終戦から6年たった中学生時代は



食料事情も少しづつ良くなり



衣服もだいぶ増しになってきた。



初めて習う英語に戸惑ったりしたが勉強は



負けたくなかった、



朝型人間の自分は朝の静けさの



有る時間に勉強した。



部活で庭球をしていたので



夜は疲れてバタンキュウであったから。



疎開の家庭は大変な財政事情であり二人の兄と



姉は高校に行けなかった、



つぎが自分なので有るが



高校へはどうしても行きたかった、



出来れば大学まで、が夢であった。



当時としては大きすぎる希望であった。



同級生が受験にあたり補習授業を受けていたが



親に負担をかけられなくて自分流で頑張った。



最後の最後に親兄弟が高崎高校に受かるなら



進学してもよい、と言ってくれた、涙が出た。



安中中学からは毎年一人か二人しか合格しない、



落ちたら就職という約束だから夢中であった。



受かった時の喜びは忘れられない、



家中で喜んでくれた、



あとは毎日片道16キロの砂利道を



自転車で通学なのだ。



しかし夢の半分は実現できた。