子育てが得意でないおかめが、よそ様の子育てにとやかく口出しはすまいと心に誓っていたのに!

ヒョットコとその日一日話していたくらい頭にこびりついていた。

 

この週末のオシャカのフットボールの試合中の出来事だった。

フットボールはそろそろシーズンが終わり、9月から始まる新しいシーズンに向けてどのチームもトライアルが開催されている。

オシャカのチームは今年は二人選手を募集しており、試合に参加してもらってレベルを判断するということだったので、日曜日は半分くらいトライアルを受けに来た子が混じって試合をした。

 

何がおかめの頭にこびりついていたか。-親のサポートの仕方である。

自分で言うのもなんだが、オシャカのチームの家族は常識的でフレンドリーで、このチームに入れてもらえたことに感謝している。チームの強い弱いももちろん大事なことだが、親御さんがどんな人たちかというのは同じくらい重要なポイントだ。

そんな中、今回トライアルに来た数名の父親たちの子供に対する欠点の指摘の仕方に驚いたのだ。

 

試合中ずっと、一秒も応援することなく「そうじゃないだろ!よく見てプレーしろよ」「間隔をとれってば」といった言葉を浴びせ続けているのだ。子供が半泣きになろうものなら「泣くぐらいなら止めろ」と言う。聞いているだけで悲しい気持ちになった。そして試合後には「子供にもっと頭を使ってプレーさせたいんですけど、ああいうポジショニングだと、、、(云々カンヌン)」とチームのやり方にすら不満を漏らしていた。

 

おかめは思った。

「子供に頭を使ってプレーさせたいならあなたの子供に対する批判の嵐を止めたらどうですか?」と。

あんなに親から非難を試合中ずっと浴びせられていたら使える頭も使えないだろう。

 

少なくとも、オシャカのチームにそういう親御さんはいない。

シュートが入らなくても、そのトライに拍手したり、『出来たこと、挑戦したことを褒める』のが基本。

その上で試合後に出来ていないところをマネージャーから指導が入る。「もう少し次回は〇〇するともっと良い」という様に。

 

一人の子供はヒョットコの紹介で今回の試合でトライアルに参加したので、マネージャーからヒョットコにこんなメッセージが届いた。「〇〇はパフォーマンスが素晴らしかった。ただ、同時にleast happyなプレーヤーだった」

 

これ、これ。これがいま流行りの【自己肯定感の低さ】の原点を物語っている。

お母さんは近くで何も言わずずっと見ている。それも信じられなかった。

おかめだったら「あなたがプレーしているわけじゃないんだから、オシャカを信じなさい」と絶対口を出す。

 

十分承知しています。家庭の在り方も子育ても家庭それぞれですし、うちの子育てが正しいなんてちぃとも思っていません。

ただこれが言いたかっただけ。

「もう止めましょう、そういう昭和っぽい子育て。子供を籠から羽ばたかせてあげましょうよ。子離れの時です、お父さん」