前の記事で、なんのために生まれてきたのか、という深そうで実はどうでもいい話をしましたw

「人は誰が作ったのか」「なんのために生まれたのか」「なぜ死ぬのか」「死んだあとはどこへ行くのか」

これらの問いは根本的に共通してると、南直哉(みなみ じきさい)さんという僧侶の方がおっしゃっていましたが、なんとなくわかる気がします。

現に、自分はこの「問い」から自分の生き方を決めようとしています。

宗教には全く詳しくないので、以下、ほとんど想像で書きますが、戯言だと思ってください。

アメリカ人(全員とは言わない)が信仰しているのはキリスト教。
おそらく、「神」の存在を前提にしているのでしょう。

アメリカの事情に詳しいジャーナリスト(?)の町山智浩さんという方の話によれば、キリスト教の福音派と呼ばれる宗派というのは、ここでいう「人は誰が作ったのか」という問いに対しては「神が創造した」と答えるそうで、サルからの進化論を認めないそうです。一部の地域・集団で行われるジーザス・キャンプというものの中では
「人ってサルから進化したとおもう?」
「そんなバカな~!」
というような事を人形劇で子どもに教えるのだそうです。(博士も知らないニッポンのウラ 第9回
「アメリカ政治のおバカなウラ」ゲスト:町山智浩氏)

また、その福音派の人たちは、世界が滅亡の危機に瀕した時には「神の手」が地上に降りてきて、人類の約半数を地上から消し去って、救ってくれると信じているんだそうです。これは本気で信じているそうで、ゆえにブッシュ政権には戦争をけしかけていたんですって。戦争になっても自分達は救われると信じているから。


つぎにオウム真理教の話。
最初の4つの問いではないですが、オウム真理教の教えには、生きているうちに良い行いをした者は死んだあとはより高い所へ行ける、という思想があるそうです。つまり、生きているうちになるべく苦しい体験をして、それに立ち向かった功績を抱えて死ぬんですって。
村井秀夫というオウム真理教の幹部が刺殺されるという事件がありましたが、団体内で行われた葬儀はそれは豪華絢爛だったそうです。


最後に仏教の話。1つの宗教でも宗派が多岐に分かれるというのはよくある話なので、あくまで南直哉さんが仰る仏教の話をさせてもらいます。
この思想によれば、最初に書いた4つの問いに対しては「分からない」という立場をとるそうです。
なので、この思想に救いを求めても、スッキリする答えが返ってきません。 安易に答えを与えないらしく、相談者は悩み続けるしかありません。
ただ、「大事なのは、答えが無くてもやっていけるということ」といって、悩みながら生きていきなさい、ということを説くそうです(自分の勝手な解釈も含む)。



自分は最後の仏教の話に感銘を受けたので、決してスッキリすることはないのですが、非常に現実的な思想で、これからも健康に影響が無い範囲で、悩み続けようかなと思いましたw


ただ、何が言いたいのかというと、4つの問いに限らず、自分の人生観によって生き方が変わってくるという事。

すこし大胆な事を言えば、人生観がない人っていうのは、いつ死んでも良いような「つまらない人」。
何を語らせても、特に信念が無いような「暖簾に腕押し、ぬかに釘人間」だと思う。

新興宗教に走る人って言うのは客観的に見て問題はあるけど、人は困難にぶつかると救いや答えを求めるものだと思うので、安易に答えをくれる創価、統一、オウムを信仰する気持ちはすごく分かる気がします。
おそらくそういう人たちは、少なくともヌカに釘人間よりは人生を満喫していると思う。

宗教を信仰していなくとも、「My哲学」みたいなものを持ってる人は少なくないと思う。
変な思想を信仰するのは良くないですが、自分の拠り所を全くもたないのも問題だと思います。

いまの若者は「芯」がないように感じますが、それは見る目がないのでしょうかね。
高校3年生で覚醒(笑)したときから、沸々とこういう事も考えるようになりました。

社会人の人生は、サラリーマンであれば一般的に22歳から定年まで約40年間あります。人生の大部分を占めるのは事実。

だったら自分のやりたい職業に就くのは当然。

じゃあ自分のやりたい仕事とは何か?

