## 今日からエンジェル・ゲートが開いた、という説について  
### 大寒という節目に、なぜ「特別な意味」を感じてしまうのか  
── サインを探す心と、静かに差し出されている導き

一年でいちばん寒いとされる「大寒」。  
暦の上では冬の終わりにあたり、次は「立春」を迎えます。

この時期になると、

「何かが切り替わる気がする」  
「ここを境に流れが変わりそう」

そんな感覚を覚える人も少なくありません。

最近では、大寒を  
「エンジェル・ゲートが開く日」  
「特別なエネルギーが動くタイミング」  
と表現する声も見かけるようになりました。

なぜ私たちは、こうした“意味”を自然に感じ取るのでしょうか。



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## 日本人は、もともと「節目」に意味を感じる民族

日本には、はっきりとした宗教用語を使わなくても、

- 季節の変わり目  
- 年の節目  
- 境目の時期  

を大切にしてきた文化があります。

二十四節気、年中行事、初詣、節分。  
どれも「目に見えない区切り」を意識する知恵でした。

大寒も同じです。

自然がいちばん静まり、  
表には何も起きていないように見えるけれど、  
その奥では、春に向けた準備が始まっている。

この感覚は、日本人の多くが直感的に理解できるものです。

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## 「サインを探したくなる気持ち」は、とても自然なもの

先が見えにくい時代、  
変化が早く、不安が多い社会の中で、

人は「何か確かなもの」を探します。

- この選択は正しいのか  
- 今は動くべきか、待つべきか  
- この出来事に意味はあるのか  

そのとき私たちは、

「これはサインかもしれない」  
「きっと意味があるはず」

と考えることで、心のバランスを保とうとします。

これは弱さではなく、  
人間としてとても自然な心の動きです。

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## ただ一つ、少し立ち止まって考えたいこと

サインを探す生き方は、  
「自分の感覚」を頼りに進む生き方でもあります。

それ自体が悪いわけではありません。

けれど、ときに人は、

- 不安なときほどサインを欲しがり  
- 答えを外に探し続け  
- かえって落ち着かなくなる  

という状態にもなりやすくなります。

そこで、少し違う視点を紹介したいと思います。

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## 聖書が語るのは「特別な日」ではなく「特別な方」

聖書というと、  
難しい、宗教的、外国の話  
という印象を持つ方も多いかもしれません。

しかし、聖書が一貫して伝えている中心は、とてもシンプルです。

それは、

「人は、しるしを追いかけなくても大丈夫だ」

というメッセージです。

聖書では、  
人生の道しるべは、  
日付や現象、エネルギーではなく、

すでに与えられている“存在そのもの”だ  
と語られています。

それが、イエス・キリストという人物です。

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## 冬のいちばん深いところで、春は始まっている

大寒は、いちばん寒い時期です。  
けれど同時に、春にいちばん近い時期でもあります。

何かを無理に感じ取ろうとしなくても、  
特別なサインを見つけなくても、

すでに、次の季節への道は用意されている。

聖書が語る希望も、  
それとよく似ています。

人が気づく前から、  
不安になる前から、  
静かに差し出されている道がある。

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## おわりに

節目に立ち止まり、  
自分の歩みを見つめ直すことは、とても大切なことです。

けれど、そのたびに  
「何かのサインを読み取らなければ」と緊張しなくても、  
人生には、すでに差し出されている導きがあるのかもしれません。

聖書には、こんな言葉があります。

> 「恐れることはありません。  
> わたしはあなたと共にいます。」  
> (新約聖書・マタイによる福音書 28章20節)

特別な日や現象がなくても、  
不安なときにそっと寄り添う言葉が、  
二千年もの間、大切に受け継がれてきました。

大寒から立春へ。  
冬のいちばん深いところで、春は静かに準備されています。

人生にもまた、  
気づかないうちに備えられている「次の季節」がある。  
そのことを思い出させてくれる言葉として、  
今日はこの御言葉で、そっと締めくくりたいと思います。