。
オースターの話は、孤独な人が多いけれど、その孤独感が私にとってはかなり重くてその世界観を読み進めるのがしんどかったりもするんですが、この本はその感覚がさらに強かったですね。いっきには読めなかったなぁ。
柴田さんの訳がそうさせるのかもしれないけれど、抑えめなようでいながら、文章に言葉に孤独感が詰まっている気がしてならないです。





さてさて、印象に残った部分を抜粋。

映画ではあまりに多くが与えられてしまい、見る側が想像力を働かせる余地が少なすぎる気がした。映画が現実を模倣すればするほど、逆に世界を表現することから遠ざかってしまうように思えた。


映画は受動的なものなんだなーとふと思いました。
というか、「芸術」というものはそれを創りだす側とそれを受け取る側がいますね。
だから、受け手側が受動的であることは当たり前なのかしら。
ただ、たとえば本を読むことと映画を見ることでは、どこか違いがあるようにも思える。
本を読むときは、文字から映像を頭の中でイメージしてみますよね。そして、自分なりに話を咀嚼していく。
なんだけど一方で、映画はイメージすることもなく初めからあらゆる情報が与えられます。
シーンや音楽で、視覚と聴覚に訴えかけてくるんですね。
だから、こういう意味では映画はより「受動的」なものと捉えられるのでしょうか。

現実を模写するほど逆に世界の表現から遠ざかる・・・とはいったいどういうことなのか?
現実を模写する・・・、これは現実に即した具体的なこと。
そして、世界を表現・・・、こっちはどちらかというと抽象的なことなのかなと考えてみます。
そうすると、現実を模写することと世界を表現することは、まったく逆のことなのかと思えます。

・・・たとえばですが、歌詞に関する議論。
今(というか、もうほとんど前から)の、音楽における歌詞っていうのはほとんどが内面吐露です。
ブログ的といいますか、現実を生きる人々の心情に寄り添うようなものですね。
特に若者の心情を上手く表現しているような歌は、とてもよく支持されます。
これは、受け手側が受動的だからこそ支持されるのかなとも思えるんですね。
イメージしやすい、自分の感情とリンク・共通するものを選びやすいんだと思うんです。
逆に、抽象的で何言ってるのかわかりずらいものや、自分の感情とリンクしないものイメージしにくいものはどうも受けない。
しかし、この文章から読み取れるのは、世界を表現するのが大事なんだということです。
それが純粋な芸術なのかもしれません。

そう考えると、イメージしやすく自分とリンクさせやすい音楽や映画の作品というのは、しょせん商売品であって芸術ではないという穿った見方に行きついてしまいますね。なんとも言えません。(苦笑)
しかし、まぁ・・・何を好きになろうとも、それは個人の自由ですね・・・。

ちなみに、映画は19世紀末に発明されました。
フィルムが連続的に動いて止まる機構をリュミエール兄弟が見出し、映画がひとつの見世物として「小屋」をもって興行されたのは1900年頃だったそうです。
映画が人を驚かせたのは、「自分の姿を客観的に見ることができる」という点だったんだそう。



次の印象に残った部分はこれ。

あざこそ彼女という人間。それを消してしまえば、本人も一緒に消える。
・・・(中略)
それをなくしたいと願うのは、自分を破壊しようとするようなもの。



ふと芥川龍之介の「鼻」を思い出しました。
そして、自己を破壊するというのは、自己の個性を消しさることであり、それはある意味自分の死をいうのかなと感じました。
安部公房氏的にいえば、客我(この場合はあざ)をなくすことで、自我(個性、自分の存在意義)が消えてしまうということですね。以前に、安部公房氏の著書の解釈で、主我と客我はのっといこーるではないと強調したけれど、しかしそれらは、他者を媒介にして互いに密接に関わり合ってもいるということも大事なことだと思います。



この書の中で、アルマはへクターの過去を調べて本を書いていました。
しかし、最終的にそれはデイヴィッドによって燃やされてしまいます。
最終的に燃やされてしまったへクタ―の過去。
だからこそ、それは幻のようなものだと言えるかもしれません。
だから、この本のタイトルが、「幻影の書」なんですね。

The book of illusion
昨日読んだ本です。


銀河不動産の超越
森博嗣
講談社文庫

未読の方はご注意を!!


銀河不動産の超越 Transcendence of Ginga Estate Agency (.../森 博嗣

¥550
Amazon.co.jp


森さんらしく淡々と進んでいくので、ストーリーにすぐに溶け込めました。
主人公の高橋の、気力も体力も不足してるというキャラもグッドです。
なんだか今の若者をそれとなく暗示してる気がしました。
ただ最後の章でのストーリーがやや飛躍してるといいますか、ぐぐっと年数経ったころへ話が飛んだところがどうも私の中では腑に落ちなかったですね。
ちょっくら自慢話(?)っぽいところも嫌かも。
主人公はまぁ確かに良い人だとは思うんだけども。
「ちょっと変わった子あります」のように、最後まで解き明かされずわからないけれど、そこが不気味で神秘的で魅力だった感じが欲しいですね。まぁこの設定では無理か。
それまでのストーリーや、クールな文体は非常に好きです。




さて、印象に残った部分ですが5つ以上もあって正直打つのが面倒なため、また共感はするがそこから何かを考えたわけではなかったために、今回はひとつだけに絞って抜粋。

このようにして、大空間は数々のもので埋め尽くされていき、見通しがしだいに悪くなった。照明が当たらないところには、新たにライトが取り付けられた。また、人が行き来するための通路が自然に区切られ、プライベートなスペースと区別されるようにもなった。

ここだけを読むと、なんだか専門書読んでる気分になりますね。
ここ読んでてなんとなくルソーを思い出したんですよ。
なんだっけ・・・えーたしか、「人間不平等起源論」だったかな。
あれの最初あたりでの、未開の人間なんちゃらみたいな内容あったっけって思い出して。
あと、このあいだ記事にした安部公房氏の「壁」で最初に石川さんて人が書いた文章。
もともとは、そのまま使っていた空間を「壁」で区切るという発想をしたのが革命家だみたいなやつでしたけど。
そういう風に、もともとあったものが、どんどん人間の生き方にあわせて発展していくということですね。
人間の生き方にあわせるということは、便利なものだからそういう風に変わっていくんだけれども、そこにはメリットだけではないよ、という意味を含んでいるこの書き方に、はっとさせられました。

あと、やっぱりプライベートなスペースという部分ですもそうですね。
日本も今はもちろん家庭それぞれで違うと思いますけど、ほとんどがある程度育った子供もほとんど一人部屋だったりしますよね。
個人主義のアメリカはともかく、もともと「和」重視主義で一部屋に大人数で過ごしてきた日本がどんどん個人主義になってしまったということに、発展したのだというプラスな考えとそれと同時に少しずつ欧米化してきてしまったことに対する批判的な思いが同時に語られるのかなぁと。



さてさて、森さん作品といえば、しおりと英語交じりのタイトル。

estate agencyで、「不動産業」というのを今回初めて知りました。
estate、「土地、屋敷」「財産」「遺産」といった意味もあるようです。
agency、「作用、働き」「媒介、仲介、周旋」という意味がありますが、上では「取次店」くらいの意味でしょうか。
ふむふむ。


Transcendence of Ginga Estate Agency
寒い寒い~。
だんだん冬がやってまいりましたよ。
しかし最近私が読んだのは、そんな寒さから少しずつ春へ向かう物語。

内容にがっつり触れています。
未読の方はご注意を!!



