おはようございます、カツオと申します。


ようこそひねもす日記へおいでくださいました。

このコロナ禍、初老の男の一人暮らしのなかで小さな幸せを見つけて生きたいと思っています。



少し古い話になりますが、去る先月3日から3泊4日で、福島、山形、新潟、長野へと車で旅行してきました。大したエピソードはありませんが簡単に今回の旅行をまとめておきます。

日程:令和2年11月3日~6日(3泊4日)
訪問先:福島県、山形県、新潟県、長野県



今回の旅行の目的は戦国時代の名家 上杉家を偲ぶことにあります。

僕はそれほど歴史に強い興味は持っていませんが、時代小説を読むのが好きなので、つい先頃読んだ(読むのは2回目) 藤沢周平の『密謀』という、主人公が上杉謙信の養子の上杉景勝に仕えた執政 直江兼続を題材にした小説から今回の旅行を思い立ちました。ウソ、本当は日本海の美味しいものを食べに行きたくて(笑)。


この小説は、上杉謙信が没した後、上杉景勝が上杉家を継いで戦国もようやく終わり、豊臣秀吉が天下人になってから関ヶ原の戦いまでの、上杉家がどのように外交によって時代を切り開こうとしたかを描いた小説です。

広大な越後(謙信時代は越中越前も)を領していた上杉家が太閤秀吉の思惑によって石高同程度とはいえ会津に移封され、さらには移封3年後にまたも家康によって石高四分の一の30万石の山形県米沢に移封されました。

移封と言葉にすると簡単ですが、家臣数万人が新領地へと大移動するのです。上杉に限らず結構な数の大名が領地の移封をこの時代にされていたようですので、日本の中の細かい血族が拡散されたのはこの時代だったのかもと想像すると興味深いですよね。いい意味で血の希釈が成されたのですから。


そして上杉家の最後の土地 米沢は小さな国でした。関東管領、豊臣政権の大老まで務めた上杉家がその後の江戸時代では極貧の生活(だったらしい)を強いられることになったのです。それを思うと当時の越後国の居城 春日山城(現在は城跡)や米沢の上杉家廟所を訪ねてみたくなったのです。



さて旅行記。


【1日目 (11/3) 会津若松へ】

前日に予定した仕事が急遽キャンセルとなって2泊予定から3泊にしてしまいました(笑)。そこで当初福島まで東北道をひた走って米沢経由で宿泊地の新潟県村上市の瀬波温泉泊まりだったのを会津若松に変更。瀬波温泉は2日目としました。

早朝5時に自宅を出発して海老名インター近くのすきやで朝食。海老名インターから圏央道に乗ったのですが方向を間違えて湘南方面へ。( ̄▽ ̄;)
海老名インター大っ嫌い!行く方向が有りすぎるんだよ!そこで新東名方面へ向かい厚木南?インターで降りてUターンして再び圏央道に乗りました。幸先悪いです。運転気を付けねばと自戒します。

8時頃でしたか、佐野SAでトイレ休憩。そこでブログ更新をいたしました。1日目の宿泊地は会津若松ですので宇都宮インターで東北道を降りて、ここからはゆっくりと一般道を走ることにします。国道4号線に出てさくら市で給油休憩します。あと、忘れ物をしまして、旅のお供の小説を持ってくるのを忘れてしまい、ガソリンスタンドのお兄ちゃんにBOOKOFFが近くにないか聞いたのですが無いとのこと。( ̄▽ ̄;)
僕は旅のお供の本がないとアカンやつで、スマホでBOOKOFFを捜したところ、ここから20キロ程先の道の途中の西那須野にありました。おおよその場所をナビの地図に登録しましたがこれがドンピシャ。数百メートルの誤差でした。気を良くして買った本はお気に入りの藤沢周平の短編『麦屋町昼下がり』です。これは過去にも同じように旅のお供を忘れまして、その都度買い求めて自宅に2~3冊『麦屋町昼下がり』がございます(笑)。

