ちょうど一年ほど前、

”大塚”を取り上げた時に

茗荷谷にある貞静学園の敷地内にあった塚が

”大塚”という地名の由来だった話をしました。

 

その時にこの茗荷谷を少しだけ歩いたのですが、

”茗荷”にひかれて再び訪れてみました(笑)

 

素麺には欠かせない夏の香味野菜。

いいですねー

 

ところでこの茗荷谷。

江戸時代には”茗荷谷村”だったのかと思いきや

そんな村はなく、このあたりは”小日向村”(こひなたむら)でした。

 

”茗荷谷”が公的な地名として現れるのは明治44年から。

昭和41年まで”茗荷谷町”がありました。

 

おそらく江戸時代の小日向村の中に

通称として”茗荷谷”という小さな地名があったのかもしれません。

 

今でもこのあたりは小日向~丁目で、

”茗荷谷”は地下鉄の駅名に残るだけです。

 

街を歩いてふと疑問に思ったのが

”みょうが”は、はたして本当に野菜の茗荷?

もう一つ、

世田谷、渋谷、四谷、千駄ヶ谷、雑司が谷、市ヶ谷・・

「谷」と書いて「や」と読む都内の地名が多い中、

”茗荷谷”はなぜ「たに」?

 

どこを見ても茗荷畑はないし、

1キロほど離れた群林堂の豆大福を食べながら

口絵にある深光寺の石段で一休み。

 

ちなみにこの深光寺。

「南総里見八犬伝」の作者滝沢馬琴の墓があるんですって。

 

(つづく)

 

(文京区小日向4丁目)