春のいそぎ
立原正秋
講談社文庫

春のいそぎ (講談社文庫)/立原 正秋

¥500
Amazon.co.jp




春へ向かうといっても、そんなことを象徴するかのような明るいものではありません。
簡単にいってしまえば、主人公の男性とその姉2人のそれぞれの不倫物語。
破壊に向かっていく(魅せられる)人達の心情や状況を巧みに描いています。
その破壊は、「死」であったり「家庭の崩壊」だったりするんだけど。

立原さんの著作は、食べ物が必ず出てくるんだけどその描写がすべて良い。
お腹減って来ちゃうんですね。
あーお腹減った・・・。
しかし、終わり方がどうも中途半端。
篤子姉さんは今後どうなるのかが、はっきりせずに終わってしまうのですが、それが読後に余韻を与えております。まぁ予想では、というか希望ではどうにか生きていて欲しいのですが。

不倫とか浮気を擁護っていうと、どうも特に女性からのブーイングが多く来そうですが、そこにはある意味人間の存在を証明する何かがあるような気がしてならないですね。
だからといって、推奨してるわけじゃないですよ!
破壊することから見えてくるものといいますか。
あぁそういえば、「タナトス」という言葉を思い出しますね。
(タナトスとは、フロイトの用語で、自己破壊に向かう死の本能のことを言います。)
人間は本能として、破壊に向かう思いを持っているのではないかな。
理性でそれを見えなくさせているだけであって、もしかしたらすごく脆い存在であると感じているのかもしれませんね。

この物語、すごく心理描写も巧みで筆使いもスムーズでとても読みやすいのですが、私としてはとても苛々した部分がありました。
それは、主人公・数馬のかつての恋人だった敏江の行動。
この人の身勝手さといいますか、奔放ぶりには、「ちょ・・・お前身勝手すぎだからw」と突っ込まざるを得ませんでした。(笑)
かつて読んだ「ノルウェイの森」で緑に対して腹立たしく思ったのを思い出しましたよ。
まぁ緑は、「生」を強く感じさせるキャラクターのように見えましたが、しかし敏江はどちらかというと「死」といいますか「破壊」をモロに感じさせる人ですけども。





さてさて印象に残った、面白いと思った部分を抜粋してみましょう。

「仕事とあたしと、どっちが大事なの」
「どっちも大事だ。しかし、二つを比べるわけにはいかん」

敏江と数馬の会話です。
敏江は、もともと数馬と結婚するはずでしたが、数馬を振り切り大場さんという男性のもとへ行ってしまい結婚してしまいます。そんな過去があったにも関わらず、敏江は酒飲んで酔っ払うとかならず数馬の住んでいる家へやってきます。「おい数馬!戸をあけろ!」と。
しかし彼女の旦那様はそんな奥様の行動を知っていながらも、むしろ奥様を車に乗せて数馬の家まで届けに来たりします。
数馬はそういったことを変だと思い大場と話し合いをしようとしますが、大場はいつも「仕方がないのです」と逃げて行ってしまいます。
おかしな関係ですね。
しかしもっとおかしいのは、他の人と結婚していながらも酔っぱらってかつての恋人のところへ来て恋人さながらの言動を繰り返す敏江さんです。あんたは、おかしい!

さて、そんな話の筋から離れますが、この上記の「仕事と私どっちが大事なの?」という言葉についてつらつらと考えました。

そもそも、この質問って質問になってないんですよね。
だって、どっちかを答えればそれで済む感じじゃないし。
もしも、「仕事」と即答すればきっと、「何よ!だったら私はあなたにとって何なの?」って詰問されることでしょう。
逆に、「お前が大事に決まってるだろ、ハ二―☆」とでも答えれば、「だったらどうして私のこと大事にしないのよっ!!」とか、極論としては、「私のことが大事なら仕事辞めてくれる?」みたいな展開になるかもしれません。
もう、この質問をされた瞬間に先が読めてしまうわけですね。
だからこそ答えたくないし、そもそも2択で質問を投げかけること自体が意味不明です。
しかし、訊く側が3択とか5択にしてクイズ形式にして質問を考え出すのも大変です。

それにしても2択で迫られるというのは、かなり大変ですね。
圧迫感といいますか、責任がより強くなる気がしませんかね。

さてさて、ネット上で「仕事と私どっちが大事」と検索すると、この質問に対する解決策が出てきます。
それを参照しながらまとめますと、
(1)「彼女」も「仕事」も選ばない(どっちを答えても口答えされるので)
(2)その質問が飛んできたその理由を考える(寂しくさせてるということを知るのです)
(3)したことではなく、気持ちへ謝罪する(ex,「寂しくさせてごめんね」)
(http://nanapi.jp/23766を参照させていただきました)

このまとめからわかったところによると、女性の心理はこうですね。
「あなた、最近仕事仕事ばかりで忙しそう。それで全然私にかまってくれない!だから、私すごく寂しいんだよ。わかってよ。」
ほおほお。たぶんねこういう投げかけならば男性は素直に言えますよね。「不安にさせてごめん」くらいは。
だったら最初から素直にそう言えばいいのではないかと思うのですが、いかんせんケンカに発展しそうといいますか、ケンカごしで迫ってしまうこともあるのでしょうか。
こういう部分はまぁなんといいますか、仲が良いからこその甘えなのかな。
でも一時期ありましたが、男女って脳の構造が違うとかいいますし、そもそも自分と相手は違うからすべてを理解しあうなんてのは難しいように思います。
やっぱり自分の問題、特に感情的な問題を相手に説明することなく解決させようなんてのは無理だと思うのであります。
仲がいいからこそ、人との距離感を理解しつつ付き合うのは難しいかもしれないけれども、大事なんでしょうか。




お次の抜粋部分はこれ。

敏江と逢っていると、いつも切羽つまる感情におちいってしまうが、辻堂の女の家では、快楽だけがある、
去る者は追わずに、来る者は拒まず、という言葉があったが、日常の生活がそのようになったらどれほど安らかだろう。


これは数馬の想いがあらわれた一文。
辻堂の女というのは、辻堂に住んでいる女性のことなんですけども、その女性は結婚してるんですね。
まぁ・・・これが数馬の不倫てやつです。
(関係ないが今すごくプリンが食べたいです・・・)
作者がこの女性を名前ではなく、『辻堂の女』と表示してるところにもあらわれてるけれど、この人とはあくまでも表面的な関係性のような気がするんですね。
「人 対 人」という切実さが抜けてるんです。
だからこそ、数馬にとっては不快なものにはならない。
ただセックスしたり一緒にいたりといった、快楽だけがある。

でも一方、敏江の方はというと、この人すごく読んでる側からすると奔放で嫌な女に見えるんですが、それでも数馬の心の中では存在が大きい人。
付き合いが濃いんですね。
だからこそ、「切羽つま」ってしまうほど嫌になってしまうのかしらと思いました。


去る者追わず、来るもの拒まず

実によく聞く言葉です。
中国古典の「春秋」に「来る者は禁ずるなく往く者は止むるなし」とあったり、孔子の死後に弟子たちが編纂したという「公羊伝」にも載っている言葉なんだとか。
この言葉をモットーにしている方もよく見かけますね。
しかし、こういった言葉を本心から発しているのかどうかが不思議に思ったりもします。

