島親子と新幹線に学ぶ事 | ひげロジ

島親子と新幹線に学ぶ事

3月5日東北新幹線「はやぶさ」の誕生に関連してか、

TV番組で新幹線を作った島秀雄さんの事を紹介していました。


まず、父である安次郎はドイツで学んだ広軌(広いレール幅)

による夢の高速列車を作ろうと鉄道省で活動しますが、

作り直すコストも手間もかかる事で反対が多く実現しません。


そんな事よりこれまで通りの鉄道を地方に引き入れようとする

政治家が多いのが現実だったのです。

安次郎は「将来を見ない日本」に絶望し、辞表をたたきつけます。

そして中国に渡り高速列車を実現してしまいます。


そこがまずスゴイですよね。


実績を評価された安次郎は鉄道省に呼び戻されますが、

その頃には秀雄も第一線の機関車設計士になっていて、

父は政治面、息子は設計に邁進します。

ようやく夢の新幹線計画が立ち上がるのです。


が、太平洋戦争により計画は頓挫。その間に安次郎は亡くなります。


戦後、父と共に新幹線計画の一員であった後藤新平(鉄道総裁)が

秀雄に「父の弔い合戦をしないか?」と声を掛けます。


後藤が政治面、秀雄が設計のコンビで計画を進めるのですが、

ここで力を発揮したのがかつて軍で戦闘機を作っていた技術者達。

松平精をはじめとしたプロフェッショナル達は、敗戦国である日本の

誇りを取り戻そうと、また、二度と戦争に関わる事はしたくないと

懺悔の心で新幹線の実現に取り組むのです。

そうしたスタッフ達の仕事を秀雄はまとめ上げていきます。


ここで既に泣けますよね。


新幹線は東京オリンピックの開催に間に合わせるという

無謀な期限に合わせて開通されました。

そして40年経った今、1度の大事故も起こしていないのです。

いかに凄まじい信念と執念により達成されたか想像に難くありません。


しかし開通式に島秀雄の姿はありませんでした。

予算の倍に近い費用を掛けた事の責任を取り、

成功を確信した時点で身を引き辞任していたからです。


そして次に目指したのは宇宙開発でした。


番組の中で秀雄が晩年に残した言葉が印象的です。

正確ではありませんが、このような事です。


「人は簡単に出来ないと言いすぎる。
出来るのには道をひとつ見つければ良い。
出来ない事を見つける方がずっと難しい。」


◆国際派日本人養成講座(伊勢雅臣氏)には

島秀雄氏に関する記事が掲載されています。


人物探訪:島秀雄 ~ 新幹線の生みの親
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog359.html

大変興味深い内容ですが、特に注目したのは

■3.美しい機械は性能も素晴らしい。■ 

合理的なメカニズムは、美しくなければならない。美し
い機械は性能も素晴らしい。[2,p19]

 こう語る島は、車両課で10年間、蒸気機関車の設計に従事
し、「日本のSL(蒸気機関車)の黄金時代」を築く。昭和
11年からの10年間で1,115両も生産された名機D51(デ
ゴイチ)も島の設計だ。D51は性能や見た目ばかりではない。
保守・修繕作業がやりやすいように、微に入り細に入り、工夫
を凝らして設計されていた。だからデゴイチは保守・修繕の現
場の人間にも一番愛された蒸気機関車であった。
                                   以上抜粋

島秀雄氏は、まず技術者として一流であり、

その思想は、ただ必要なものを作るだけでは無く、

それを使う人、修繕する人、あらゆる人を想定して

世の中を向上させ、喜ばれる製品作りを目指すものです。


だから新幹線のように日本人の誇りを取り戻すような

素晴らしいプロジェクトを成功に導く事が出来るのでしょう。


ロジザードもそのような思想を持ち

自ら考え推進する力の集合体となりたい。

島親子に学ばせて頂きました。素晴らしい。


かなり長くなりすみません。

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