桃太郎の正体を探るためにタモリが向かったのは「吉備津(きびつ)神社」。神社の由来を書き記した古文書を読み進めていくと、桃太郎の鬼退治とよく似た物語が浮かび上がってくる。

 むかし吉備の国(今の岡山)には、鬼のように凶暴な勢力がいて大混乱。それを退治するためにヤマトから派遣されてきた天皇の子・吉備津彦命(きびつひこのみこと)こそが、桃太郎のモデルとも考えられる。さらにこの古文書には、桃太郎のお供であるサル、イヌ、キジに似た描写もあるのだという。

 次に、鬼の正体を探りに、楯築遺跡へ。天皇の子をわざわざ派遣するほど巨大な勢力とは何なのか? 訪れた倉敷市にある墳丘墓は楯築(たてつき)遺跡と呼ばれ、弥生時代・2世紀後半につくられた、吉備の首長をまつったお墓だ。お墓の形は、後の前方後円墳のルーツともいわれ、御神体の石の文様からも、後のヤマト政権に影響を与えたような高度な文明があったことがわかる。古代吉備は、大陸とヤマトをつなぐ交通の要衝で、海外の最先端文化がダイレクトにやってくる場所であり、吉備の勢力は統一を目指すヤマトの政権にとって討伐すべき鬼のような存在だったのかもしれない。

 続いて訪れた総社市では、山の上にそびえる古代の城を発見。これは鬼ノ城(きのじょう)という、7世紀・白村江の戦いで築かれた城といわれ、後世の人に「鬼のすみか」=鬼が島とも考えられた城だ。標高400mもの高さに城が築かれたのには、この山の地質が関係。真砂土・花崗岩・アプライト、3つの種類の石がそろったこの山は、土塁や敷石に使える石が豊富で、山の上に鬼のすみかのような城をつくることを可能にしたのだという。

 実は岡山では「鬼がまだ生きている」とされている場所が。冒頭で訪れた吉備津神社では、釜の下に鬼の首が埋められていて、鬼の鳴き声で吉凶を占う「鳴釜神事」が行われている。林田アナウンサーも、気になることを占ってもらうが……