数馬によれば、おそらく辻堂の女とのような関係性を指してると思うんですけども。
そうするとこの言葉の意味するところって簡単にいえば、「浮気や不倫でオッケー♪」みたいなことなんですよね。
うーん、それはどうなのか?
だって大抵の人って、「浮気ダメ、絶対」とか「上辺だけの付き合いなんてねぇ~」みたいな考え持ってるじゃないですか。
「表面的な関係性なんて~」といいつつも、「あ、自分は去る者追わず来る者拒まず主義です」って言ってるのって矛盾してるじゃん、っていうね。
いやでも、もしかしたらなんですけれども、「去る者追わず来る者拒まず」って言っている人たちが、「深く付き合いたいけれど傷つくのが怖いです」という本音を持っているのだとしたらそれはそれで素直に自分の心と向き合ってることにもなるのかしらとも思うんですよね。
まぁやはり、「人 対 人」という関係性を作っていきながらも、悩んでいる人が沢山いらっしゃるのでしょうか。




それでは最後の抜粋。

「でも、酔いからさめたときに考える死が、いちばん切実よ。生きていてもしようがないと思うの。酔っぱらってしまうことに対する自己嫌悪なのね」

敏江のセリフです。
なんだかんだいって、彼女の言葉はきついです。
奔放なくせに・・・。(苦笑)
〈酔いの状態〉→〈さめた状態〉
おそらく、この(さめた状態〉になった瞬間にリアルさが増すのでしょうか。
ここで考える「死」が切実になるのは、酔っているときは一種の「逃避」をしている状態であり、そこで考える「死」がそんなにリアルではないからだと思います。
たとえば、酒飲んで一夜限りのアバンチュールを楽しんだとしますよ。
その瞬間は楽しかったんだけど、朝になって起きてみたらなんだか虚しくなった、というような。
私はそんな火遊びしたことないんですけども〈っていうか相手がいねぇよ〉。
そーだなぁ、自分のことに置き換えるとしたら、発想が飛んでしまうのですが、ディズ二ーへ遊びに行ったときとかかな。
日々の現実を忘れて、ディズ二ーの世界にどっぷり浸かって遊んで、園内に出て電車に乗った瞬間に、「あー明日あれこれやってーそんで明後日はなになにがあってー」と現実に戻ります。この瞬間に、「あーリアルだわ」と強くがっかりするわけですよ。
そんな感覚なのかしら。
お酒は飲むのですが、あまりそれで後悔したことは・・・・・・・・・・・・・・・ないとは言い切れないのが辛いですが、最近は大人な飲み方が出来るようになったのであまりないかなと思い、自分に即した想像をしてみました。

こんな考えを踏まえた上で私が導き出した考えは、こうです。
酒をたくさん飲んで酔っ払う、というのはある種の自己破壊なのかということ。
うーむ、お酒はおそろしや。

あ、そうだ大事なことをひとつ。
お酒は20歳になってからです。



自己破壊という言葉になんだか不安と憧憬を感じつつも、「生きる」ということを噛みしめる作品でした。
春のいそぎの「いそぎ」には、準備という意味があります。

ready for spring
ゴスペラーズの一番最近のアルバムでございます。

ハモリズム
ゴスペラーズ
2011年6月8日
レーベル:キューンレコード


ハモリズム(初回生産限定盤)(DVD付)/ゴスペラーズ

¥3,360
Amazon.co.jp


1、NEVER STOP
2、愛のシュ―ティング・スター
3、BLUE BIRDLAND
4、なんどでも
5、Shall we dance?
6、Oh Girl
7、見つめられない
8、恋のプールサイド
9、明日
10、冬響
11、Dreamin'

NEVER STOP」「愛のシュ―ティング・スター」「冬響」というシングル3曲が入っております。
前作の「Hurray!」より進化し、ジャンルを飛び越えてハモるゴスペラーズ。
個人的には、「Hurray!」よりは好きなんだけど何かがが足りない・・・と思うアルバムでもあります。
ゴスペラーズはね、エグくてエロいのがいいの!(問題発言・・・)
さわやかなお兄さん演じてないで危ないソウルで責めてほしいんですよね。
理想は、「Soul Serenade」とか「Dressed Up To the Nines」あたりの。
いやでもまぁこれ結構面白い曲入ってて、センスは健在でございます。

あとこのアルバム、歌詞の冊子が洒落てます。
どの曲もレコードのジャケットみたいに表記してるんですね。
そういう仕掛けについつい胸が躍ります。


◎NEVER STOP
作詞作曲編曲すべて、リーダー村上てっちゃんが担当しておられます。
いやぁ彼らしいメロディと言葉だと思います。
誰かを励ますつもりではなくて、自分らが決してNEVER STOPだと言うんだけれども、なぜだかこっちもNEVER STOPだって思えるんですよね。
歌いつないでいく彼らからも、力強い気持ちが垣間見えます。
We never stop、「僕らは決して立ち止らない」
We never know、「僕らは決して知ることなく」
What's going on、「何が起こっているのか」
like a rolling stone、「転がり続ける石のように」


◎愛のシュ―ティング・スター
作曲は酒井さんとリーダー。
そして、作詞が山田ひろしさんです。
山田ひろしさんは日本の作詞家で様々なアーティストさんへ歌詞を提供しておられる方です。
スタレビの「木蓮の涙」やV6の「Can do!Can go!」「Be Yourself!」、また20th Centuryの「Knock me Real」、Winkや稲垣潤一さんにも提供されていらっしゃるみたいですね。
最近では植村花菜さんの「トイレの神様」を共作で手がけたりもしてらっしゃったみたいです。
そうそうクレイジーケンバンドの横山さんとお友達のようでもございます。

さてさて、この曲はサウンドに70年代を彷彿とさせるフィリ―ソウルが取り入れられています。
フィリ―は、フィラデルフィともいいます。
「フィラデルフィサウンド」を辞書を引いてみた結果、『都会的なディスコミュージック。華麗なストリングスと重くタイトなリズムを特徴とする。(スーパー大辞林を参照)』と出てきました。
なんやかんや書いてありますが、要はミラーボールきらきらさせて大人チックにダンス出来そうな曲調ってことでしょうか。たしかに軽く踊れそうな感じがします。
歌詞もなんだか一昔前の恋愛の要素が入り混じってるいるような。
その輝きを僕のものにしたいと思うのは罪かな?」ってキザですね。赤面ものです。つい訊いちゃう男性なんですよね。
しかしそれを堂々と歌ってのけるリーダーがかっこいい!!
さりげなく相手を「Honey」と呼んでいるのも、ゴスペラーズの曲では珍しいことかと思います。
ハ二―!ハ二―!ハ二―!
なんかハ二―っていうと、V6を連想します。ト二センとかV6とかとにかく「Honey」ってつく曲多い気がするんですよね。可愛らしくてちょいエロい感じですかね。あ、エロいは余計でした。失礼。m(u_u)m
「抱いてるのに抱かれてる様」、これは相思相愛ってことを言いたいのでしょうか。
この男性は自信家なのか?いや、それだけあなたを愛してるってことであるのでしょうね。
my shootin' star(=my shooting star)、「僕の流れ星」
Honey, you are my shootin' star、「ハ二―、あなたは僕の流れ星」


◎BLUE BIRDLAND
作曲に、北山さんが関わっておられます。
ちなみに、松本圭司さんと多胡淳さんと一緒に作ったそうです。
ジャジー(jazzy)な曲です。
歌詞にも有名なジャズ奏者のお名前が出てきます。
まずコルトレーン(John Coltrane)は、サックス奏者。晩年にはフルートも演奏してたようです。
彼の作品では「You don't know what love is」(恋の味を知らないのね)というものが有名ですね。
水口誠さんというジャパニーズジャズシンガーの方が替え歌で「牛丼の話題」というタイトルでも歌っております。
あるラジオ番組で水口さんの「牛丼の話題」を聴き、あまりの衝撃で水口さんのCDと「You don't know what love is」の入ったCDを買いました。どちらも素晴らしいと思いましたし、色々なアプローチがあるのだと思いましたね。
お次はマイルス(Miles Dewey Davis Ⅲ)、彼はトランペット奏者。
パーカー(Charles Parker)、このお方はアルトサックス奏者。「モダン・ジャズの父」と呼ばれているそうです。
マイルスとパーカーは私聴いたことがありません。
今度聴いてみたいなと思います。
8th Avenue、「8番通り」


