終戦時6歳小学校1年である、
これから育つのに食糧難時代で本当に粗食であった。
疎開者でも田畑があったので
腹の空いた思いはあまりなかった。
朝飯はサツマイモのも周りに
コメが張り付いているようなご飯(?)、
昼はその冷や飯、夕飯はあり合わせの
野菜を入れたぶっ込みの煮込みうどんの毎日であった。
途中のおやつなどはなくさつまいもくらいしかない。
それも大量に収穫できるあまり甘くない大きな芋だが
当時は甘かった思い出がある。
この食事では栄養失調になるのは当たり前だが仕方がない、
どうしようもなかったのでしょう。
その当時の両親のことを思うと実に頭の下がる思いでいっぱいです。
今のサツマイモはケーキのように
甘くほくほくしていてとても旨いが、あまり食べる気にならない。
これも三つ子の魂百までも、 の一例かもね、
贅沢に成りすぎかな。