多分、自分はこの先もずっと「正しくあれている」という確証を持って何かを為すことは出来ないと思う。

うっすらと生活にモヤがかかっていて、手探りに正解や利益の糸を引っ張るような、難しいというか、自分の将来全てにその模索という作業が張り巡らされているのが怖いんだ。どこかで壊れてしまいそうで。

自分からその創作という名の「模索」の地を跨いだのだから、それが望んでないことでは無いけれど、

ただただ将来が怖い。言ってしまえば全て投げ出して逃げ出したい。どこでもいいから誰も自分を知らないとこまで静かに暮らしていたと思う。


辛いと楽しいが入り交じることなんて、誰だって一緒だ、だれだってこの2つを抱えて生きてるんだ。

だから、教育番組のような話、誰も彼も何か抱えて生きている。そんな単純なことを当たり前に理解し合って。あわよくば生活の中、些細な幸せを分け合えるような。優しさで溢れればいいなとは思う。

だけど、その優しさに囚われてはいけないんだ、

僕はいつだって優しさを求めすぎて、理解し合えないことの方が多い世界で、理解をして、と言っても。一定のことは仕方ないと割り切らなきゃ行けないんだ。


僕は弱い人間、正しさの指標が自分の中にない。

誰かに理解されること、愛されることが、正しさで。

きっとここまで正しくあることに固執してしまうのもまた、弱いからなんだろうなとは思う。


間違ってでもいいから、僕は僕でありたい

全てに愛されることと、貫くことは、共存できないんだ。