この映画は何度も観ていますが、今回は涙をら堪えなければない場面が多々ありました。


大石先生の純粋な心、子どもの幸せを願う強い心に、改めて感動しました。↓は思いつくまま書いた感想です。


○子ども達が落とし穴を掘り、大石先生の足を骨折させましたが、今だったらマスコミが煽り立て大問題になっているでしょう。では、なぜ、この映画で騒ぎにならなかったのでしょうか。それは、子ども達が大石先生のことが大好きだから悪戯をしたことを、大石先生も保護者も世間の皆さんも分かっていたからです。保護者は、子どもの反応を見て先生を評価し信頼します。


○戦争への危機が迫ると、大不況が押し寄せ、子ども達の家庭も直撃します。「将来の夢」という作文を書いてとき、ある女の子が「夢なんにもあらへん」と泣き崩れます。大石先生は、ありきたりな説教なとはせず「先生にできることは一緒に泣くことだけ」と女の子を抱きしめ共に涙を流します。この姿に感動し思わず涙が出てしまいました。


○その後、教え子の男の子が軍人なると言い出します。命の大切さを説きますが、聞き入れてくれません。大石先生は教師一人でできることに限界を感じ、教師を辞めてしまいます。


○大石先生の夫や教え子にも戦死者が出ます。墓前で戦争から教え子を守りきれなかったことを悔やみます。日本が戦争を回避できなかったのは、個人だけではなく社会全体の問題ですが、この映画では教師として母親として、身近で起こる戦争の悲惨さを丁寧いに描いています。


○戦後、大石先生は教職に復帰し、教え子の子どもを担任することになりました。そして、同窓会に集まったのは半数を少し超える人数でした。それぞれ自分の人生を語ります。歌い手になりたいという希望を諦めきれず廊下で一人唱歌を口ずさむ子、病に侵され命を落とした子、大石先生の子どもも空腹に耐えかね青い柿を取ろうして落下し命をなくします。戦争は終わりましたが、今なお貧国や古い家族制度などが子ども達を苦しめています。大石先生の末戦後付けられたあだ名は「小石先生」から「泣き虫先生」と変わります。戦中戦後を生き抜いてきたことで、人の悲しみや喜びをより一層感じやすくなったのでしょうか。


○教え子達は、骨折した大石先生を見舞ったとき、撮った集合写真を宝物のようにしています。同窓会、戦争で視力を失った男の子が、見えないはずの写真に「ここは大石先生、その横には…」と見事に人物を言い当てていきます。小学校一年生、まだ平和だったころの幸せな思い出が生きる力になっています。しかし、指が画面中央から離れるたびに指で指し示した人物の位置がずれていきます。


○大石先生は、教え子達から贈られた自転車に乗って大雨の中再び分教場へ通います。