疑わしきは罰する 間違いだらけの司法制度 冤罪があって当たり前 アンフェア 司法制度改革 | ロンリーフリーマンのブログ

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一旦逮捕されれば、逃亡や証拠隠滅も出来ない代わりに、自分で無実を晴らす証拠や状況証拠を探したり集めたりすることも出来ない。

警察や検察は、一旦逮捕や起訴すれば、自分たちの威信を守るためにも全力を尽くして

有罪に追い込む証拠や状況証拠を探し集め、逆に無実ということを証明する証拠や状況証拠が出てきても隠滅したり隠蔽したりする。

貧乏人は国選弁護士しか選べず、国選弁護士も被告が冤罪になろうが重い方の量刑不当になろうが痛くも痒くもなく、自分の威信が傷付けられることもなく、たとえ全力を尽くして被告の無罪判決を勝ち取ろうとしても一人や二人の弁護士で証拠や状況証拠などを探したり集めるのは負担も大きすぎて難しい。

裁判官も被告の人生より、警察や検察や裁判所(二審なら一審の三審なら一審二審の)や国家権力の威信の方を重要と考えている。

裁判官は、被告の証言や供述調書より、警察や検察が作った証拠品などの書類の方を重要視し信頼する。

疑わしきは罰するが常習化している。

勾留し続けられている被告は、肉体的精神的に弱っている状況で、うまく一連の出来事や思いなどを伝えられないこともある。

嘘発見器が導入されておらず、裁判官は被告側の主張より告訴側の主張を信用する者の方が圧倒的に多いからそれだけでも被告に方ははるかに不利である。

などの司法制度の実態の元で、無実だろうが被害者だろうが加害者でもあるけど被害者でもあるだろうが微罪だろうが、一旦逮捕や起訴されて勾留し続けられている被告人が、公判などでフェアに争えるでしょうか。

まったくアンフェアだらけの法の下の不平等だらけで、冤罪もあって当たり前だと思いますよね。

ヤフー知恵袋のlonrlyfreeman999やフェイスブックの高田康博やツィッターのロンリーフリーマンも参考にしてください。

平成24年10月 ロンリーフリーマンこと高田康博