【写真レポート】石巻へ物資支援に行ってきました
■ご案内■このレポートは個人FBと共有しています
(写真をクリックすると大きい画像が表示されます)
(写真をクリックすると大きい画像が表示されます)
「今週末に知り合いが石巻に夏服を届けるらしい。」
そんな知人の話を聞いてすぐに参加を希望しました。
とにかく行って自分の目で確かめたい。何か手伝える事があればと
マスクと夏服を用意して出発!が・・・早朝出発にも関わらず、諸々の事情で
到着したのが夕方。初日は物資の運送で終了。。
NPO石巻復興サポートセンターは石巻駅からすぐの場所にあります。
街は瓦礫の撤去も終わり通常の生活に戻ってるようですが、どことなく暗く
物資不足が感じられる雰囲気です。石の森章太郎の街という事で
009のキャラクター等があちこちに設置されているのが、かえって寒々しい
印象です。そして異常にハエが飛んでいるのがうっとうしい。。。
[ 石巻復興サポートセンター ] 右から2番目が理事の青木さん (ぼかしてます)
センター理事の青木さんは、ソーラー街路灯の製造をはじめ様々な事業を
行う宇都宮の経営者ですが、出張で偶然震災にあった社員を迎えに来た際、
あまりの惨状に使命感を感じてすぐさま石巻復興サポートセンターを
立ち上げた方です。
これまでJCや日本青年会議所などの活動を経て国境なき奉仕団に出向、
海外ボランティアの経験もあり、大変熱意のあるリーダーです。
実は元マルサという経歴で、その経験から何か支援できないかと考えておられます。
そこでは青木さんの活動に賛同する佐々木さんや遠藤さん(今回の訪問の
きっかけとなった方)といった方々が炊き出しや物資の手配、ボランティアの
サポート、仕事の手配などを昼夜問わず行っています。
ガスも水道もつい最近通じたくらいの過酷な環境でずーっとです。
その晩は我々のためにささやかな歓迎会を開いて下さいました。
元料理人の遠藤さんが、ありあわせの食材でさっと料理を振る舞ってくれます。
彼は本当はスタッフでは無いのですが、「自分が料理しないと、皆さん
ろくなものを食べないから・・」と、自然と助け合う雰囲気がそこにはありました。
真ん中が遠藤さん(ぼかしてます)
彼らは震災の時の体験、これまでの活動、現在の取り組みなどを
話してくれました。ここで書き出すと果てしないので止めておきますが、
震災により大きく人生を変えたのは間違いの無い事です。
それは翌朝案内してくれた被災地の写真で感じる事ができると思います。
◆◆2日目は被災地を巡りました◆◆
■桜の名所日和山公園からの眺め
石巻港を中心とした町並みを望む景観スポット。春には桜の名所として
人気のある場所ですが、今は生々しい震災の爪痕を一望する、
ある種の観光地となっています。
日和山公園から
日和山公園からその2
瓦礫は大分片づいたとはいえ、地元の方が「3ヶ月経ってまだこうなんだ。」
という状況です。TVで見てはいましたが、実際に自分の目で見る「廃墟と化した
街並み」は衝撃的です。我々はこの現実からかつての石巻を想像するしか
ありませんが、震災前はこんな美しい場所だったのです。
↓↓↓↓↓
るるぶ.com
自分も地方都市出身なので何となく想像してしまうのですが、
地方の寂れた街からは人がどんどん離れていく。「こんな街」と思って都市に憧れる
若者も、この眺めはきっと誇らしくあったと思うのです。わが故郷。生まれ育った情景。
そんな「自分の原点」を根こそぎ奪われ、無惨な姿を見せつけられ、
彼らがどのような思いでいるのかと思うと辛いです。
■爆心地のような門脇地区
次に向かったのは、さきほど眼下に眺めた門脇地区。
最も被害凄まじい場所のひとつです。「いきなりスラムだから」と案内する
佐々木さんの言う通り、次の瞬間に爆心地のような場所が現れる。
戦場のような門脇地区
一段上がった居住区は普通の生活をしている
何度も言いますが、これで3ヶ月経過した状態です。
震災直後の凄まじい様子はこちらのブログでご覧頂けます。
↓↓↓↓↓
石巻の震災被害/門脇・南浜周辺
提供:真羊舎ブログ
ここに立つと本当に恐ろしい。瓦礫が撤去され荒廃した風景が延々と続き、
何かが迫ってくるというよりも体が何か強力な力で引かれていく錯覚が起こる。
この恐ろしさは文章や写真や動画で伝わるものではありません。
ふと後方を見ると、わずか1~2mの段差でごく普通に生活している家々がある。
視線を戻すと爆心地。この残酷な現実が人の心に影を落とし、悲しみや
苦しみに加え、不毛な比較、猜疑心や憎悪が入り交じった重苦しい気配を
生むのかもしれません。それがこの恐ろしさに拍車をかける。この感覚は
現地に立ち、目で見て自分で感じ取るものだと実感します。
生むのかもしれません。それがこの恐ろしさに拍車をかける。この感覚は
現地に立ち、目で見て自分で感じ取るものだと実感します。
写真や映像で見るそれは人の意識を通して切り取ったもので、決して自分の
ものにはならない。それはあくまで「事実」でしかないのです。事実に確かな
想像力がなければ正しい情報にはなり得ないのでしょう。
■火災も受けた門脇小学校
次に案内されたのは殆ど焼けただれた門脇小学校。
ここでも多くの子供達が命を失いました。
張り紙の上の高さ(170cmくらい)まで津波が襲ってます
全焼した廊下
私はここで最高の恐怖を感じましたが、それは写真に見るようなインパクトでは
ありませんでした。意外にも地味にじわじわと襲ってくるものだったのです。
例えば上に掲載した廊下の写真は衝撃的で大変印象的なものですが、
もう片方の棟にある廊下に立った時の事です。あまり火災の被害が無かった
ようで、人が歩けるようキレイに片づいていました。
想像してみてください。
薄暗い廊下は次第に真っ暗な闇へと続き、その奥、遠くに外の光がぼんやりと希望の光のように見えています。
ふと両脇を見ると、自分の身長を超える場所に津波が到達した痕が残っています。その半分位の身長であろう小学生がここで被災したのです。暗闇に子供達の日常をイメージしてみます。
次の瞬間、恐怖におののき泣きき叫ぶ彼らが、凶器と化した濁流にのまれもがき苦しみ廊下に流れ込む様子がハッキリと目に飛び込んできました。ものすごい衝撃。波に投げ飛ばされ漂流物に体をえぐられる子供達。しかし私は身動き一つする事ができないのです。あっという間、ほんの一瞬の出来事です。
絶命する時、子供達はあのぼんやりとした光を見たんだろうか?
