桜を散らして

一陣の風が湖面を駆け抜けていきました。

ここは富士五湖の一つ

本栖湖です。

 

“本栖”にある湖だから

本栖湖なのですが、

“もとす”という地名は

すでに平安時代の記録にあるようです。

 

西暦800年と864年に富士山が大噴火しました。

当時、富士山北麓には

“剗の海”(せのうみ)と呼ばれる大きな湖があり、

これが二度の噴火の溶岩流によって

西湖、精進湖、本栖湖に分かれたことになっています。

 

特に864年の噴火について

甲斐国の国司が京都の朝廷に報告書を送っています。

 

そこには

「草木はすべて焼け焦げ

大地は溶けて流れ

湖がお湯のように熱くなり

魚や亀は死滅し、

人家も湖とともに埋まってしまった・・」

 

こんな甚大な惨状が記されているといいます。

 

この中に、本栖湖は「本栖水海」という名で登場します。

 

ということは、この時代には

“もとす”という地名があったことになり、

古くは本巣や本須などの表記もみられるようです。

 

その由来について

一説に「巣鷹山による」というのがあります。

“本栖”の栖が本来は“巣”だった

ということからの説ですが

肝心の巣鷹山は・・・?

 

どこにある山なのか

さっぱりわかりません。

 

巣鷹山と聞いて思い出すのが

日航機事故の群馬県御巣鷹山です。

 

江戸時代には

関東甲信に多くの“御巣鷹山”があったそうです。

この山には

「御巣鷹見」と称する役人がいて

将軍家の御鷹部屋に送る鷹のヒナが

巣の中で育つのを管理していたといいます。

 

将軍にとって

「鷹狩り」がいかに重要なイベントだったのか

うかがい知るようですが

こんな役人がいたんですねぇ。

 

本栖が本来“本巣”で

巣鷹山に由来しているとすれば

やはりこうした役割の山が

どこかにあったのかもしれません。

 

とはいえ

巣鷹山の麓だからといって

本巣になるかなぁ・・・

 

なんとなく

しっくりきませんが・・

 

(つづく)

 

(山梨県富士河口湖町)