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神がわたしたちの味方であるならば

だれがわたしたちに敵対できるでしょう。

📍 ローマの徒への手紙ー 8:31新共同訳


‘’もし神が味方であるなら''


私たちは日々の生活の中で、さまざまな不安やプレッシャーを感じながら生きています。


人間関係の悩み。

将来への不安。

健康の問題。

経済的な心配。


時には、自分が一人で戦っているように感じることもあるでしょう。

そんな私たちに向けて、パウロは力強い言葉を語ります。

「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。」

この言葉は、「人生には敵がいなくなる」という意味ではありません。


実際、私たちの人生には困難があります。

誤解されることもあります。

傷つくこともあります。

しかしパウロは、「どんな問題があるか」ではなく、「誰が共にいるのか」に目を向けさせています。

問題の大きさよりも、神の大きさ

私たちはつい、目の前の問題ばかりを見てしまいます。


すると不安は大きくなり、

恐れは心を支配し、希望が見えなくなってしまいます。


けれども聖書は繰り返し、

「恐れるな。わたしはあなたと共にいる」と語ります。


神は遠くから見ているだけの存在ではありません。


私たちの喜びも悲しみも知り、

涙も弱さも理解し、人生の歩みに寄り添ってくださるお方です。

神が共におられるなら、

問題が消えなくても、

私たちは問題に飲み込まれずに歩むことができます。


「味方」とは何を意味するのか

神が味方であるという言葉は、とても深い意味を持っています。

それは単に応援しているということではありません。


神は私たちを愛し、

私たちのために働き、

私たちを見捨てないという約束です。

ローマ書8章全体を読むと、

神の愛から私たちを引き離すことのできるものは何一つない、と語られています。


失敗しても。

弱くても。

道に迷ったように感じても。


神の愛は変わりません。

人の評価は変わります。

状況も変わります。

しかし神の愛だけは変わらないのです。

本当の安心はどこから来るのか


私たちは安心を求めます。

お金があれば安心。

健康なら安心。

人間関係が順調なら安心。

もちろんそれらは大切です。


しかし人生は思い通りにならないこともあります。

だからこそ、本当の平安は環境ではなく、

神との関係の中にあります。

嵐のない人生ではなく、

嵐の中にも共にいてくださる神を知ること。

それが聖書の語る希望です。


イエス・キリストが示された神の愛


神が私たちの味方であることを最もはっきり示したのが、イエス・キリストです。

神は私たちを愛するあまり、

御子イエスをこの世に遣わされました。


イエスは私たちの罪を負い、

十字架で命を捧げ、

そして復活されました。


それは、神が私たちを見捨てていないことの証です。


神は遠くにおられるのではありません。

私たちを救うために、

自ら近づいて来てくださったのです。

だから私たちは、

「神は本当に私を愛しているのだろうか」

と疑う必要はありません。

十字架こそが、その答えだからです。


✨祈り✨


天のお父さま。

私たちは時に不安や恐れに心を奪われてしまいます。

けれども、あなたが私たちの味方でいてくださることを感謝します。

問題の大きさではなく、あなたの大きさを見ることができますように。

イエス・キリストによって示された愛を信じ、平安のうちに歩ませてください。

読んでくださった一人ひとりの心を守り、希望と慰めで満たしてください。

主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。

アーメン