◎なんどでも
作詞作曲、黒沢さんでございます。
彼の友達で、別れてすぐ恋人が出来たり、結婚したりといった方がおられて、そういうことって何度もあるよな・・・と思い作ったそう。なるほど。しかし、タイトルは「なんどでも」なんです。ここがポイント。
孤独を抱き寄せ」、生きていた人たちが出逢い恋をします。
ある程度歳を重ねているから様々な別れを経験しているし、悲しみを分かっている。
でもそういった感情を「陽だまりに変える人」に出逢うんですね。
人との出逢いに希望を与える曲です。
切なくしんみり聴くことも出来るけれど、前向きな応援歌としても聴けますね。


◎Shall we dance?
黄金コンビです。
ちなみに、よく作曲で名を連ねている北山さんは今まで作詞しているものを見たことがありません。
彼は作詞をしないので、黄金コンビときいたときに反射的にファンはどっちが作詩作曲なのかはすぐわかります。
さて、「Shall we dance?」ときくと反射的に映画のタイトルを連想しますね。
「僕」と「君」の世界です。
勝手な解釈ですが、前曲の「なんどでも」で出逢ったふたりの世界観をそのまま持ってきたような歌詩になっている気がいたします。
夜空を仰いで」出会った君、この曲の中での表現では、「百年一度の運命に導かれて」出会ったことになるんですね。
百年一度の恋、というとなんだか長らく恋をしてない印象を受けますが。(笑)
そうではなくて、気持ちの問題ですよね。出会えた相手に対する強い想いがフレーズにあらわれたのが、「百年に一度」というものなんですね。
しかも先を見ていくと2番では、「千年先まで覚めない夢を見ようか」ですからね。千年先って確実にふたりとも生きてはいないかと思われます。えぇでもそういう風に思っているほど、君が好きなんだよという想いです。
曲調も優しく軽やか。イントロのギターでさわやかさが増しております。
リードボーカルが北山さんと黒沢さんというのも今までなかなか聴いたことがなかった試みですね。寄りそうような歌い方にきゅんとします。(*゚ー゚*)
Shall we dance?、「ご一緒に踊りませんか?」


◎Oh Girl
作詩作曲、安岡さんです。
ビートルズっぽいものにしようと考え作ったそうです。
たしかに、曲調もだけど歌詩がとてもビートルズっぽいですね。さりげなく、ビートルズの曲名が入っていたりします。
そして、この曲の特徴として安岡さんも語っておられましたが、「僕」という一人称が出てきません。「君」という二人称への語りかけだけです。つまりこれは、安岡さんのメッセージソングなんですね。
ちらほらと素敵なフレーズが沢山散りばめられています。
解ってるんだ本当は 独りきりじゃない」、このメッセージに私は勇気づけられました。
だからこそ、「誰かを探し」、誰かに探されるんだなと。
ほとんど安岡さんがリードを歌っています。バックの「girl,girl」も良い感じで印象付けられています。「shu-wi-lap」のコーラスも抑えめ過ぎず、でもきちんと耳に入って来る。バランスが良いですね。
Under the sky、「空の下で」
Under the star light、「星の光の下で」
This is your love、「これは君の愛で」
This love is real、「その愛は本物なんだよ」
Oh girl, you know "all you need is love"、「ねぇ、わかってるよね、『必要なのは愛なんだ』ってこと」


◎見つめられない
作詞は山田ひろしさん、作曲は酒井さん。
なんとこの曲自体は、2000年頃にすでに作られていたそうです。10年以上寝かせておいたものなのでしょうか。しかし非常にわかりやすい世界観であり、だからこそストレートに耳に入って来ます。
そして、今までゴスペラーズになかった「語り」が直接取り入れられております。酒井さんによる綺麗な語りでございます。
山田ひろしさんといいますと、彼と酒井さんがタッグを組む曲はなぜだかよくエロ・・・・・いえ、なまめかしいものが多いように見受けられるのですが、これはわりと健全・・・・・・いや、純粋な恋愛の世界観ですね。
相手のことが好きで、その想いの苦しさがこれでもかというほど伝わってきます。
しかもサビでリーダーがファルセット張りにあのソウルフルな声を聴かせてくれるから、なおさらです。
最後のリーダーの歌にも魂が感じられます。あれアドリブで歌ってるのかと思ったくらいだもの。
歌詞見て、ちゃんと全部歌詞通りに歌ってるのを知って驚きましたが。
見つめられない あなたを」、恋をしている人はきっと痛いほど理解してしまうフレーズではないでしょうか。
好きすぎて、相手といると舞い上がっちゃったり、まともに顔が見られなかったり。
想いを抑え込もうとすればするほど、相手への想いが募っていくという切ない曲です。
It's hard to see、「見つめられない」
turn around、「(想いが)ぐるぐる回ってる」


◎恋のプールサイド
作曲が黒沢さんでございます。
彼の曲解説によれば、この曲は「(大滝詠一+ビーチボーイズ)÷ゴスペラーズ」なんだそうです。
非常に面白い説明ですね。(笑)
夏のちょい大人さわやかなものをゴスペラーズ風味に仕上げたってことでしょうか。
わけはわからないけれど、上手く曲にマッチしている歌詞も面白いです。
耳で聴こえた音を自分なりに文字化して聴いて、そのあとで歌詞を見ると新たな発見があるはずです。
Who? Who? Big Lipsって、「だれだれ?でかいクチビル」ですけど、ここだけ想像してたらV6が今年発売した「Sexy, Honey, Bunny!」思い出しましたよ。あの曲のPV、はじめにでっかいクチビル出てくるじゃないですか。セクシーさをアピール?
Musiq・・・musicの意味で使われてる。ちなみにフランス語は「musique」と表記。「音楽」
Sunset、「夕焼け」
Buster、「どんちゃ騒ぎ」
Hit me off、「僕をうまく真似して」
Ocean、「海」
vibration、「振動」
うーんこの曲は雰囲気を楽しむものであって、歌詞を前面に出すもんじゃない。(^_^;)
しかし、よーくよーく読んでいくとエロいですなやはり。


◎明日
作曲が妹尾さんと北山さんです。
なにやらクラシカルといいますか壮大な感じのイントロから始まります。
「絶望」がテーマなんだそうですが、歌詞を読んだとき私は、「僕」が亡くなる直前をイメージしました。
だから、「僕」には「時が途絶えた音」が聴こえたり「あの場所からあなたを抱きしめられたら」と「僕」は願っているのかしらと思います。
奇跡の鼓動 その手で 止めないで」、これは今までそばにいた人に対して、「僕」が死んでしまっても決して「自ら命を絶とうとしないで」と願っているのかなと。
テーマは抽象的だけれど、描いているものはある意味具体的です。
ただあまり「死」そのものは感じさせない言葉選びをしている気がしますね。
そのへんの匙加減が上手く表現されてるなぁと感じました。
やはり、ソウルフルな声質のリーダーが歌うと説得力があります。