即答できない。むしろ時間をかけても分からない。ならいっそのこと、興味があると「思われる」職業に就いて、空いた時間をせいぜい楽しむか。

いや、自分の事だから、やりたくもない仕事を40年間も我慢できるわけがない。転職を繰り返すか、ドロップアウトするのが関の山。そもそもやりたくもない事を40年間もやり続ける人生って楽しいのだろうか。

老いた人は口をそろえて言う。

「私の人生はこれで良かった。けっして裕福とは言えなかったが、子どもができ、孫ができ、みんな笑って過ごせた。それでいいじゃないか。私の人生に悔いはない。」

じゃあ問いたい。
あなたは本当に望んだ仕事に就き、仕事を楽しめましたか?

死ぬ前に、自分が見た事もない世界を旅してみたくないですか?

世界中の珍味を堪能してみたくはないですか?

しかしその人は言う。

「いや、そんな事はしなくていい。家族が笑って過ごせただけで満足なのだ。悔いはないのだ。」


自分はこういう老人にはなりたくない。こういう人たちは無理に自己を肯定しているように見える。
仕事は楽しくない。そういうマイナスは棚に上げ、人間関係や恋愛・結婚のプラスで相殺し、マイナスには目を瞑る。何か不満があることを薄々は感じながらも、無理に気付かないフリをする。
そういう人たちは、自己を肯定するしか方法はないのだと思う。自分自身がやってきたことを否定されると、何が何だか分からなくなるから。

自分だったらこう言いたい。

「私は天職に巡り合えて心行くまで仕事を楽しみ、財を築いた。その後は世界中を旅し、素晴らしい建築物や景色を見、文化を知って、美味しいものを食べた。私の人生に悔いはない。」

家族の笑顔?そんなものは当然、大前提だと思う。


とどのつまり、「自分のやりたいことをやったか否か」。これで人生の満足度が変わってくるのだと思う。

無理な自己肯定は幻想に過ぎない。やりたいことを心から楽しんで死にたい。

そのためには、結局「やりたいことは何なのか?」に戻ってくる。

自分は何をするために生まれてきたのか。

こういう考え方から、この問いに至りました。

「自分は何をするために生まれてきたのか」  これには流石に誰も答えられない。だから「仮」でも良い。仮にでも良いから自分が「これだ!」と思うものに出会いたい。

そのためには勉強をし、世の中を知って選択肢を増やすしかない。


こういう事を考えていると、すっと内向き姿勢に陥ってあまり健康的ではないのは分かっているつもりなのですが、どうしても考えられずにはいられない。なぜなら自分の人生を少しでも有意義に過ごしたいから。

そもそも、自分が何をしたいか分からない人。 「なんで生きてるの?」って思う。自分も含めて。

「なんだ、やりたいこと特にないんだ。じゃあさ、今死んでも困る事はないんじゃない?」って思う。

たしかに今の自分の人生、自分が死んで誰も悲しまないとするならば、自分は今死んでも特に困らない。
だって別に悔いはないから。

これは悲しいかな、やりたいことが見つかってない人には同じ事が言えそうだ。
そんなことを言うとこんな反論が帰ってきそうだ。

「無意味な死はいやだ。これから何か楽しい事が待っているかもしれないじゃないか。」

たしかにそうかもしれない。自分が死ねない理由もそこにあるから。

でも安心してほしい。そういう人間は大体、「その他大勢の老人」になるであろうから、気にすることなく死ねばいいと思う。


やっぱり自分は何をしたいのか、これは重要な事だと考えるけど、そういう自分は少数派だと思うし、病気じゃないかと言われても文句は特にない。

なんでみんなは考えない事を自分は考えてしまうんだろうね。
家族は言う。「そういう考え方もありだと思うよ。大丈夫」 

その慰めは、自分の問いに対して全く答えになってない事になぜ気付かないのだろう。どうして真面目に考えようとしないのでしょうか。

あまり興味のない人は、そういう事を考えない方が良い気もします。こんな泥沼に軽々と足を踏み入れるのもバカらしいですしね・・・。
このブログに書く内容が、真面目な話になると書いたと思いますが、それはなぜかというのをまず書いておきたいと思います。
なんでこんな性格異常になってしまったのかを事前に説明しておきたいとおもいますw

