勉強で困らないために

勉強で困らないために

成績が上がらない。そもそも勉強しない。「どうすれば?」よりも「どうあるべきか?」
教育の王道を突き進む『学習塾LOGOS』(福岡県春日市・太宰府市・大野城市)の代表が考える勉強の本質とは。

昔から「勉強のやり方が分からない。」という話はよく出ていた。


かつては、話しているうちに「勉強をやりたくないだけ」に落ち着くことが多かったが、最近は本当に分からないと思われるケースが増えた。 


え?教科書を読めばいいんですか?

マーカーって何ですか?

これを解いたらいいですか?

ノートに書き留めるってどうやるんですか?

という具合い。


これを覚えようね→はーい。

次回確認すると、何も覚えていない。


これは「覚える」がどういうことなのかを知らないから起こる。


たとえば「全部正解しないと帰れません。」をやる。

そこで初めて「覚える」をやり出す。

それでもどうやっていいのか分からないので、何度も書いて、空で言えるか確認して…のように「所作」をおしえてようやくコトが動き出す。


勉強の多くは知識を蓄えることだ。

知っていることを増やす。

しかし問題はそれよりもずっと以前のこと、そのためにどうすべきかを指導しなければならない。


思考力の低下は、勉強をする云々よりもずっと低いところで起こっている。

手取り足取り、所作を指導して、初めて勉強がはじまるのだ。


ザンネンながら世の中では、それを「テストのため」という動機づけでしかやってこなかった。

しかし代わりになるものは未だにない。

そのテストに対する危機感が極限まで薄まると、すべきことのアイデアは出てこない。

大事なところは、「忘れたくないから」マーカーを引くなり、メモしておくなり、何らかの「記録」をする。

忘れたくない意識が働かないので、すべきことが思いつかないのだ。


彼らにとって授業は「参加するもの」であり、その場で楽しむことが目的になる。授業を受けることが勉強なのだ。身につくとかそういうことは考えない。意味を分かろうとしないので、話は面白いところ以外はすべて聞き流す。それにも飽きてくれば隣の人にチョッカイを出して遊び始める。その場を楽しむことが目的なので、話がつまらなければ当然そうなる。それは彼らが不真面目だからではない。やっていることの意味、目的を知らないのだ。

ちなみに、彼らが、どうして勉強しないといけないのか?を愚痴る場面は多いが、それを説明しようとすると1分も経たずに隣の人と遊び始める。

人の話を聞けない上に、この手の話を理解するには現時点の学力が足りないからだ。

仕方がないから、テストで〇〇点を取ろう!になるのだが笑、それも「本番をがんばろう」に聞こえてしまい、いまどうするかの考え方にならない。


かつてなら教えるまでもないことを教えなければならない。そういう時代になったのだ。


精神論はまったく通用しない。

頭ではなく手に直接働きかけることが重要だ。