◎冬響
作曲が酒井さん。作詞は山田ひろしさんと酒井さん。
これは酒井さんが作った時点でほとんどの世界観があり、それをもとに山田ひろしさんに歌詞を広げてもらったそうです。
うむ。酒井さん、何気に売れ線書いたよねとシングル出たとき思っておりました。別に悪いことじゃないからいいんですよそれはね。ただ酒井さんがもともと創った世界観がこんなにピュアなものだとは・・・。(笑)

うわーん、さかいさんはやっぱり裏切り者だわ。

っていうのは冗談ですが、こんな引き出しがあったとは驚きでした。
まぁ「t,4,2」みたいにもともとあったかみのあるメロディは作ってましたけれども。
それまでよりももっとメロディアスで寄り添ってくるような曲だなと感じました。
どんだけ純粋な恋をしているんだろうか、この曲の主人公は。
印象に残るのは、「あなたは少女のようで」という表現です。
相手をこんな風に形容するということは相当恋しちゃってますね。
それと同時に、相手を対等には見ていないという男性の恋愛観が浮き彫りになってる感じがします。
温もりを移してあげよう」「幸せにしよう」、そして最後の語りかけの「ほら、ごらん」。
端々から、相手を守りたいという男性的心理がわかります。

タイトルは「東京」ではなくて「冬響」です。音は同じだが、全然違いますね。(笑)
冬が響く、それは冬の夜の状況かな・・・とふとイメージしました。
雪が積もっていて、歌詞にもあるけれど、夜景が見えているんでしょうか。じゃあたぶん「東京」にいるの?
いや、夜景は北海道でも見れますね。
寒さの中でも相手への想いが、「」のように燃えているんですね。ロマンチックです。


◎Dreamin'
作曲がリーダーと妹尾さん。
これまでアルバムの最後はバラードが多かったため、今回は明るめに終わらせようとしたそうです。
海外ドラマの「グリー」をイメージしてるそうです。
見たことないのでわかりませんが。(汗)
しかし、希望というか夢に対する前向きなものが伝わってきます。
自分と向き合って、夢に進んでいこう、というメッセージですね。
true one、「本当のひとつのものを」
Life is bright、「人生は光り輝いている」
Life is joy、「生きることは喜びだ」
とても興味はあるのだけれども、なかなか読み進められない作家というのがいる。
過去にうんしょよっこらせという感じで読んだものをピックアップしてみる。

内容に触れるので未読で知りたくない方はご注意を!!




安部公房 著
新潮文庫

壁 (新潮文庫)/安部 公房

¥460
Amazon.co.jp


この話、あらすじがあるようで、ない。
わけわからん。
しかしずっとわけわからんままなりにも、内容は結構楽しめる。
感覚だけで読んでも結構いけてしまうから、不条理だとか言われるんでしょうか。

しかし自分なりに少し解釈。
まずある男が目を覚まし、それはいつもあることだから何が変ってわけじゃないんだけれども、何かが変だと感じているところから始まります。
読んでいるこっち側も変になるわきっとと思いながら読み進めます。
男は朝起きて、普通の人が毎日するであろうことをしていきます。
ル―ティンワーク。
歯をみがいたり顔を洗ったりあくびをしてみる。
食堂へ行って食事をする。もっと食べる。
ふむふむ。
しかし何かが変だという思いは強まる一方だ。
そして男は食堂のカウンターに立って帳面にサインをしようとする。
そこでためらう。
サインが出来ない、ということに気付く。
それは自分の名前が思い出せないからでした。
まぁ職業柄そんなことはよくあるものだと思い、名刺を取り出そうとします。
しかし・・・取り出した名刺入れには一枚も名刺が入っていません。
あれ?
身分証明書、手紙、上着、とどこを見ても自分の名前だけがすっぽり抜け落ちています。
あれれ?
あわてた彼はカウンターにいた顔見知りの子にも自分の名前を訊いてみますが、やはりわかりません。
のちに仕事場へ行き、そこでなんとか自分の名前らしきものを知りますが、違和感は拭えません。

ここで男は名前を喪失してしまいますが、これは自分自身を失うというよりももっと具体的なことを示唆しているように思えます。
自分を失うというと、「自分探し」という語句が浮かんできます。
「自分探しの旅」とかいっていうと日本一周へ出掛けたり自転車で多摩川を暴走してみるということをするっていうのがあると思いますが、しかしそんなんで自分を見つけたことには現実問題なりませんね。
私はたまに衝動的に知らない場所へ行きたくなるときありますが、そのときは理由がわからなくてもあとから気付けばそういうときは大抵過度のストレスが溜まっていたときです。
自分探し、というよりもそういう知らない場所へ行って歩いてみて自分は人間なんだ生きてるんだ自分は自分なんだとより実感することでまた日常の中で自分を保つことが出来るのではないかと思います。
とにかく、自分の名前を喪失してしまった男はそれをきっかけ(?)にわけのわからない場面の中へ次々に取り込まれていきます。

さて、では名前や名刺が示しているのは何なのか?
人間は様々な要素で成り立ってますね。
ヒフ、爪、脳味噌、心臓、肝臓、食道、これらを細分化すればタンパク質・・・等々。
あげればきりがないですが、内側ではなく一番わかりやすい人間情報を提示するのはその人の名前ではないでしょうか。
名前、性別、住所、肩書などなど。
これらは私たちを示す個人情報であり、私たちはこれらによって社会と関わり続けています。
学校に入学したら、きれいに並べられた机に自分の名前が書かれていて、そこに座るように指示されます。
そして教室に先生が入ってきて名前を呼びあげる。
自分の名前が呼ばれたら、「はい」と大きな声で応えます。
名前は自分個人を示す一番わかりやすい情報です。
これを喪失する、ということはどういうことなのか?

たとえば現実味があまりないですが、突発的な事故で頭に大けがをするとします。
工事現場を歩いていたら、デカいクレーンが頭に落ちてきました。
奇跡的に命に危険はなかった。けれど、脳のどこかに障害を抱え記憶喪失になるとします。
病院で目覚めてすぐ思う。
ここはどこなの?私を見ているこの人は一体だれなの?
そもそも、私はだれなの?と。
状況としては、これが自分の名前を喪失するということでしょう。
しかし、安部公房氏が描きたいことはそんな不思議な奇想天外物語ではないと私は思います。

名前の入った名札や身分証明書や健康書、IDカード。
これらは「私」個人を示す情報を示すものです。
私たちはそういった類のものを持たされ、なるべく常に携帯し、失くさないよう努めます。
落としたり失くしてしまうことを異常に恐れます。
それはなぜか?
個人情報だから。
ではなぜ個人情報を落としたり失くしてはいけないのか?
それは、おそらくですが他人に偽られたりその情報で個人的な攻撃をされるのが怖いから、です。
ではそれがなぜ怖いのか?
なぜ、個人情報を乱用することが現在犯罪扱いされているのか?
そもそも自分が他の人間になりすますということは出来るのか?