自己分析してみると、衝撃的な転機となっているのは高校3年生のときだったと思います。衝撃的な転機というのは、人生に目覚めたというか、勉強の大切さに気付いたとか、そんな感じです。

きっかけはドラゴン桜という漫画なので胸を張って言えないのですが、それが事実です。ドラマにもなったので、簡単にその内容を説明します。
偏差値がものすごい低い高校から東京大学に合格者を送り込むというストーリーで、一般的には受験テクニック漫画というような印象もありますが、社会を生き抜く知恵や「なぜ勉強するのか」というようなモチベーションをあげる内容も盛りだくさんで、自分が感化された部分も後者にあります。

この本で人生が変えられたというとちょっと情けない部分もありますが、漠然と学校に行ってた自分、漠然と生きてた自分にショックを受けたのと、何もない自分というものに急に不安を感じました。

あと数年で社会に出なくてはいけない身にとっては、これ以上無駄な時間を重ねることはできない!そう思いました。
あまり良い大学に入れなかったものの、さいわい法学部に在籍できたという事も手伝って、政治や経済、社会保障などに興味を持つ事ができました。社会の仕組みをを知れば知るほど、日本の人々がどういう考えで動いているのかも知ることができました。それの何が楽しいんだと言われるかもしれないですが、自分にとっては社会を知るという事は自分に自信がつくということですし、大げさな事を言えば「知識欲が満たされる」というか、単に物事を知るのが楽しいと思えるようになりました。

でも大きな大きな・・・思った以上の大きな落とし穴が待ってました。それは、「その事に気づくのが遅すぎた」ということです。物事を知ることが楽しいといっても所詮ここ数年だけの話。勉強がつらいという気持ちも大きく残ってますし、漫画やゲーム、パソコンに費やす時間の方がむしろ多いぐらいかも。

勉強が中途半端に楽しい、やらなくてはならないという気持ちと、一方で勉強を避けている現実、この葛藤がハンパじゃない・・・。

社会人として強くなるために、はたまた資格試験に合格するために、勉強しなきゃならない・・・いまの生活を改善しなければならない・・・そんなスパイラルの中で悶々としている自分です。

どうやったら改善できますか?ということを聴きたいワケじゃないんです、苦しんでいる自分がいる・・・ただそれだけですし、実はその状況もアリだと思ってるんです。

じゃあみなさんには何をして欲しいのか、ただ観察しててほしいんです、言いたい事を聴いてくれれば、すごくすごく助かるんです。 ね?意味不明でしょ?w   自分の胸の中も同じくグチャグチャなので、深く考えないでくださいw  ではではっ!
もともと自分の思っている事を多くの人に聴いてもらいたい、理解してもらいたいという願望があったので、以前にもブログやらミクシーやらやっていたのですが、本当に書きたい事というのが分からずに短期間で終わってしまう事がほとんどでした。おそらくこのブログもその1例となるでしょう。

そうは分かっていても書きたいのが僕の性格w  記事を書こうと思う時はいつも何を書こうか迷ってしまいます。
自分の深い悩みというのは誰も興味を持たないだろうし、政治や経済の事を書こうと思っても詳しく知らないので中途半端になってしまう。そんなんでいつも続かないんですけど、一応決めました。

基本的には自分の身の上話。深い悩みから素朴な疑問まで。それに加えて、世間ではこうなってる、みんなはどう思うか、というような若干の客観性を取り入れたような内容にしたいと思いました。
ようするに、「自分はこういう悩みがあるけど、みんなはどう思う?」というなんとも迷惑な内容ですw