二十四節季でいうと

今は「穀雨」だそうです。

 

「暖かな雨が稲を育てる」とありますが、

残念ながら私の周りに田んぼはありません。

 

でも不思議に

もう少しすると、

どこからともなくカエルの声が・・

 

 

ところで前回の”まぼろし坂”の帰り道。

プリンスホテルを横目で見ながら

麻布十番へ向かいました。

 

その途中で出会った

”伊皿子坂”(いさらござか)の風景。

 

地名は知っていたのですが、

初めて訪れました。

 

坂の傾斜はゆるやかで、今は片側二車線の広い道路です。

それにしてもそそられる地名。

 

このあたり一帯は

少なくとも江戸時代中頃には

”いさらご”と呼ばれていたようです。

 

「芝伊皿子明下町」「芝伊皿子七軒町」

「芝伊皿子台町」「芝伊皿子寺町」など

”芝”を冠していろいろな町がありました。

 

そして今の高輪1~2丁目、三田4丁目あたりは

昭和42年まで”伊皿子町”でした。

 

もともとこのあたりを指す通称地名”いさらご”が、

町名になり坂の名になり今に続いているわけです。

 

”伊皿子”の意味について広く言われているのは

「江戸時代中頃、当時の中国人、明の人がこのあたりに住み、

外国人を意味する「えびす」に「伊皿子」の文字を当てたため」

というのがあります。

 

うーん・・

いくら外国人が珍しい当時とは言え

中国人一人がいたくらいで坂の名になりますかねー⁉

それだったら「えびす坂」として残った方が自然な気もしますし(笑)

 

「風俗画報」という当時の雑誌によると

伊皿子坂は別名”潮見坂”といい、

古くは”潮見埼”と呼ばれたとあるそうです。

 

足元に芝浦が見え、潮の満ち引きまでわかるために命名されたと・・

 

つまり、すぐそこは海岸だったわけです。

 

こうした状況から私が思うのは

砂丘や砂地を意味する”いさご”という地名との関連です。

「砂子」「砂子田」「砂子沢」「砂山」などがあり、

千葉の九十九里ではまさに砂丘のことだとか。

 

海岸から続くこうした地形があり、

古くは「いさご」と呼ばれていた・・

 

「いさご」ではない「いさらご」だぞ

「ら」はどうした!

と言われてしまいそう(笑)

 

ちょっと苦しいかなー

 

(港区三田4丁目)