ここで物語の方に戻ってみます。
男は違和感を覚えながらも、仕事をしようと仕事場へ辿り着きます。
しかしそこで見たものは・・・・・・失くしたと思っていた自分の名刺が働いているところでした。
恐ろしい光景のように思えますが、しかし現実社会に照らし合わせてみると理解しがたいものだとは言えません。
会社で働いている自分と、プライベートでくつろいでいるときの自分は同じだけど同じではない。
会社内でパジャマを着て歯を磨いていたらおそらく上司にソッコーで摘みだされるでしょう。
「これが私なんです」と言い張ったって意味がありません。そんなプライベートの「私」は、会社で求められているものではないからです。彼らが「私」を必要とするのは、仕事をするときだけです。
そのためある程度の「私」の情報があれば、会社というのは満足してくれます。
これは深読みすれば、本当の情報を提示しなくても極論として偽りでも情報さえあれば雇ってくれるかもしれないということです。

ある日私はだれかのIDカードを拾う。
そして、そのカードを使って買い物をしまくり遊び放題。
会社でも偽りの情報で働けるということと根本は同じようなことです。
つまり、本人でなくてもわりと簡単に他者に成り済ますことが出来ます。
(現実ではそんなに簡単なことではない上に、ばれたら相当やっかいですが)
会社で働いているのは、自分が自分だと信じて疑わない自分というわけではなく、単なる情報です。
○さんというひとつの記号でしかありません。
他人は自分が自分だと信じている自分の内面などは見てないと言ってしまって良いでしょう。
だからこそ、怒られようと無視されようとそんなこと気にせずに仕事だけをやっていれば良いのです。
人間関係もたしかに効率を上げるという点で役立つかもしれませんが、そんなのは表面を取り繕ってればなんとかなるものです。最低限の挨拶や礼儀が最も大事なことなのであり、これさえ出来ていれば良いのでしょう。
じゃあ、こういった名前や肩書といったものははたして自分自身ではないのか?
それは違いますね。
名前も住所も性別も血液型も誕生日も学歴も家族構成も、自分を形作る要素の一部です。
変えることが出来るものもありますが、基本的には私が私であることを確認するためには常に「私」を示しています。


では、普段私たちが「自分は自分だ」と思える理由はなにか?
さきほどの記憶喪失の例でいくと、記憶を失ってしまった人は「自分が自分だ」と自覚が出来ません。
それはなぜ?
記憶喪失になってしまうと、名前も住所も家族もなにもかも忘れてしまいます。
そして、名前以上に自分を自分たらしめている「何か」が抜け落ちてしまいます。
それは何ですか?
答えは意外と簡単です。
そう、それは「記憶」です。
今ここに存在している「私」だけでは、私自身を理解する手助けにはならないということです。
一時間前に存在していた「私」と、20分前に存在していた「私」を覚えているから、今ここにいる「私」が「私である」と言うことが出来るのです。
表には見えないものであるがゆえに、それは非常に曖昧な存在意義のように思えるかもしれません。が、心を持つ人間は皆そのようにして、かけがえのないひとりの「私」を保っています。
たとえ名刺がなくなってもIDカードを盗まれても、自分にとっての「私」が揺らぐことはありません。
カードを盗まれたくらいで、自分の心も無くなってしまうということは基本的にありませんね。
この、自分で自分だと胸を張って言える「私」を【主我】と呼んでみましょうか。
【主な我】です。
これは決して揺らぐことの無い「私」。
誰も盗んだり拾ったりは出来ないものです。

じゃあ、さっきまでずっと延々と言及していた〈名前〉や住所・・・といった「私」に関する情報はこれに対していくらでも盗んだり偽ったり出来ますね。これらを【客我】と呼んでみましょうか。
【客観的な我】です。

「私」という人間は、おそらくこの【主我】(私が私だとj信じている私)と【客我】(名前や肩書)の両方でつくられているのでしょう。もっと多くの要素からも成り立っているかもしれませんが、とりあえずそう考えます。
私は私・・・と考えているのにも関わらず、盗まれたり偽られる(私)という【客我】がときには「私」を苦しめることもあります。
たとえば、私は占いっていうものに興味があるんですね。
姓名判断とか誕生日占いとか。
今はインターネット上でも簡単に占えます。
占ってみるんですよ、そうすると大抵コメントを出してくれる。
あるときはこんな感じで。
「あなたはフットワークが軽くて、明るい人です。常に多くの人に囲まれている人でしょう。」
実際の私は全然違ったりします。(笑)
私自身は、非常に頑固で、人と関わるのがとても苦手だと思います。
表面上は明るく振る舞うけれど、内面ではかなり根暗で人間関係に対してネガティブな人間だと思います。
こういう表面で決められていく〈私〉と、内面で常に葛藤している〈私〉。
常に社会の中で見られる自分と本来の自分を持ってると思います。
しかし、安部公房氏の描く物語の中で、主人公は【客我】を喪失してしまいました。
そして、そのために彼はどこか違和感を感じ、様々な意味不明な場面を経験していくことになります。

【主我】も【客我】もどちらかを喪失してしまうと人間はほとんど自分を失ってしまうのではないか、と思うのです。これ、よーく考えると怖い。
【主我】と【客我】はのっといこーるではないんですね。
どちらも自分なんだけど、その間にはかなりの隔たりがある。
つまり、自分の【主我】と【客我】のあいだには「壁」があるんです。

安部公房氏が描きたいのは、おそらくこういった【客我】の喪失により自己を見つめる視点だと思うのです。
なにか分かりずらい展開が続いていきますが、最終的に主人公が締めくくるのは、「自分ははてしなく成長していく壁である」という文です。
【主我】でもなく【客我】でもない、そのあいだの「壁」なのだ、と。
私にはまだこの「壁」というものが実感をもって迫って来るという感覚がわかっていないと思います。
だからこそこのお話がイマイチ理解しきれていない。
でも、安部公房氏はおそらく、そういった自分の内部の「壁」を示唆しているのだなという風に解釈しました。


内なる「壁」、それは自己を見つめる眼なのでしょうか。
なんとなくでタイトルをつけてみました。(笑)
あなたはどんな自己を持ち、どんな「壁」を持っていますか?

自己を見つめる inside me
お次は試しに持っているCDについて。
やはりずっと聴いている年季の入ったものをひとつ。

Love Notes
ゴスペラーズ
2001年6月6日発売
レーベル:キューンレコード

Love Notes/ゴスペラーズ

¥3,059
Amazon.co.jp

1、Promise -a cappela-
2、永遠に
3、NO MORE TEARS
4、八月の鯨
5、U'll Be Mine -acoustic version-
6、AIR MAIL
7、t,4,2
8、渇き
9、LOSER
10、I LOVE YOU, BABY
11、あたらしい世界
12、カーテンコール
13、ひとり

13曲入りで、そのうちの2曲がリテイク。
「Promise」と「U'll Be Mine」です。
これらはゴスペラーズの記念すべきプロデビュー後に出されたファーストアルバムではピアノの伴奏やバックサウンド付きで収録されていました。
それをアカペラもしくは抑えめのサウンドにして歌い直したものです。

「Love Notes」というタイトルからわかるようにすべてが恋や愛に関する曲です。
実は私はこのアルバムがきっかけでゴスペラーズというアーティストにハマりました。
今から10年ほど前のことですね。
10年前の私、多感な時期。
なつかしいなぁ。


◎Promise
作詞が近藤聖子さんという女性です。
黒沢さんが以前、「サークルの女の子に書いてもらった」と濁した言い方をしていましたがおそらく当時付き合っていた彼女さんなのでしょう。(あくまでも憶測だけど)
I'm with youは「僕は君のそばにいるよ」という意味。
It's my promise「それが僕の約束」
keep smilin' It's just your promise「笑顔でいてよ それが君の約束だ」

この曲では「promise」という言葉が出てきます。
これは「証」のようなものでしょうか。
「僕はずっと君といるよ、これが僕の約束なんだ」と何度も語りかけるように歌われることからやはりファンからしてみたらウェディングソングの定番のような存在ですね。
しかし具体的な結婚を示唆するような語句は使われていません。
ということで、これはどんなときに聴いても恋愛をしている限り普遍的に響く曲でもあります。

