1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件。
亡くなった方々に、合掌。
当時は新宿区内に勤務していて、
部屋に入ってきた上司が
外が何か大変なことになってるようだと言ったことや
報道を見た家族や友人達と安否確認をしたことを覚えている。
事件よりずっと前
その頃自分が住んでいた中央線沿線の駅前で
妙な踊りを踊っていたグループを何度か見かけたことがあった。
白いペラペラの服にお面みたいなものを付けて歌に合わせてゆるい動きで踊っていた。
後からそれがオウム信者達だったと知った。
まるで練習不足のお遊戯会みたいで
奇妙な人達だなと思ったが
幼稚なことを・地味な風貌の大人たちが・真面目な表情でやっていて、日常の風景の中、その奇妙さに不快な違和感を感じたことは覚えている。
何かに面した時に、
自分のなかのどこに収めていいのか判断しかねるものに対しては、困ってうやむやにしがち。
だけど違和感はなくならない。
それはこの本にも述べてあって、
村上春樹が言うように
「なにかおかしいという違和感」を認識しながらも見過ごしてきた側にも反省点があるのだと、
今更ではあるけれど思う。
村上春樹の小説のファンではないけれど
翻訳作品とこれは折に触れ読み返す。
ものを書く人の渾身の仕事だと思う。
基本的に仮名だそうです。
誇張することなく
一人ひとりの姿が浮かび上がる文章は、
自分がその人と対話をしているかのようで
凡百のインタビュー集とは全く異なる。
こちらは信者達のインタビュー集。
…語られる話には到底共感出来ないし
不快な気分になりだんだん読んでてイヤになってくる。
この人達は果たして自分とは別世界の異質な人達なのか、どこがどう違うのか。
この中に
「ずっと悩んできた問いに教団が即答してくれて、すごいなあと思って入信した」という信者の話がある。
答えらしきものを相手(しかもよく知らない他人)が差し出してきたとしても自分は受け取りたくはない。
考えないですむのはラクだけれど、その結果
依存から服従までは目に見えている。
日常の小さな事ひとつひとつの選択にも己の覚悟が要るものなんだよ。他人に委ねるな。と思っております…
本について。
村上作品のうち、小説に関しては良さがわからず馴染めないままであまり読んでいない。
ぜんぜん熱心な読者ではない。
だけど
翻訳作品と、
この「アンダーグラウンド」「約束された場所で」という仕事だけでも
村上春樹の偉業は理解できるのではなかろうか。
偉そうにすみません。
自分にとってはそうだという話です。
ある出来事から時間が経過して行き
記憶する人が少しずつ減っていくときでも、
読んで知ることにより私達は少なくとも
想うこと・考えることは出来る。
「アンダーグラウンド」は、片手間に気軽に読むような内容ではない。
語る人聴く人の真剣さに、
読む者も敬意を持って対峙しなくてはならない内容だからそれは当然のこと。
被害を受けた人達の言葉は重く、
それを受け止めようとする作家の業の結晶でもある。
ゆえに
どうでもいいのを10冊読む時間があるならば、これを読む。
いわゆる作者のあとがきにあたる
「目じるしのない悪夢」は必読。
むしろ現代において。
(うまくまとまらない)
ミモザも終わりですね