新進気鋭のカメラマンの太一は、「写真から音が聞こえなくなった」と悩む。そんな中、さびれた写真館を営む鮫島の撮影した一枚の写真に心震わされ、華々しいキャリアを捨て、鮫島に弟子入りを志願する。


「被写体を撮るということは自分を撮ることだ。写真には自分が写っている」「目に見えるものだけが被写体ではない」などのことを、太一は鮫島から学ぶ。「瞬きするようにその人の人生の全てを写し取ろうとするのがカメラマンだ」と言う鮫島は、二十歳の時の家族写真を胸に抱きしめる危篤の老婆に、息を引き取る直前までシャッターを切り続ける。この家族写真は嘗て鮫島写真館で撮られたものもので、神戸の震災で失くしていた。最期に写真集を見たいという老婆の願いに応えるため、鮫島とその息子、太一の三人は、岡崎市から瀬戸内海の島まで車で夜通し走り続け届けた。


「写真を撮るには、相手を知り、自分を知る。そしてそれらが響き合いハーモニーとなる」と、鮫島は語る。太一が聞きたかった音が、まさにこのハーモニーだったのだ。


太一の自分を知るというのは、母との関係を見つめ直すことである。わだかまりから逃げないで真摯に向き合うことで太一は大きく成長する。


家庭を顧みず何事も妻に任せきっりにしてきた鮫島であるが、太一との触れ合いの中で鮫島も自分と向き合うことになる。何十年もかかったが結婚式を挙げたいという妻の願いを息子や知人の応援で叶えることができた。そして、結婚式の夜、鮫島は長年渡しそびれていた結婚指輪を自分の手から妻に贈ることができた。


ラストシーンでは、鮫島が「もう少し一緒に写真を撮ろうか」と太一に声をかける。


映画のタイトルは、「明日を綴る写真館」である。人間を磨くために写真はある。