先日、ホリデーで出会った新しい食べ物について投稿したので、もう少し踏み込んで「人種」について触れたい。
海外で一番感謝すること、それは「自分が日本人である」ということ。
ご存じの方も多いと思うが、日本のパスポートは世界でのトップクラスの強いパスポートでどこの国でもほぼビザが必要ない。
決まって日本のパスポートを自慢げにチラつかせる
この場を借りてお礼を言えるなら「日本人です」といってしかめっ面をされることはまずあり得ないのは、日本人の皆一人ひとりが国内外で日本人として誇りある振る舞いをしてくださっているからに違いなく、日本人を「好きか」と言われたらやや考えるが「誇りに思うか」と聞かれたら間違いなく「Yes」である。
もっと言えば「日本人です」から始まれば絶対嫌われない自信があるとも言い切れるので、自己紹介に必ず自分が日本人であることを伝えることにしている。
そんな自分の国籍を誇らしい一方で、マレーシアでは興味深い話があった。
マッサージやタクシーのドライバーやら口を揃えて「サウジアラビア人は酷い」と愚痴ってくる。
例えば、マッサージを予約しても来ない。マッサージ後に代金を払わず去る。
タクシードライバーも同じようなことを言っていた。特に新婚のカップルが一番質が悪いらしく、タクシー内のバックミラーを見て後方を確認しようとすると、夫が「自分の嫁に色目を使うんじゃない!!!」と激高し、「バックミラーを覆い隠せ」と命令するそうだ。ドライバーが女性であれば問題ないらしい。「えーっ」しか言えない。
自分の身近にサウジアラビア人がいないので、「それは間違いない」とは言い切れないし、丸っとサウジアラビア人として括るのは間違っているのは分かっている。が、そんな話を聞くと正直「日本人で良かった」とやっぱり思ってしまう。
因みにエミレーツ航空はとても良かった
マレーシアからタイに移動した途端に、サウジアラビア人を見なくなった。
これは「イスラム教」が深く関連しているはず。マレーシアの6割がイスラム教徒で、タイは9割が仏教徒である。
海外に出ると、この宗教が及ぼす文化の違いというのをモロに感じる。
一口にイスラム教、キリスト教とか言っても、それぞれの宗派があり、信仰について個人の意見は控えるが、この世に生を受けた途端に「信仰の重み」を背負う人生ってなんなんだろうな、と考えてみたくなるのである。宗教が人生に与える影響はあまりにも大きい。
50代を前に自分のルーツ、そして宗教観について学ぶこと。これはこれからの人生の後半戦をどう生きるかという問いに対し、大事なヒントがあるのではないかと言う気さえする。
そう思うきっかけは実はタイの出来事にも繋がる。<つづく>