勉強で困らないために

勉強で困らないために

成績が上がらない。そもそも勉強しない。「どうすれば?」よりも「どうあるべきか?」
教育の王道を突き進む『学習塾LOGOS』(福岡県春日市・太宰府市・大野城市)の代表が考える勉強の本質とは。

夏休みも残すところあと4日。

生徒たちの表情が少し暗くなってきた笑


さて、この時期になると必ず出てくる「宿題が終わらない」生徒たち。

LOGOSではその時間もとっているし、日頃から声かけもするが、それでも溜め込む人はギリギリまでやろうとしない。


しかし、それを精神論だけ、つまりヤル気の問題だけで片付けることができない事例もある。

それは、数学なら基礎計算力、理科や社会なら基礎的な知識がほとんど備わっていない場合だ。


ほとんど解けないので、結局全部「答えを写す」だけになるのだが、一般的な人にはその苦しさは計り知れないだろう。


やりたくてもどの問題もできない。問題の意味も分からないし、問題の意味が分かっても知識がないから答えを書けない。計算問題でも、足し算引き算ができないから1問目からまったく手が動かない。

ヤル気の問題で片付けるにはあまりにも「備わっていない」のだ。


最近はこのケースが少しずつ増えている気がする。



この原点にあるものは、文章力の著しい低下だ。

文章を読めない。当然話を聞くこともできない。話を聞けないので授業や解説などもほとんど頭に入らない。


もっと遡った話をすると、例えば「登山」というコトバがある。これは「山に登る」を意味しており、多くの人はそういう考え方で語彙を増やしていく。

ところが、文章力の弱い人は「登山」をトザンとして暗記しようとする。それが山に登ることとリンクしない。勉強が苦手な人は、基本的にこういった何かと何かをつなげたり関連性を導いてグループ分けしたりする作業をほとんどしない。

よって、彼らにとって勉強はすべて「字の暗記」なのだ。

日常目に触れるもの、耳で聞くこと、それらをいちいち何にも関連させずに生活しているので、普段の生活で学ぶことも少ない。


また、このケースでほぼ確実に言えるのは、尋常でない字の汚さだ。

そもそも「文字」や「文章」の価値を知らないのだから、自分で書く字が丁寧なはずがない。

当然ながら習ったことをノートにまとめるなどできない。


その状況で宿題をやりなさいといって問題集をドサッと渡されているので、ほとんど対応することができないのだ。


今後はこういう生徒さんが増えると思われる。

LOGOSなりの指導方針を立てなければならない。