昭和28年(1953年)


小生が中学2年生の夏であった。


当時庭球部で活動して


放課後練習に励んでいた。


今から思えば栄養状態が


格段に悪かったせいか、


朝起きると背中にぐっしょりの汗であった。


夏でも毛布をかける位の


気候の地方であった。


体がだるくぐったりの状態が続いた、


医者にかかったら、


軽い結核、肺逡巡とのことだ。


当時結核は不治の病であり恐れられていた。


家中びっくりであった、


薬もなく一日中横になって


いなければならなかった、


生活も楽ではないのに


母親は栄養を取らせることに苦心していた。


お陰で夏休みが終わるときには


ほぼ普通状態に戻り休校することもなかった、


悔しかったのは庭球の群馬県大会で


準決勝まで行ったのに


決勝戦に出られなかった事だ、


しばらく落胆と病で放心状態であった、


今思えば良かったのは


本を沢がたくさん読めて自分の教養の


基礎になったことである、


暑くなると思いだす。