新宿の初台駅にある

東京オペラシティアートギャラリー






恵比寿のリブラリエシスで宇野さん展が開催される際は会期中にご本人が在廊されていることもあり


90歳にはとても見えない、ダンディな宇野さん。




今回の展示作品は900点以上にものぼるということで圧巻でした。


一部を除きほぼ撮影可。




60〜70年代の宇野さんの仕事は、

新書館から出てた寺山修司の本のイラストや広告などで当時から目にしていて


睫毛の長い笑わない女の子とか

裸の女性のイラストに子供心に淫靡な気配を感じておりました。今から思えば。





それにしてもです。





60年代の婦人雑誌表紙デザインがイカしてるのです。






今もあるらしい、育児雑誌のこれも。

内容は読んだことないけど表紙に限って言えば不穏なくらいの無愛想さで


「若いおかあさんの相談あいて」というキャッチコピーのママ雑誌とはなかなか思えないところが素敵です。





無駄に笑顔を振り撒かない、

媚びないご婦人がたをモチーフにした写真や

不敵な面構えの子供のイラスト。

ちょうど私の母親世代が読者層だった頃です🤔





毒とユーモア




1963年頃の東急百貨店クリスマスのパンフレットが良かったな














カッコいいですよね〜








(こんなポスター作る銀行、いまの時代にはないよね。あったら口座つくるわ^ ^)






伊勢丹のディスプレイ





長きに亘り

企業や団体、作家からの依頼や舞台etc

たくさんの仕事を手掛けてこられた宇野さんの言葉を聴いたり読んだりして


プロフェッショナルであるということについて思った。




以下ざっくりお言葉の一部大意



仕事であるからには

依頼主が誰か、どんなメディアを通すのかを考慮して表現(残酷さやエロ、社会的禁忌などの度合い等ってことかと)を調節する。


とか(注文に応えるのは当然であるとしても)



「自主性のない状態に居ることが好き」


「自分の思想を絵にするわけではない」


とか



言われるほど前衛などは意識してこなかったつもり、

特別な人ではなく日常で見かける人物を作品の元にすることが多い



などとも仰る。




個性はそれでもおのずと現れ


唯一無二の結果でクライアントに応える

プロの表現仕事。




逆に

いろんな分野で

まあまあよく見かける、


『自分は他の(凡)人とは違う、個性(なんかの才能だと言いたいのか)あるレアな人間なのだ』

的なことを自ら主張する人。。



なんかカッコ悪いんじゃなかろうか。







以前、

『仕事』という言葉を

「お金のためだけに時間を切り売りする、本意ではなく仕方なくやる作業」

または

「見返りのためにやるだけで、情熱など一切伴わない作業」

と解釈されたことがある。

なのでその時は会話がズレてしまった。



自分が使った仕事という語の意味は

それではなかったから。



そして

言葉をどう定義して使うかは

日常のコミュニケーションにおいて大変重要だと痛感したのでした。







…とにかく


宇野さんのめくるめく『仕事』一代記を一望できて


真に才能ある人の

個性と仕事とはこのように両立するのだということを確認した次第です。















(図録良きです)


 ( ^ω^ )