ふと心に留まったのは、男性の「そばにいるよ」という語りかけ。
女性の恋愛曲の特徴っていうと、どちらかというと「そばにいてよ」系が多いような気がします。
「そばにいるね」という曲を出した方もいますが、いろんな方の詞を見ていきますと、結構ね、多いんですね。
「そばにいて」「抱きしめて」「いかないで」「離さないで」「ひとりにしないで」等々。
それはやはり女性は守られたい・愛されたいという生き物なのであるということを示しているのでしょうか。
それに対応という意味ではないかもしれないけれど、男性は「そばにいるよ」「抱きしめるよ」「抱きしめたい」「守るよ」等々といった言葉を恋愛の詞で使う人は多いような気がしますね。
男女平等とはいえ、まだまだ精神的な部分では男女の感覚は消えないのでしょう。
っていうか、やっぱり平等なんて無理があるように思います。
別に男尊女卑を推奨とかってわけじゃないんですけども、そういう精神面で同じフィールドに立つ必要はないと思うんですね。
上下というか、支配するものと従属するものっていう区別があるからこそ恋愛とか結婚に発展していくことが出来るんじゃないかなっていう気がするんですよね。なんとなく。


◎永遠に
妹尾武さんという方が作曲しています。
私はゴスペラーズを聴くようになってこの方を存じましたが、作曲家として非常に優れているメロディの創り手さんだと思っています。
彼はゴスペラーズに限らずいろんな曲をピアノで弾いてそれをCDとしても出しています。
繊細かつ大胆。そんな演奏が、とても心に沁みます。


◎NO MORE TEARS
NO MORE TEARS IN MY EYESは直訳だと「僕の目には一滴の涙もない」だけど、自然な訳をするのであれば「もう泣かない」といったところでしょうか。
NO MORE TEARS IN YOUR EYESも自分なりの解釈をしてみると、「泣かないで」よりも「もう泣かさない」かなぁ。
強い意志を歌った決意ソングだと思っています。


◎八月の鯨
へこみ村てつソングの中で一番好きかもしれない曲。
ポップな曲に、こんなに切ない歌詞をどうして上手く歌いこなせるのでしょうか。
ぜひともその秘密を知りたいところですね。
村てつ、その名も「村上てつや」。
ゴスペラーズのリーダーであります。
彼は売れたころにサングラスをかけていたため、それ以降メディアではずっとグラサン装着です。
とても強そうに見えるかもしれませんが、黒い黒いグラサンの向こうで実は常に泣いてるような人です。
(嘘だが絶対ないとは言い切れないのがミソ)
繊細というか乙女チックというか。
そういう部分を見せてるわけじゃないけれど、彼のつくる曲や歌詞を見てみると納得できると思います。
そして私個人の考えではありますが、邦楽界でもかなりの歌唱力をお持ちの方だと思います。
ソウルを歌わせたら、ハンパないほど震えるこの胸ライオンハート。
(しまった、違う歌手の曲だしてきちゃったじゃないかー( ̄Д ̄;;)
さて、曲はポップと書いたけれど、ちょっと海に潜ってるような気分にもなるような曲です。


◎U'll Be Mine
作曲はゴスペラーズ。作詩は安岡さん。
作「詩」と書きましたが、これにはわけがあります。
ゴスペラーズのメンバーである安岡さんのモットーは、「ひとつの物語として完結するように詩を書きたい」だそうです。だから彼の書いたものはすべて表記が、「作詩」になっています。
大人っぽい曲ですね。
寂しい曲調と非常に洗練された言葉で構築された世界観が見事にマッチしています。
デビュー後すぐにこれを作ってますから、まぁなんといいますか、彼らの感性ってやっぱり凄いなと思う次第。
U'll be mine、「君は僕のものになる」。Uはyouの意味。


◎AIR MAIL
作曲は北山陽一さん、作詩は安岡さん。
黄金コンビによるレベルの高いお仕事!
メンバーである北山さんがおそらく全裸でつくりあげただろう曲を安岡さんに持っていき、詩を書いてと依頼。
この素晴らしいコンビネーション具合から名曲が多いため、このふたりはファンのあいだでは「黄金コンビ」と呼ばれています。
北山さんは端の方で歌い始めるときに音叉を鳴らして音を取っている人です。
もともとはテナー声(高い声)だったようですが、ゴスペラーズを結成したときに低音担当がなかなかいなかったため、そのグループ内で一番権力を持っていたであろう怖い先輩に目をつけられて鍛えられたようです。
「お前がベース歌えるように俺が徹底的にしごいてやる」とひとり暮らしの彼の部屋へ泊まり込みでやってきたおっそろしい(だがつぶらな瞳がキュートな)先輩に負けることなく努力をして、才能を開花させたお方であります。
(のちに彼の語る所によればそんなに先輩を怖いと思ってたわけではなさそうだが)

さて曲のほうですが、なんとなく海というか波の上を漂う感じの曲調。
ほんわかしてて、どこか包まれているような。
それでいてアレンジのおかげで切ない音も出ています。
詩はさすがですねー。
私がこの曲を大好きなのは、この詩がとても繊細で綺麗な描写をしているからです。
よく読んでいくと「あぁこれは遠距離恋愛の曲か」と思いますが、あまり現実的で生々しいフレーズは使われてません。海や星や月といった自然に関する言葉を散らして状況を描きながら離れているふたりを示唆しているというのが素敵です。
そしてなんと、この曲のピアノは北山さんが弾いております。


◎t,4,2
作詞作曲、酒井雄二さま。
ゴスペラーズの天才奇才とは彼のこと。
クールな視線の描く先はおそらくゲームかパンかきのこでしょうか。
5人のメンバーの中では立場的にちょうど真ん中にいるためか(?)、常にウケを狙っています。
背が高いので歌う立ち位置は端の方が多いですが。
そして非常にクリアな声質を持ったお方でございます。
この曲は、ある一場面を切り取ったような曲ですね。
あったかみのあるメロディに、夕暮れを感じる描写とともに「彼女」のことを描いてます。
「僕」と「彼女」の関係性はおそらく、恋人。
ってことはこれってつまりのろけ?
うわーなんかそう思ってなかったから今気付いたことでなおさらびっくり。
さかいさーーーーーん!!うわーーー!!うらぎりものーーー!!

・・・取り乱しちゃった、てへ。(照)

いやいやあほみたいなコントは置いておきましょうね。ぽいぽいっとな。
それで、この曲の歌詞は客観性とか一定の距離感を感じるんですよね。
「僕」と「あなた、君」ではなくて、「僕」と「彼女」。
呼びかけや語りではなくて、どこか突き放したような客観的視点。
ということは、この詞の中にあるのは一種の「物語」。
だからこそこの曲の盛り上がりは、「秘めつづけても」から始まる黒沢さんと酒井さんの追いかけっこのように歌われる「僕」の心情なんでしょうか。
タイトルのt,4,2は「time4時2分」ではなくて「tea for two」の略です。
(曲タイトルの下に小さく書いてある)
意味は、「ふたりでお茶を」とのこと。
オシャレな響きです。