時刻は11時少し前、昼飯はどうしようかと考えて、これから山坂道にわけ入るので、街中のこの辺りで摂った方が良いのでは?と考えて、ありました幸楽苑。ラーメンチェーンですな。僕は基本一人旅の昼飯は名物と云われる凝ったものは食べません。夕食に備えます。


西那須野の幸楽苑で540円のネギラーメンを食べて国道400号線から山坂道へわけ入りました。まだ栃木県は紅葉狩りの車で賑わっていましたが国道121号線に変わって南会津へ入る頃には前後に車がなくなり気持ちの良いドライブを楽しめました。

紅葉が綺麗です。せっかくの紅葉ですから1枚ぐらいは写真に撮っておかなくては。




この南会津の紅葉も綺麗でしたが、翌日に観ることになる最高の紅葉をまだ知らず。( ̄▽ ̄;)

しかし、田舎道は好きですな。信号もほとんどなくただひたすら走る。神奈川県も田舎道みたいな道路はありますが交通量が多い、短い。楽しめない(笑)。本当に田舎道はいい。僕の旅とは、この田舎道を走ることにあるのではないかとこの頃思います。


1時過ぎに会津若松に到着しました。目的地は鶴ヶ城です。ここは若い頃に何度も添乗で訪れましたが今回は印象が変わりました。以前はもっと大きなお城だと思っていましたが意外とコンパクトに感じました。街の印象も変わったのは家々がキレイになったからかな?



1日目はよく晴れていました。





上杉氏 1598→1601が泣けます。
たったの3年で国替えとは胸中穏やかとはいかなかったでしょうね。


そして今夜のお宿へ。

会津若松と言えば東山温泉がありますが、あそこは古いという印象。そして結構潰れた旅館もあって昔を知る僕にはなんとなく悲しい気持ちになったので、調べると市内に大江戸温泉物語があるではないですか。しかも安い!一人で2食付きで1万円しません。今夜はこちらにお世話になりました。お部屋は小綺麗で、夕朝食のバイキングは上手くコロナ対策が整っていました。特別豪華な食材はありません。まあ普通といったところでしょう。日帰り入浴も可能な大浴場は広々していて良かったです。密閉を避けるために僕は露天風呂へ入りましたがこちらも広々で、冷たい空気の中を赤トンボが群れていて風情がありました。



【2日目(11/4)   米沢へ】

2日目からは冬の日本海の天気でした。雨が降ったり急に日が射したり、そうかと思えばまた雨が。しかも寒かった。でも喜多方を抜けた頃に大きな虹が広がって感動。先頃の莉乃ちゃんゲストのバナナマンのせっかくグルメで、日村が行った秋田県とそっくりな大きな虹でした。


今日は会津若松から喜多方を抜けて米沢へ。

喜多方までの国道121号線は自動車専用道路でまるで高速道路です。なんでこんなところに、と言っては失礼かもしれませんが、首都圏に住んでいる者としてはこんな道を造らずともすぐ横を走っている田んぼ道で充分だと思うのです。自動車専用だと時間が少し短縮するぐらいで途中の町は素通りで、田んぼ道なら途中で何かしらのお金を通告車は落とすと思うのですがね。何か違和感を覚えるのは僕だけでしょうか。( ̄▽ ̄;)




そして車は今回の旅の最高の感動ポイントへと向かいます。

喜多方の街を抜けた国道121号線は山形県米沢市へと峠を越えて行きます。僕の頭の地図は結構なくねくね山坂道だったのですが、実際は近年トンネルと橋でキレイに整備されたカーブの少ない道へと変貌しておりました。紅葉は昨日の南会津よりも標高の高い山々で原生林なのでとても美しかったのですがね。

僕は車を走らせながら「まったく日本の緑豊かな大自然はどうなっちゃうんだよ!」と独り言の嘆きを呟いていました。

そしてある1つのトンネルに入って、向こう側の明るい出口が近付いて来ると、今までと違う何やら朧気に白い感じがします。そのトンネルを出るとなんとそこには雨が雪に変わっているではありませんか!

