山口光市母子殺害事件 死刑制度の問題 死刑制度廃止を望む  | ロンリーフリーマン2013のブログ

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人類国民の味方として、人類国民に不都合な真実・実態・正体等を暴露しまくって、人類国民を目覚めさせ、地球社会・日本社会をより良い方向に導き、人類国民の真の敵の悪魔崇拝者DSの支配を終わらせ、破壊型地獄文明社会から循環型天国文明社会に大転換させたい。

山口光市母子殺害事件を元に述べます。

山口光市母子殺害事件の裁判、判決についてだが、権力者の虐殺や戦争などで何百人、何万人市民を殺しても罪にも問われない連中もいる地球社会で、

そして冤罪の受刑者も含まれる受刑者が刑務官に殺されても執行猶予付きになったり、国家権力の権力者などが犯罪を犯しても、刑法が適用されなかったり、立件されない事も多くある中で、

時にはあまりにも酷い目に遭いすぎて感情が爆発して、人を殺したり、その他の理由も含めて、誰でも人を殺す可能性を持っているわけであるが、

その当事者である被害者やその身内ら自身が復讐、仕返し、同じ目に合わせたいと切望し、本人らに成り代わり、国家権力に行なってもらうのは当然である、という考えであれば封建時代と何も変わらないという事になりはしないか?

キリスト教みたいに左の頬をぶたれたら右の頬を出しなさいや、憎しみ悪行には愛で返しなさいなんて教えは聖人以外不可能であるが、腐りきった国家権力のための最低裁判所や世論やマスコミに流されていないか。

単に感情論から『この被告人は死刑制度の死刑判決により死刑にされるのは当然である』と主張するのは簡単な事である。

感情も大切なものであるが、理性、寛容という事ももっと大切な事なのである。

こういう事件においては、罪を憎んで人を憎まず、というふうには中々いかないと思うが。

もちろん死刑制度があるおかげで凶悪な犯罪の抑止力になっている事も重々承知しているしこの被告人の犯行手口や動機も酷いものである事も承知している。

私は神仏の存在を信ずる者だが、たとえ遊び半分で人を殺した者でも、神仏が神仏の子であるその人間を死刑にしたいと思ったり、裁きたいと思ったりするのであろうか、良心に問うてみるべきであろう。

そしてもちろんこの幼き魂であり、社会を甘くみている本人に一番責任があるのは当然であるが、

今の国家権力やその体制、影響力のある人々や大人の言動、心を置き去りにした教育制度、親などのしつけ、社会環境やマスコミなどに何の責任も問題もないと思うのか?

この特別に悪い、おかしい被告人が死刑の判決になって、死刑制度によって死刑執行されてめでたし、で終わらせるのか。

心を置き去りにしている限り、こういう特別な人間が地球社会に現れるのも当然であろう。

もちろん私も犯罪を憎む者であるし、松本智津夫や宅間守のような凶悪犯が存在する限り消極的ながら死刑制度必要悪論者である(江原啓之氏の書籍を読んでから死刑制度反対派に転向)

冤罪がないようにあらゆる司法制度改革などを行った後、という前提でね。

この被告人が池田や森や小泉や福田や麻生らの息子や孫なら、絶対に死刑判決を受けないと断言できるね。

それほど、この法治国家といわれている日本でも不平等がまかり通っているんだがね。

腐りきった国家権力や腐りきった最低裁判所や腐りきった裁判所によってね。

死刑制度を廃止するか、存続させるかや、選挙制度の在り方や、総理大臣などを公選制すなわち直接選挙で選ぶべきかなどの国民の根幹に関わる制度などは、直接、国民の投票によって決めるべきであろう。

 

なお、私は、2回も国策的、恣意的に実刑の冤罪にされ、合わせて4年投獄された上に、人権蹂躙までされまくられ、出所後も西成警察署の刑事にも暴行を加えまくられるなど、日本一酷い目に遭わされてきたと思えるほど滅茶苦茶酷い目に遭ってきた者です。

 

前々件の冤罪が平成13年わ第35号第100号第210号で前件の冤罪が平成15年わ第6561号です。

なおこの事件番号でさえ、前代未聞の冤罪事件を把握されないようにするために腐りきった国家権力によって改ざんされている可能性があります。

 

腐りきった国家権力と闘い再審請求や告訴を行い、司法制度改革案を広め、この日本から冤罪や量刑不当や不当逮捕や不当起訴や人権蹂躙などを無くす活動をするために寄付を募ってますので、心ある方々は次のところまで寄付をお願いします。
 

ゆうちょ銀行 14130 28745701 タカタヤスヒロ