現在の住居表示では
市ヶ谷駅の南側に一番町から六番町までの街区があります。
しかし江戸時代のそれは、
範囲や位置がかなり違っていたようです。
「番町皿屋敷」の舞台となった当時の五番町は、
現在の一番町とほぼ同じ範囲だといいます。
まぁ、だいたい女子学院高校あたりから、
イギリス大使館があるお濠まで。
そもそも”番町”という地名は江戸時代からの町名で、
将軍の警護役だった大番組があったことに由来します。
今も一番から六番までの町名ですが、
これも大番組が一番組から六番組まであったため。
江戸時代中頃に書かれた地誌「江戸砂子」には
「一番町から六番町に至り、うらおもてと入り組み、
むつかしき屋敷町・・」とあるそうで、
表町、裏町、新道などが入り組んで
わかりにくい町割りだったようです。
「番町にいて番町知らず」
「番町で目あき目くらに道をきき」などの川柳があったとか。
ちなみに、「皿屋敷伝説」は全国にあるといい、
東京と同じく有名なのは兵庫県姫路の「播州皿屋敷」。
”皿屋敷”とはもともと更地の屋敷のことで、
”更地”が”皿”に変わって”お菊”のストーリーを考えたともいいます。
(千代田区五番町)