先日、古いノートを整理していたとき、ふと目に留まった一ページがありました。
それは、私が日本語を本気で学び始めて間もない頃に書き残した一行でした。
「いつか日本で働けたら、たとえ給料が高くなくても、きっと暮らしは快適なんだろうな。」
今になって読み返すと、思わず笑ってしまいます。
 
あの頃の自分が幼稚だったからではなく、「海外生活」に対する多くのイメージが、情報が十分でないまま作られていたことに気づいたからです。日本に興味を持ち始めた頃の私は、どこかフィルター越しにその生活を見ていました。日本で実際に働くようになってから、海外から思い描いていた日本の仕事や生活と、日々の現実とのあいだにあるズレを、少しずつ実感するようになりました。秩序があり、リズムが安定していて、努力すればそれなりに報われる——そんな印象を、無意識のうちに抱いていたのだと思います。ところが、日本の会社員の日常を本当に知るようになってから、現実は想像していたほど単純ではないと分かりました。関わる人が増えるにつれて、ある変化にも気づきました。人々が話題にするのは、「聞こえがいいかどうか」ではなく、「この生活を続けていけるかどうか」になっていったのです。
家賃は収入のどれくらいを占めるのか。
 
医療費や保険、年金はどこまで自己負担なのか。日々の出費は、時間とともに重くなっていか
そして私は、これまで見落としていた大切な点に気づきました。 生活の質を本当に左右するのは、
求人票に書かれたきれいな数字ではなく、 最終的にどれだけの
日本での生活を続けられるかどうかは、この「手元に残る感覚」に大きく左右されていると感じます。
そんな流れで、私はときどきsalary calculator aiのようなツールを使うようになりました。私にとってそれは、「行き先を決めるため」のものではなく、ぼんやりしたイメージを、具体的な数字に分解するための補助的な存在です。以前、こんな表現を目にしたことがあります。
 
日本の会社員は、決して消費したくないわけではない。ただ「心の中に見えない安全ライン」を持っているのだ、将来に対する不確かさを感じた瞬間、人は本能的に支出を抑える。この感覚は、日本が長年置かれてきた経済環境や社会制度と深く結びついているように思います。安定は大切です。けれど同時に、安定は変化の遅さや、試行錯誤のコストの高さも意味します。だからこそ、日本では大きな決断をする前に、現実条件を非常に細かく検討する人が多いのかもしれません。
 
今の私は、もう単純に「給料が高いかどうか」だけで日本の仕事を評価することはあまりありません。
それよりも気になるのは、 この制度と環境の中で、自分の手取り収入が、どれだけ余裕のある、
張りつめすぎない生活を支えられるのか、という点です。
おそらくそれが、多くの日本の会社員が目立たず、控えめに見えながらも、とても計画的に生きている理由なのだと思います。決して楽な道ばかりではなくても、自分がどんな形で暮らしているのかを、きちんと理解している。
私にとって、日本を観察することは、ひとつの「あり得る未来」を先取りして眺めることでもあります。
そのまま真似する必要はないけれど、選択の裏側には、見過ごされがちな現実の細部が数多く隠れている。
そして、その細部まで考え抜くこと自体が、一つの成熟なのだと思うのです。日本で働き、暮らすということは、こうした現実的な条件を含めて、自分の生活をどう支えるかを考え続けることなのだと思います。