教育について
教育とは「介入」ではなく、自立に向けた「援助」なのです。
対人関係の基本
まずは親が子どもを尊敬し、上司が部下を尊敬します。役割として「教える側」に立っている人間が、「教えられる側」に立つ人間のことを敬います。尊敬なきところに良好な対人関係は生まれず、良好な関係なくして言葉を届けることはできません。
尊敬
尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことです。さらに、尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうことです。
尊敬と仕事
互いのあいだに尊敬が存在しないなら、そこには人間としての「関係」も存在しないでしょう。そのような組織は、たんなるネジやバネ、歯車のように「機能」としての人間が集まっているに過ぎません。機械のような「作業」はこなせても、人間としての「仕事」は、誰にもできないのです。
関心事
会社での対人関係でも、恋人との関係でも、あるいは国際関係においても、われわれはもっと「他者の関心事」に関心を寄せる必要があります。
相手について
まずは、「もしもわたしがこの人と同じ種類の心と人生を持っていたら?」と考えます。
臆病と勇気
臆病は伝染します。そして勇気も伝染すします。
過去について
人間は誰もが「わたし」という物語の編纂者であり、その過去は「いまのわたし」の正統性を証明すべく、自由自在に書き換えられていくのです。
カウンセリング
カウンセリングにやってくる方々は、ほとんどがこのいずれかの話に終始します。自身に降りかかった不幸を涙ながらに訴えます。あるいは、自分を責める他者、また自分を取り巻く社会への憎悪を語ります。(「これからどうするのか」を考えることが大切です。)
ライフスタイル
彼らは「ほめてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」のだし、「罰を与える人がいなければ、不適切な行動もとる」というライフスタイル(世界観)を身につけていくのです。
暴力について
暴力に訴えてしまえば、時間も労力もかけないまま、自分の要求を押し通すことができます。もっと直接的に言えば、相手を屈服させることができます。暴力とは、どこまでもコストの低い、安直なコミュニケーション手段なのです。
叱ることの正当性
(怒っているのではなく、叱っていると言う人に対して)
そう弁明する大人は大勢います。
しかし、暴力的な「力」の行使によって相手を押さえつけようとしている事実には、なんら変わりがありません。むしろ「わたしは善いことをしているのだ」との意識があるぶん、悪質とさえ言えます。
教育の目的
教育する立場にある人間、そして組織の運営を任されたリーダーは、常に「自立」という目標を掲げておかねばなりません。
競争
競争あるところ、駆け引きが生まれ、不正が生まれます。誰かに勝つ必要などはありません。
劣等感
われわれ人間は子ども時代、ひとりの例外もなく劣等感を抱えて生きています。これがアドラー心理学の大前提です。
所属感
アドラー心理学では、人間の抱えるもっとも根源的な欲求は、「所属感」だと考えます。
自立について
「わたし」の価値を、他者に決めてもらうこと。それは依存です。一方、「わたし」の価値を、自らが決定すること。これを「自立」と呼びます。幸福な生がどちらの先にあるか、答えは明らかでしょう。
不幸な救済
不幸を抱えた人間による救済は、自己満足を脱することがなく、誰ひとりとして幸せにしません。
中途半端な正義
なにより危険なのは、なにかが善で、なにかが悪であると、中途半端な「正義」を掲げることです。
正義に酔いしれた人は、自分以外の価値観を認めることができず、果てには「正義の介入」へと踏み出します。
出会いと別れ
すべての出会いとすべての対人関係において、ただひたすら「最良の別れ」に向けた不断の努力を傾けます。それだけです。