◎渇き
作詞作曲は黒沢薫さん。
とうとう名前があがりました、ゴスペラーズで一般的におそらく一番知られているであろう名前です。
彼の特徴はなんといっても、あの突き抜けるようなハイトーンとビブラート。
かつてソロ曲の一番難しい部分を歌っているところをテレビで観て、「やっぱうめぇぇぇえーーー(((゜д゜;)))」と驚愕した覚えがあります。ハイトーンがとにかく凄い。声質もやはり「上手い」。
しかし、歌っているとき以外の彼の頭の中はほとんどがカレー(と歌)だと思われます。
カレーに異常に詳しいです。
マニアックなカレー店知ってるとか週に5日はカレーを食すとかそういうレベルの話ではなく、自分でカレー本を出版してみたり自作レシピのカレーを実際に売ってみたり。
または人様のラジオ番組でもカレーを語ってみたり、あの関根さんも所属している芸能界の中のカレー部なるものに入っていたり。
ちょっとやそっとのレベルではなさそうです。
それから、もーだから言ってるじゃ~んみたいな天然エピソードも数多くお持ちの方です。
リーダーとは同学年でしかもリーダーよりも誕生日は早いです。
(ふたりとも4月生まれ。)

さてさて、そんな黒沢さんではありますが、曲はとても真面目で正統的で男っぽい感じのものをつくっていることが多いです。
この曲もきちんとしたリズムがあり、サウンドにも確かなものが感じられます。
歌詞を見る限りでは、失恋したときの状況を歌っているみたいですね。
本人としては、「村上春樹さんの小説の世界感」を描いたそうです。
なるほど!だから「渇き」なんですね。
夏の終わりの切なく哀しい状況を思い浮かべるのも、おそらくそういう意図があったからでしょうか。


◎LOSER
これも夏の終わりを描いてます。
夏の終わりのちょっとルーズなお別れです。
ナンパして付き合って恋は終わってしまうけど、なぜか男性はとても引き摺っている感じですね。
ひと夏の恋ってやつでしょうか。
歌詞にある「君が透けて見えた」という箇所が気になっていましたが、それはもしかしたら男性の、「この恋はすぐに終わってしまうんだろう、君はすぐに僕のそばからいなくなってしまうんだろう」という予感のあらわれなのでしょうか。
なんというか、その恋愛が夢の中の出来事みたいに感じているのかな。
そのあとにも、「蜃気楼のように消えるのか」と出てくるし。
だからこそ曲調も浮遊感があるのかな。
全体には切なさがあるんだけど、どこか落ち込みすぎていないユーモアも感じさせます。
それはやはりサビの、「ちょっとだけ ルーズなさよなら」という表現にありますね。
この、「ちょっとだけ」っていうのがミソなんですね。
「超超ルーズなさよなら」だったら、びよよーーんとした間の抜け切ったおばQみたいな印象になってしまいます。
それじゃあ切ないっていうよりもあんたギャル男じゃん、そんなのソッコー別れるに決まってるしぃ~っていうストーリーになっちゃう。
「ちょっとだけ」っていうチラリズム感で女々しさを覗かすところが、かえって強がる男としてのユーモアかなという印象があります。


◎I LOVE YOU, BABY
とてもストレートでわかりやすいラブソング。
しかし、とても興味のあるフレーズがちらほら。
君でなければ」「僕でなければ」開かない扉、これは君と僕の恋ですが、未来の恋を示唆している気がします。
もう一度生まれかわれるなら」、輪廻転生ですね。
そういう思想のもとでというよりも、この恋と「君」に対する希望をあらわしているのでしょうか。
出会いは数え切れぬほど」、ここはサビですしとても力を入れてるフレーズでしょうかね。
人との出会いは無数にあります。
そして、どの時代に生まれるかも自ら選べるわけではないからこそ、同じ時代に出逢えたということが大きな意味を持つのだ、と言いたいのかなと感じます。
わかりやすいラブソングではあるけれど、普遍的で大きなメッセージを伝えようとしているような印象を受けます。
友達も恋人も、そして家族でさえも、また距離は離れていても心理的なところでは想い合っているといってもいいかもしれない芸能人とそのファンも、同じ時を過ごし出逢えたということが、それはたとえ「偶然」であったとしても、当人たちにとっては大きな意味を持つ希望なんだよ、というメッセージのように思いました。
「偶然」という言葉はわりと良い使われ方をしていないように思うけれども、この曲を聴いていると、「偶然」に大きな希望を感じることが出来る気がします。


◎あたらしい世界
これこそが、どストレートラブソングです。
しかし、本当にラブソングか?
ぼく」と「きみ」と表記しているところが非常に気になります。
あたらしい」世界としているところもそうですが、これは意図的な表現なのでしょうね。
おそらく作詞者は、多くの人に共感を得るというスローガンを掲げたのではないかなと感じます。
できるだけ多くの人が理解できる、普遍的なラブソング?
それは今の携帯電話世代だけではなくて、今という時代についていけないなーと思っているおじいちゃんおばあちゃんもわかるようなものでなければならない。
そう考えながら歌詞を見ていたら、あらたな発見をしました。
この曲は、相手に対する「語り」だけでつくられています。
つまり、関係性は恋人に限らないのだと。
きみを両手に抱いて」、ここから何となくだけど生まれたての赤ん坊を抱える親を連想しました。

最後の英語部分を訳してみます。
Just we'll be there
It's gonna be a long dream

「ぼくたちはただそばにいるだけでいい 長い夢になるだろうね」
かなり自分なりの意訳をしたけれど、曲の流れとしてはこんな感じでしょうか。
「long love」ではなくて「long dream」です。
「きみ」と「ぼく」のいるあたらしい世界で、長い夢を見るほどの愛を誓うよといった意味かな。
やさしさ、あたたかさ、相手の強さで守ってもらえる喜びを感じる曲ですね。


◎カーテンコール
黄金コンビによる作品。
短い曲だけど、想像をかきたてる歌詞です。
これもちょっと、先程言及した「偶然」の要素を感じます。
作為的なものではない出逢いから始まった恋愛ですね。
そういえば婚活なるものが流行る昨今ですが、そんな作為的すぎる出逢いを仕掛けまくってもなかなか実らない場合はどうすればいいのでしょうかね。
合コンや婚活にどうもいや~な空気感を感じるものの、そんなに希望溢れる「偶然」もなくて腐ってしまう場合どうすればいいのでしょうか。
いやむしろ、恋愛なんてどーでもよくね?だって恋愛とか結婚したからってずっとしあわせが続くわけでもなさそーだしぃ。てか、やっぱ金と自由が一番っしょ!と非恋愛的思考へ走ってしまう場合どうすればいいのでしょうか。
今の世の中、どれも正解で正解じゃないみたいな曖昧すぎる価値観はどうすればいいのか。


◎ひとり
有名ですね~。ヒットしましたからね。
愛してるって最近・・・の有名な冒頭のフレーズが印象的。
しかし、よーく歌詞を聴いていくと不思議な気分になるはずです。
2番ABメロ、物議を醸しましたね。もういろんな憶測が飛び交いました。
相手が浮気したと匂わせるフレーズがねぇ。
しかもリーダーの作詞作曲となったら、あなた!へこみ村てつを彷彿とさせてしまう。(笑)
浮気した相手に悲しい思いをさせないようにしたいのか、逆に浮気してしまって悲しい思いをさせた相手をもう二度とあんな思いさせたくないのか。
どっちなのか、それとも双方の気持ちに寄り添って作ってるのかはちょっと良くわかんないんですけども。
でもね、この曲やっぱりちょっと凄いですね。
かなり強い愛なんだな、と感じるんですよね。
そんな風に思えるからこそ、あなた「ひとり」だけのために歩いていく・生きていくと決めてるんでしょうか。
そしてこの決意が、「そばにいるよ」とささやく最初の「Promise」へ繋がり、このアルバムは永遠に終わらない愛を語っている気がしてなりません。