南北朝時代に活躍した武将。観心寺中院が菩提寺で8歳から15歳まで滝覚坊に仏教や学問を学び、河内長野市加賀田の大江時親に兵法を学んだといわれています。後醍醐天皇 の鎌倉幕府の討伐(とうばつ)に加わり、赤坂城、千早城で奮戦して後醍醐天皇の勝利に貢献しました。後醍醐天皇の建武(けんむ)政権では記録所寄人(きろくじょよりうど)、 河内、和泉両国の守護などをつとめました。建武政権の崩壊後は足利尊氏と争いますが、摂津の湊川(みなとがわ)の戦いで破れ戦死し、首級は京でさらされた後、菩提寺の観心寺に埋葬されました。

 楠木正成とその一族の、私利私欲よりも民や国を優先した生き方は、江戸時代に流行した太平記や日本外史に描かれて民衆に人気が広まりました。江戸時代後期には日本で最も尊敬される人物となり、吉田松陰、坂本龍馬、西郷隆盛などに影響を与え、明治維新の原動力となりました。明治期には各地で神社が建てられ、皇居外苑には銅像が建てられています。

 後醍醐天皇は当寺を厚く信任され、建武新政後(1334年頃)、楠木正成を奉行として金堂外陣造営の勅を出され、 現在の金堂ができました。正成自身も報恩のため三重塔建立を誓願されます。延元元年(1336)、神戸の湊川で討死後、正成の首級が当寺に送り届けられ、首塚として祀られています。

 その後、当寺は足利、織田、徳川にそれぞれ圧迫を受け、最盛期五十余坊あった塔頭も現在わずか二坊になっていますが、境内は 史跡として、自然に恵まれた環境の中で、山岳寺院の景観を保持しています。