目の前に広がる白い雪模様に周りの景色は赤や黄色の紅葉した樹々。思わず言葉を失うほどの素晴らしい景色に先ほどまでの小市民の愚痴も忘れてしまいます。

そして次のトンネルを抜けると景色は紅葉した樹々に雪が積もっています!美しい!さすが東北です。

年をとるとどうして涙脆くなるのでしょう。一瞬に感じる儚さですかね。僕は独りで胸をつまらせました。生かされている。何かしらに僕らは生かされている。そう感じる瞬間でしょうか。


出来ればこの美しい景色を写真に撮りたかったのですが、真っ直ぐに整備された道は停めるスペースもほとんどなく、後ろからは大型トラックが僕の車と一緒に結構なスピードで走っています。

心のシャッター。( ̄▽ ̄;)


その美しい雪景色も間もなく終わりました。峠を越えたのです。一応補足しますと、この旅行に出る前にタイヤをスタッドレスに換えておきました。安タイヤですが少しは安心でしたね。

そして米沢市内へ。

雪から雨には変わりましたが車の気温計は4℃!寒い!雪の峠では3℃でしたが1℃しか変わりません。たしか喜多方では8、9℃あったと思うので米沢は寒いのですかね。

去年の旅行でやはり帰り道に米沢市に立ち寄って上杉神社には参拝していましたので、今回は上杉家廟所と直江兼続の菩提寺である春日山林泉寺を回ります。



米沢藩主上杉家廟所

新しく仕立て直された毘と龍の旗。その奥に上杉謙信を筆頭に歴代藩主の墓所がずらりと並んでいます。

真ん中の墓所が上杉鷹山公の墓所です。鷹山公の代から墓所の造りが簡素化されたそうです。右手の墓所と造りが違います。


相変わらず雨は降ったり止んだりの繰返し。本当に寒い!

そんななか、この上杉家廟所は米沢市内の街中にあっても森閑と佇んでいました。米沢市民からは、廟所、御廟所、御霊屋(おたまや)などと呼ばれ、敬い親しまれているそうです。合掌


時刻は11時。昼飯時です。米沢と言ったら米沢牛。いえいえ、1日目にも書きましたが昼飯は基本名物は食べません。しかも今夜の旅館では村上牛のステーキが出る予定なのです。そこで米沢と言ったら近頃では米沢ラーメンも有名だそうですので、スマホで調べると、この上杉家廟所近くにも2軒あるではないですか。歩いて数分のお店へ行くと定休日でした(笑)。本当に寒いので温かいラーメンが食べたくて、もう1軒また5分ぐらい歩いたところに。

ガビーン!ここも定休日!!!2軒とも水曜定休日問題!!!ちょっと問題じゃね?( ̄▽ ̄;)


仕方ないので車に戻り次の目的地  春日山林泉寺へ。その途中にどこかあるでしょ。あー、ラーメン屋さんありましたけど駐車場がすでに満車です○| ̄|_

そそくさと林泉寺へ(笑)

春日山林泉寺

直江兼続の墓所は大変立派で、お方様の舟と並んで建っていました。

詳しくは知りませんが、一国の執政職を何十年と一手に引き受けていたその才能は、豊臣秀吉も彼を欲しがっていたのも頷けます。おそらく男でも惚れるような好男子だったのでしょうね。合掌。



さて、ラーメンといきたいところですが、長くなりましたのでこの続きは次の記事に。( ̄▽ ̄;)

後編に続く




指原莉乃ちゃんについては、そんなに言う指原ってどんな子だったの?って思われたらこちらにどうぞ!😆👍➰

『アイドル 指原莉乃の軌跡 (2016年→2020年編)』
https://ameblo.jp/kazchan345/


彼女の軌跡をテーマ毎に記事にしてあります。テーマは100ありますが、特に読んで欲しいのは「指原莉乃という人」や「さしはラーカイブ」、「今年の一枚」辺りでしょうか。

拙い文章で読みにくいとは思いますが彼女が気になったらぜひ!



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