異色な選挙が終わって1ヶ月あまりが経過しました。
だいたいのことは報道で語り尽くされているように思いますので、私の目に映ったことを書いてみようと思います。
創価学会から離れた後、基本的に私は旧民主党も含めて立憲民主党の候補者に投票してきました。そうした意味で、私は立民の支持者でした。例外は、石破総理の間だけ、選挙区の自民党候補者が旧宏池会の候補者の時だけ自民党に投票しました。
立民は政策では稚拙なところがあり、鈍臭い政党だとは思いますが、そうしたところが私自身と重なることもあり、妙な安心感や親しみを感じていました。(その鈍臭さが、今回は致命的なことに繋がったのでしょうけど、、、)
そうした、私にとって、いわば政治的なよりどころとなっていた立民が、今回は公明党に抱きつかれるかのように「中道」なる政党を作ってしまいました。私は、この「チュードー」なる党名には違和感が非常に強かったです。言うまでもなく、中道という言葉は池田さんが好んで用いていた言葉です。選挙期間中の公明党出身候補者の様子を見ていると、「チュードー、チュードー」と、楽しそうに叫んでいるように見えました。それはそうでしょう、連中が師匠とする池田さんのスローガンを、街中で堂々と連呼できたわけですから。
いずれにせよ、そうした池田趣味の語彙を立民に押しつけ、更には現有議席数よりも多くの公明系候補者を比例名簿の上位に並べ、一体何様なのかと思いました。
当初は、以前は自民党に流れていた学会票が「中道」なる政党に流れ、善戦するのではないかとの観測もありました。この予想の通り、学会票が中道に流れて、立民出身の議員が多く当選するのであれば、党名や比例名簿に関する無礼は我慢するしかないかとも思いました。
しかし、当初公明党は人物本位などと中途半端なことを言って、フルスペックでの支援をしていないように見えました。目に見えて旧公明党側からの支援が強くなったのは、投票日一週間前あたりに自民圧勝の見込が伝えられてからであったように思います。そのままでは合流に関する不公平が露見してしまうと思ったからではないでしょうか?
今回の選挙における私の投票行動ですが、選挙区は悩む必要がありませんでした。立民系の中道候補者一択でした。比例についても、直前までは仕方なく中道と書こうとしていました。しかし、実際に投票用紙を目の前にした時、「中道」の二文字を書くことに、ものすごく心理的な抵抗を感じました。
私は、どうしても、この池田趣味の「中道」という汚らわしい二文字を書く気持ちにはなれませんでした。「中道」の二字を書いてしまうと、死してなお亡霊のように世の中に漂う池田さんの存在感を認めてしまうかのような気がしました。とうに決別した池田さんの手垢にまみれた中道という文字を、自分の手で書きたくないという気持ちが強烈にわき上がってきました。こうして私は、その衝動に従い、代表は微妙ですけど幹事長が素晴らしいと思っている別の政党名を書いて投票しました。
結果として、選挙は自民党の圧勝に終わり、チュードーなる政党の獲得議席数は悲惨な状況になりました。中道は公明党出身の候補者は全員が当選しましたが、立民出身者は重鎮も含めて多くの候補者が落選しました。従来から立民支持者であった私にとって、今回の選挙は、大切な政治的なよりどころであった立民が、公明党という寄生虫に食い荒らされた気持ちです。
その後、中道なる団体の代表選挙が行われましたが、公明党出身者は立民出身者に一定の配慮をするとのことで代表戦に出馬しませんでした。これも、私から見ると、立民出身議員を矢面に立たせて、盾として利用しようとしているように見えました。
今回のことについて前向きに考えることもしてみたいと思います。
今回の選挙で、公明党は、組んでも良いことにはならないどころか、疫病神以外の何ものでもないことが政界に知れ渡ったのではないでしょうか。今や学会の集票力は極めて限定的で、その割に世間の評判も悪い。となると、今後公明党と組みたいと思う政党や政治家は出てこないのではないかと思います。自民党も、今回は公明党の選挙協力がなくても圧勝しました。今回は公明党出身の議員数が増えましたけど、若干の延命以上の意味はないことでしょう。
尚、今回の選挙では、統一教会と繋がりがあったとされる自民党の候補者がたくさん自民党公認候補として立候補し当選しました。これは、日本の有権者が統一教会は創価学会よりもマシだと判断したように見えてしまいます。創価学会って、そんなに嫌われているのかと、驚くしかありません。今回のことを機に、創価学会と公明党が消滅へと向かうスピードが更に加速し、過去の遺物となることを楽しみにしていたいと思います。