先ほどの記事にもあるように、2006年くらいから不思議研究が始まったわけですが、今は一旦終了していて、書くことからも意識的に離れていると書きました。


私の人生のテーマの一つは、「現実社会と精神社会の融合」です。

(誰かに言われたわけではなく、勝手に決めています。はい(^_^)v)


どちらかに偏ってはいけないのです。


最近では、スピリチュアルという言葉もかなり浸透していますし、私自身はスピリチュアルと言われる類のものをイロイロ体験していますが、スピリチュアルばっかりにフォーカスしてはいけないと思っています。


それをお仕事としている方ならば研究に研究を重ねて、悩みを抱える人に癒しを与えることがミッションだと思うのですが、趣味の範囲内でとどめておくところは、しっかり線引きして趣味の範囲内に収めるようコントロールをしていかなければいけません。


現実社会があってこその精神社会であることをしっかりコントロールしていかなければ、「地に足をついた状態ではない。」ということになります。


例えば、私の場合、趣味の範囲で「不思議研究」関連のモノを書いていたことがあります。


8時間、9時間が1時間くらいの感覚になり、「時間の概念がない」状態になります。


ここまでやってしまうと、思考中心で身体も動かさないし、人との交流もなくなるので、才能があるとか言う人もいると思いますが、かなり危険な状態です。


ある文豪は亡くなった後で、文豪といわれるようになったそうです。


生きている間は、ただひたすら書くことに集中して、貧乏暮らしだったとのこと。あせる


仮に、私が歴史上に残る作家になれる可能性があったとしても、私はそれを選びません。


好きなことをしていれば幸せだとは思いますが、好きなことって他にもありますよね?


女性としてオシャレをしたり、息子との時間を大切にしたり、お友達と美味しいものを食べたり、ステキな恋愛をしたり。。。音譜


人の幸せというのは人それぞれが決めることではありますが、分散されていてバランスが取れている人は魅力的ですし、意識的に一つのことに集中しないようにコントロールしています。


女性であること、母であること、仕事人であること、人間であることを大切にしていきたいと思います。


偏りは強烈な強みだったり、専門性を生みだす反面、バランスが取れていないということでもあります。


思考重視ではなく、体も与えられているので、目玉オヤジにならないようにお気を付けください。めだまおやじ

(頭ばっかり使って、目玉オヤジ状態と言われたことがあります。笑)