私はあまりの恐ろしさに泣いていました。
■臭いでダウン
その後、より港に近い観光地区などに案内頂いたのですが、海に近づくにつれ
悪臭が酷く、磯臭さに石油系の臭いがまじった強烈な臭気にやられて
お先に車に引き返す始末。本当に虚弱でまいります。。
心配してくれたのか、佐々木さんが車に乗り込んできました。
佐々木さんもたくさんの友人・知人を亡くしながら、それでも常に明るく前向きな
方です。「本当に被災者?」と思うような愉快なキャラクターなのですが、
もちろん多くの悲しみを抱えています。車に乗り込み携帯を操作しながら
彼がぽつりと言いました。
「おいさ、屋根の上で4時間待ってたんだよね。
電話もメールも通じなかったけど、電池はたくさん残っていたから、
ダウンロードして聞いてたんだ。サンボマスター。『希望の道』最高なんだ。」
そういってその曲を聴かせてくれました。私はグッときてしまい気の利いた返しが
思いつきませんでした。「良いですよね。」と言うと佐々木さんは「少し寝る。休憩。」
といってダッシュボードに突っ伏しました。やっぱりグッときたんでしょうか?
自身も被災しながら水に浸かっていた人を必死で救出したそうです。
「自分は濡れなかったから良かったんだ」と何度もしみじみ言っていました。
寒さに耐えきれなくて目の前で流れていった人を多く見たのだろうと想像しました。
案内役の佐々木さん。他県の人を見かけると色々と説明してまわる気さくな人
サポートセンターに戻りながら、隣に座っている遠藤さんが
津波が来た時の様子を話してくれました。
マンションの8Fにいた彼は母親と共に津波からは逃れたものの、
逃げ込んできた近隣住人と共に数日間のサバイバル生活を余儀なくされました。
ライフラインの断絶。1本のペットボトルの水と浴槽に残った使用済みの水。
わずかな食料。困り果てて浴槽の水で米を炊いたと言ってました。
そのような状況でも皆を受け入れ支えた。彼は優しい笑顔の人です。
最後は大橋の脇に積み上げらている流された車、瓦礫の山です。
誰がどんな思いで置いたんでしょう。大きなプーさんが笑ってます。
本当に言葉にするのは難しい。写真ですら全然足りない。
このような状況に置かれた人々に、私は昨晩「歓迎会」とねぎらって頂いたのです。
全くもって恥ずかしい話です。本当に申し訳ありません。。
皆さん大変気さくに楽しくお話しされるので悲惨さのかけらもないのですが、
ふとした時に見せる表情や間が、言葉で表現できない経験を感じさせます。
自分も被災しながら、何人・何十人かの大切な人を失った悲しみ、救えなかった
事を許せない苦しみ、思うように復興を進められない苛立ち、比較する事で
変わってしまう人の心と人間関係。そんな想像も出来ない状況に彼らはあるのです。
強い。本当に深く強い人たちです。
今一番困っているのはとにかく「資金」という事なので、資産を投じて活動を続ける
彼らを何とか助ける方法は無いかと、WEBを使ったサポートシステムについて
考えたり話し合ったりしました。それにしてもあんなに集まった義援金が届いて
ないのは一体どういう事なんでしょう?本当にやるせない思いです。
■ボランティアはどうした?
今回は予定が狂った事もあり、瓦礫の撤去だとか清掃などのガテン系ボランティア
活動ができませんでした。しかし来たからには何かしたいと、センターの清掃や
支援物資の仕分け、得意分野と言うことでブログのお手伝いなどをさせて頂き
ました。掃除してみるとスゴイ埃の中で寝てたんだなーって感じです。
センターの清掃。散らかって見えますが、これでも大分キレイになったんですよ
ちょっと街の様子もご案内しましょう。名物の石巻やきそば。
B-1グランプリにも出場したらしい。だし醤油味であっさりおいしかったです。
そして009。
最後にちょっと良い話。
日和山公園で被災地の惨状にがっくり来て座り込んだ際、
目の前のクローバーに四つ葉を見つけました。ちょっと嬉しくなりました。
四つ葉のクローバー
以上、石巻物資支援な2日間レポートでした。
がーっと書いたので誤字脱字、乱文お許し下さい。
PRよしだ